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<「序 法燈」より>

※内容の一部を抜粋して公開しています。

「鎌倉方は山に火を掛け、裏手より寺内を侵しております!」
 行宮の奥にいて、尊治は自身の置かれた状況を思い返した。
 鎌倉幕府を転覆させ、治世の主体を朝廷に取り返す。そんな近臣たちの企みは、いつしか幕府に不満を持つ各地の勢力と結びつき、尊治の知らぬ間に全国的な討幕運動へと発展していた。しかし、計画の露見により、朝廷方は付け焼き刃の武力蜂起を余儀なくされた。
 朝廷方の旗標に担ぎ上げられた尊治は、四条隆資や万里小路藤房らに従って密かに御所を脱し、南都宗門を頼って大和へと潜幸。さらに、鎌倉方の追撃を避け、東大寺から金胎寺、そして笠置寺へと移った八月末、周辺の戦力を糾合して朝廷方は挙兵したのだった。
 それから、約ひと月。もはや笠置山は、陥落寸前にまで追い詰められている。
「持ちこたえられぬか、四条」
「無念ながら。逃げることも、もはや叶いませぬ」
「……そうか」
 一連の経緯は、決して尊治の意に沿ったものではなかった。
 確かに、元冦の襲来以降、鎌倉幕府は次第に腐敗し、北条得宗家とその御内人の私的な欲望のための組織へと変わっていった。全国の武家を総攬し、朝廷に代わって国の秩序を守るはずの幕府が、国を私する者へとなっていたのである。
 その姿は決して、利生する者のものではない。
 それでも、尊治は幕府と表立った対立を避け、少しでも民のための政事を行おうと努力した。朝廷の政治機構による改革を進めてきた。
 だが、事態は単純ではなかった。幕府の下風に立つことを快く思わぬ貴族、固定化した官職により出世の望みさえない下級貴族、各地の権門勢家の荘園相続問題、そして大覚寺統と持明院統に分かたれた皇室。さまざまな対立が絡み合って、尊治の行く手を阻んだ。
 それどころか、そうした争いのために彼を利用しようとする者たちさえ居た。
 七年前、日野資朝の一党が討幕を企てた「正中の変」。尊治の近臣たちが多く企てに参画したがために、彼自身にも疑いの目が向けられた。このたびの蜂起にしても、近臣たちの密議が漏れ、否応なく起こしたものだ。
 忸怩たる思いが、尊治の胸を占めた。経緯はともかく、民のために政事をしてきたはずの自身が、国を割る戦を起こした張本人と、ならざるを得なかったことに。
 しかし、それは尊治がみずから定めたやりかたの結果だった。父の後宇多帝から治天の君を譲られたとき、彼は延喜天暦の聖代に倣うと決めた。摂関に頼らず、左右の臣を信じて政事を委ね、己がその責任を負う。
 だから、たとえそれが自身の意に沿わぬ蜂起だったとしても、山を囲む兵も森に掛けられた炎も、尊治が受けるべき報いだった。
(……時に霖が降る、か)
 雨足は強く、行宮の屋根をたたく。その音に尊治が脳裏へと浮かべたのは、『日本書紀』にある素戔嗚尊の天降りを描いた一節だった。
 高天原を騒がせた罪により、かの神は天を追われた。篠突く雨のなか、宿を借りることさえ拒否され、独り地上へと歩む。一言半句の異議さえ口にせず、粛々と降るその姿を、編者である山田御方は〝辛苦みつつ降りき〟と記した。
 いまの尊治には、かの神の気持ちが分かる気がした。どんな思いがあろうと、結果は結果だ。どんな言い訳も言い逃れも、口にした瞬間に自分への嘘になる。だから、罪を噛みしめて黙々と報いを受けるしかない。
 想念がそこに至ったとき、夜雨の向こうから、わあっ……という喚声が上がった。
「お、主上! 山門が破られました!」
 声がしてから報が届くのに、そう時間は掛からなかった。戦は、近い。
「錦織義右殿、討ち死に!」
 狭い行宮に掛けた御簾の向こうから、若者があたら命を散らしたと告げる声。そんな報せさえも遮る簾が、尊治にはひどく厭わしく思えた。その蔭で、顔を青ざめさせ狼狽するしかできない臣たちの姿も、また。
 ──せめて。
 尊治は御簾に手を掛け、みずからそれを上げようとした。
「こっ、このうえはっ!」
 もはやこれまで、と告げようとした矢先。声を上げたのは、万里小路藤房であった。
「笠置を捨て、余所にお移りいただくよりほかございませぬ!」
 しかも、その口から出たのは、尊治の思いとまったく裏腹な言葉。先の四条隆資の言とさえ相違する見苦しいものだった。
(辛苦みて降ることさえ、許されぬ)
 この期に及び、潔く振る舞うことさえ、彼にはできなかった。
 京を脱出するときも同じだ。六波羅の捕り手の目をかすめるためだという藤房らの進言を容れ、近臣の花山院師賢に帝の扮装をさせて比叡山へと送り出し、自身は女車で身をやつして、南都へと脱出した。その詐術が、比叡山門の信用を失わせたのだ。
 それを分かっているか──。御簾の向こうにある藤房の青ざめた顔を、尊治は嫌気も露わにじっと見やる。
「金剛山まで至れば、楠木の勢が居ります。必ずや鎌倉方を打ち払うこと叶いましょう!」

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