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Vol.57 黒田日銀総裁の発言~調査会社の視点から

                             2022年6月

今回は、黒田日銀総裁の発言を弊社シニアエグゼクティブフェローの鈴木督久が調査会社の視点で分析しました。

黒田東彦日銀総裁の発言「家計の値上げ許容度が高まっている」(6月6日)が批判され、総裁は8日に発言を撤回しました。総裁発言は渡辺努東大教授による調査が根拠でした。
渡辺教授による調査報告は「5か国の家計を対象としたインフレ予想調査(2022年5月実施分)の結果」(5月30日)と題する10頁の要約的資料です。

 渡辺教授の調査と分析には、少なくとも以下の3つの大きな問題があります。
(1)期待していた調査結果だけを強調して矛盾する別の結果を無視した
(2)分析結果で表示を改変した(違う質問文に変えて誤導した)
(3)日本の家計の傾向として一般化できる理論的根拠がない。

 加えて、調査設計における技術的問題もいくつかあり、2点だけ示します。
(4)「値上げ耐性」と解釈可能な測定か(質問文の構成概念妥当性)
(5)調査票の設計は分析目的に合致していたか

まず、大きな問題から整理します。渡辺教授は「主な結果」を3点あげました。
1.日本の家計のインフレ予想が上昇した
2.日本の家計の値上げ耐性が高まった
3.自らの賃金の向こう1年間の見通しについて
 
黒田総裁はこの中から「値上げ耐性」に注目して講演原稿に盛り込みました。渡辺教授は調査から「値上げ耐性」を以下のように報告しています。

「馴染みの店で馴染みの商品の値段が10%上がったときどうするか」という問いに対して、前回調査では日本の家計の過半は「他店に移る」と回答しており、「その店でそのまま買う」(=値上げを受け入れる)との回答が過半を占める欧米と異なっていた。しかし今回調査では日本も欧米と同じく値上げを受け入れる回答が過半となった。

過半とは56%ですが、別の質問「量や頻度を節約する」は69%に増加しており、矛盾する解釈もできそうです。しかし「主な結果」としては扱われませんでした。

第二の問題は分析報告の表現です。上の解説にある「他店に移る」という質問文は調査票にはありません。報告書で突然あらわれるのです。私も混乱してどこにあるのか探しました。実際の調査票のどこにもないのです。「多少の質問文要約」の程度を逸脱しています。報告書では、”I would switch to a different supermarket” というラベルがついています。
報告書に棒グラフが示されているので、軸目盛を目測して集計結果をなんとか再現しました。質問文もつけました。「他店に移る」は見当たりません。

あなたがいつも行っているスーパーでいつも買っている商品(例えばA社のチョコレート、B社のビール、C社のシャンプー)の値段が10%上がったとします。あなたはどうしますか。以下のそれぞれについて「よく当てはまる」「当てはまる」「あまり当てはまらない」「まったく当てはまらない」でお答えください。

第三は学術的問題です。渡辺教授は日本の家計に一般化して主張していますが、そこには理論的根拠がありません。少なくとも統計学的根拠がありません。近代科学のパラダイムにおける科学的根拠がありません。
この調査は民間調査機関によるインターネット調査です。対象者は数百万人の調査モニター集団です。もちろん日本の全世帯(約5千万)あるいは成人(約1億人)を母集団とする確率標本ではなく、日本全体に一般化する理論的根拠がありません。
概要には示されていませんが、モニター集団から協力に応じた対象者をパネル化して3回の継続調査を実施したようです。

このほか、技術的問題もあります。「その店で買う」か「他店に移る」かを目的に測定するなら、最初にそれを質問し、買う人にはその店で「同じ量を買う」「量を節約して買う」「安いブランドを買う」などの選択肢を用意する質問構成も考えられます。また、値上げしない他店が存在し、選択可能か否かの前提条件を示した調査設計も検討の余地があります。


■今週の執筆者■
鈴木 督久(シニアエグゼクティブフェロー)

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日経リサーチ 金融ソリューションチーム finsol@nikkei-r.co.jp
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