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「韓流」と「日流」 文化から読み解く 日韓新時代


みなさんこんにんちは!でぃーちです。

「日韓関係の推移と韓流の発展過程」という記事から政治とK-popの相互関係に関して考察してみました!

まず、結論から言うと、「政治とK-popの間には双方向性はあるものの、K-Pop→政治の方向性は圧倒的に強い」ということが仮説立てられそうです!

まずはこの本が語る内容を引用しながら時系列でまとめて行きます!

主に内容としては文化と日韓の歴史・政治がどう絡んできたのかの流れになります!

以下文献参照(※1)

~1970年代脱植民地と冷戦の中の韓国文化~

70年代後半日本:アジア人歌手がデビューすることがしばしばあった
この時いたアジア人歌手って??
アグネス・チャン、テレン・サン

こうした中華圏の女性歌手がお茶の間で人気を博していました。

ここには、実は政治的な意図が、、、

当時の「日本はアジアにも関心があります」ということをアピールするかのように間歇的に現われたんですね、、、
つまり、日本に従順で出身国や日本との関係にはあまり触れずあたりさわりない話題で、友好ムードのだしに使われた感があった、ということです。

チョー・ヨンピルと日韓関係の政治

チョー・ヨンピルとは?(経歴参照)
=「釜山港へ帰れ」を唄う「演歌歌手」
※当時始めておっかけを誕生させた歌手だった

当時の日韓関係における政治の流れ
・韓国政府:チョン・ドゥファン政権

七九年のクーデターと八〇年の五・一八光州事件を経て政権を奪取、
国民の不満を緩和させる経済成長のためにも日本からの援助を必要としていました。
しかし、八二年には日本の「教科書問題」が起き、韓国内では反日感情が高まり、当時盛り上がっていた反米感情と相まって、反政府運動に発展することが懸念されました。

だからこそ、日本との友好ムードが必要だったのである。

・日本政府:中曾根政権
「新冷戦」といわれた状況の中で、日米同盟を強化するとともに、韓国を支援することで積極的な「アジア外交」も展開し、アジアにおけるプレゼンスを高めようとしていました。
八三年一月に、戦後の日本の首相として初めて訪韓し、「日韓新時代」を謳うとともに、韓国に四〇億ドルの借款供与を決定し、全軍事政権を支えたのです。

こうした一連の日韓の政治的「右派」の提携の裏側で、日本が上に上がっているということを指し示すような内容を含んだ「釜山港へ帰れ」はヒットしていたのでした、、、

                                               
~90年代以降~

グローバル化リージョナル化がさらに進展する九〇年代以降は、経済的相互依存の深化、人的・文化的交流の増大、冷戦後の新秩序形成に向けての相互再発見という要素により、日韓関係に構造的変化が生じることになる。

~女性による韓国訪問~
冷戦の終焉と民主化により、安全保障や治安面の脅威認識が薄まり、これまで韓国訪問を敬遠していた日本人女性は韓国を訪問するようになりました。
ですが、この時の動機として
韓国は依然として、

韓国それ自体に魅力があるというよりは、
物価が「安い」ことや「お得感」、そして「なつかしさ」があって
はじめて行く価値のある国だった。


一部の人を除いて、韓国が日本人の消費と快楽の対象でしかなかったことに変わりはなかったのです。

 冷戦後の日韓関係を形成する重要な側面は、冷戦期(あるいは昭和期)には封じ込められていたいわゆる「歴史問題」が重要なイシューとして浮上してきたことである。

~歴史問題~
それまで事実としても認識されてこなかった朝鮮人強制連行、従軍慰安婦、サハリン残留朝鮮人、戦後補償、在日韓国・朝鮮人の人権問題などが、日本の市民社会を中心に提起され始めたのです。

~当時の日本の政治と経済~アジアにおけるリーダーシップの確立と、国連常任理事国入りなど経済大国から政治大国への転換を目指す主張が声高に叫ばれていました
※実は、韓国といえば、歴史の問題、日本の課題として位置づけられる傾向が強くなったのはこの時期なんですね!

※日本の韓国への印象

①焼肉やアカスリなどの消費と快楽の対象としてではあるが「文化的」韓国
歴史的課題としての韓国
③継続する植民地主義的まなざしの残滓とネオ・ナショナリズムの表現対象としての「朝鮮」イメージを引きずる韓国

~韓国政府~
前節で述べた従来の日韓関係の図式から転換をもたらす契機となったのが、一九九八年に誕生した金大中政権の積極的な対日政策でした。
同年10月に訪日した金大中は、韓国における日本大衆文化の開放を決断し、未来志向の日韓パートナーシップを宣言しました。

~この時期の韓国文化は?~
韓国のポップカルチャーも以前に比べれば飛躍的な発展を遂げたが日本では、パクリのほどしか考えられていなかった状況で韓国の音楽やドラマが注目される余地はなかったのです。
→だがある2つの事件から韓流がより推し進められるようになりました。

~韓流第一期を推し進めた2つの出来事~

①2001年1月26日大久保駅で起きた転落者を助けようとした
韓国人留学生の李秀賢氏が犠牲になってしまった事件
②日韓ワールドカップ

これによって、日本のお茶の間にソウルオリンピック以上に韓国の情報が紹介された
またboaやユンそななどの韓国人歌手やタレントが人気を博したことも韓国に対する親近感を広げるのに役に立ったと言えるのですね、、、

~韓流第2期(2004~2008年)~

~前半:中高生女性を中心に爆発的な人気を博する~
BoA、イ・ジョンヒョン、RYU という三人もの「韓国人」歌手が紅白歌合戦に出場しました。
→こうした韓国文化が日本に定着するにつれ、日韓国交正常化40周年となる2005年を日韓新時代という位置づけたいという意識をもつ人たちが増えてきたんですね。

~政治への影響~

日韓 両 政府 は、2005 年を「日韓友情年」に定め、各種交流事業を展開。
日本国際政治学会などの国際シンポジウムも開催

~後半:日本の保守派・男性社会・ナショナリストによる反撃が始まった~小泉首相の靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、領土問題などによって 両国の政府関係と 国民感情は悪化し、「友情年」どころか、お互いのエモーションがぶつかり合う年になってしまいました。

だが、見逃してはならないのは、こうした逆風の中にあった第二期の後期ですら、ドラマ だけでなく、韓流映画の勢いも衰えていなかったということ

~韓流第三期~

安倍政権が誕生したこの時期から関係が回復し始めたんですよね!

安倍首相は就任即座韓国を訪問し、日韓関係、アジア外交の修復に務めました。安倍夫人も韓流ファンであることも印象が良かったんですね。

~この時期の文化~
韓国時代劇ブーム・東方神起、BIGBANGなどのK-popグループの躍進
ガールズによる促進(KARA・4Minnute・少女時代)

洋楽とJ-POP を見事に融合させ、新しい 世界を創造している K-POP はアジアを席巻して おり、「 Wonder Girls」などは アメリカでも成功を収めている。ガールズ・グループの日本上陸は、特定の会社のプロデュースするアイドルが持続的に人気をもつ 日本の「 保守的」な J-POPに新たな風穴を開けるかもしれないんですね。


最後に

以上が流れと筆者の主張でした!
いかがだったでしょうか??

この文献は少し時代的には前のものなんんですね、、、
ただ、最後の筆者の考察を

今考えてみるとK-popは社会に大きな影響をもたらしていることは明らかですね。ただ、政治的にk-popが利用されているというよりは、アイドルの発言が大きく国民に影響を及ぼしていることの方が大きいと考えました。また、日韓関係が悪化しても韓国アイドルグループの人気にはさほど影響を及ぼしていないという点も踏まえる必要があると考えます。以上のことから、k-popが政治に影響を及ぼすことの方が多いのではないかと仮説立てました!

以上が日韓関係とK-POPのまとめです!

参考文献
1.「韓流」と「日流」 文化から読み解く日韓新時代、クォン・ヨンソク、2010/07
2.「文化で切っても切れないのに政治で対立」K-POPから見る日韓関係、毎日新聞、2019年8月25日


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