私のこと
なんでもないただの人間なんだけれど
子どもに先生と呼ばれてはじめてから
少しずつ自分と向き合って
気づいたことが沢山ある。
自分はどうやって文字を覚えたのか
足し算が分かったのか
どうやって友達ができたのか
無意識でやっていてすっかり忘れていることが、一定数の子どもたちにはとても難しいことだと知った。
子ども一人一人と向き合う仕事をしようと転職したけれど
結局は自分という人間を見つめ直す大きなきっかけになった。
小学一年生の頃、親が離婚して転校した際に場面緘黙を発症。
診断は受けていないけれど今、自分でその時を振り返ると間違いなく緘黙であった。
そこから普通に中二病に罹ったのをきっかけに緘黙が治り、友達ができた。
その頃母が再婚し、私が好きだった家ではなくなってしまった。
アニメや2.5次元舞台にハマり、声優さんにハマり、ヲタクの仲間入りを果たした高校一年生のころ、ダウン症の弟が産まれた。
家に居場所がなかった私に弟は
満面の笑みを毎日くれた。
自分が一番苦しい思いをしている手術後の痛々しい姿でも
私のことが大好きで私の声を聞くと嬉しそうに笑った。
私はこの子を一生守って行こうと心に決めた。
弟が道路に飛び出した時、死を覚悟して私も飛び出した。
たまたま車は来なかったけれど
自分で思っている以上の膨大な母性が自分の体を動かしたことに驚いた。
はじめて働いたのは産婦人科小児科の助手だった。
子どもが好きだったから楽しかった。
その反面死ぬほど忙しかった。とくに小児科は戦場。なのに子どもの医療費は点数が低くてお金になりずらい。
大人になるとよく
世の中の矛盾に衝撃を受けた。
弟のことと、職場の看護師さんが向いてると言ってくださり
療育現場へ転職。
毎日悩んで、笑って、困って、爆笑して
繰り返し。
そんな私の頭の中を書き起こせたらと思っています。
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