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たとえ共感できなくても

つい先日、日本でも話題になった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』をやっと読み終えた。

小説や映画を見る時、大抵の場合は主人公の目線で物語を追っていくので、それが女性であろうと男性であろうと、登場人物たちに共感を覚えることが多い。時には、登場人物の誰かに自分自身を重ねて見てしまうことさえある。

しかし、この小説の場合は少し違った。なぜなら、この小説では「社会の中で"女性"が抱える生きづらさ」に焦点が当てられているからだ。

もちろん、物語の中で「本当にそうだよな」と思うところはたくさんあった。
男尊女卑の考えを押し付けられたり、服装や身体的な面で男性よりも気を使わなければならないこと・面倒なことがあったり、性的な被害を受けることが多かったり...

大体が母や妹の体験談と似ていたり、現実にニュースでも報道されている問題だった。
それもあって、小説を読みながら実際に見聞きした話を思い出し、不条理な世の中に哀しみや憤りを覚えた。

しかし、私はキム・ジヨンに「共感」することができなかった。
いや、正確に言うと小説を読みながら彼女の生きづらさを想像することはできても、安易に「私にも理解できる」などと言うことができなかったのだ。

なぜなら、私は20年以上シスジェンダー男性として生きてきた者だから。

自分の知らないところで、私はきっと「男性」であることが理由で優遇されていたかもしれないから。

同じ空間で男性に蔑まれる女性がいたとしても、私はたぶん見て見ぬふりしかできなかったから。

そして、私自身も無意識のうちに女性を差別するような言動をしていたかもしれないから。

これは趣味や好み、セクシュアリティとは全く別次元の話である。自分が男性として生まれ男性として社会生活を送ってきた以上、当事者である女性が抱えてきた生きづらさに対して、完全に「共感」することなどできるわけがないのだ。たとえそれが大切な相手であったとしても。どれだけ理解したいと願っても。

でも私のような男性でも「知る」ことはできる。

私は正しい知識を持ち合わせているわけではないから、堂々とフェミニストを名乗ることはできない。けれど社会に深く根付いた問題を「知った」からには、些細なことでも気がつき行動できる人間になりたいと思う。

女性が少しでも「自分らしく」安心して生きられるように。



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