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親子って?「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

ようやく鑑賞。批評を読まずに観たから後で批判的な意見が多い映画だって知ったけど、自分はそんなことなかった

子供の葛藤や気持ちがとてもよく表現されていた、9.11のことをもう一度思い出した

父の死を受け入れて、乗り越えていく成長が描かれていると言う一言で言い表せない心情があった

心が抉られそうな場面がいくつもあった

自閉症気味の主人公が色んなものに敏感だったり公共機関を怖がる様子見て自分にはない感覚を知る

留守番電話の秘密を抱え込んでしまい、間借り人に初めて打ち明けてそれまで我慢するために自傷して抑え込んできたこと

人の死を受けとめ咀嚼するのにはまだ幼い10歳が母親らを想い大きな秘密を抱えて苦悩してきた経過がとてもよく表現されていた、早口で捲し立てるような長台詞、そして身体中の痣

母親といる場面では強くあろうと言うより甘えが垣間見えていて暴れていたり、亡くなるのは母親だったらよかったのにという暴言が出ていたり、それでも母親は息子の全てを受け止めようとする姿を感じられた

沢山の人と出会ってたくさんのことを学んでいく成長過程は素晴らしいと思ったし、行動力があったり挑戦する原動力があっても最後には父親への想いをうまく消化できず、叫んだり暴れたりするところも子供らしさが描かれていたと思う

そして母親が息子の行動を予見して先回りしていたことを告白するシーン、このシーンに批判があったようだったけど、自分の意見は全く違う

子供が努力してきたことを母親も体験することで共感を得てしたし、息子は母親が見守ってくれていたことを知れる機会を得ている

子供が何を想い、それを想像し、行動することを制限することなく委ねる

帰宅するまで不安で仕方なかったが抑止したりしなかったところに母親の在り方がきちんと描かれていたと思う

それまでと違って、甘えを見せてひざ枕される姿を見て親子関係が良好であることを描いてくれた

ここまでは映画の話。しかし、こう言う映画を見るといつもこれはフィクションで幻想ですよね?と思ってしまう。

被虐待児だった自分としては到底、家族が最も信頼が置けない人間だったため、この手の映画を見るといつも虚構感をとてつもなく抱いてしまう

人の狂気や殺意や汚いところ、そういうものと違って自分には幻でしかない

頭ではそれが家族愛とか愛情とかそう言うことだって理解していて解釈もできる

だがそれを感じた体験がないから、抱きしめられたり、ひざ枕したり、撫でられたり、褒められたり、愛してると言われることの全てにおいて全く現実味がないのである

人の感情が揺れ動いていることに対して自分の感情が共鳴することはある

だが無償の愛と言われる親子愛みたいなものはどこから学べばいいのだろうずっと想いながら生きていた

自分の現時点で納得している解はこれだ、自分には必要がないから持ち得てないだけだ

人を亡くすことに対しての絶望の大きさや立ち直るまでのこととか考えると、自分は幸せだなと思う

極論、亡くす者を持たなければ悲しみさえ持たずに済むのだ

被虐待児として育っていて親がいなくても、一つだけ言える、欠けている感情は自分のさじ加減で負になるが簡単にそれを転じることができる

それが自分の強さだと思う

誰かを失う辛さを味わうなら、家族愛的なものはこれからもフィクションで味わって生きていきたい




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