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若者たちのワクチン接種への意識と行政対応

8月上旬にはメディアは当時の意識調査をもとに若者のワクチン接種意識の低さを報じ、危機感をあおり、それに応じるように識者は「あなたのためだけではなく、あなたの大切な人のためにも・・・」と呼びかけていた。だが、2021年8月29日の朝刊は、~接種求めあぶれる若者 都「ワクチン否定的」誤算~などと一斉に行政の対応のまずさを批判。だが、今回のワクチン接種の対応に関しては、行政もだが、ここ10数年のワクチン接種慎重論に加え、IT化についても、個人情報保護とかセキュリティ問題等々と、これもメディアがこれまで報じてきた。結果、今回の事務処理の煩雑さにつながったと前回のブログでふれている。ただそんな中、この数か月間で国民のほぼ半数に2回接種は見事だ、と私は評価したい。とくに、予約、接種確認のためのアナログな事務処理、欧米ならそれを対応する医療機関、あるいは行政職員がストライキ、ボイコットを起こしてもおかしくない、と私は思う。

また、若者も~大切な人のため~もいいが、むしろ以前のようにマスクをせず、オンラインではできない、大切な人もだが嫌な奴とも触れ合うといったことで、自律性も育む普通の生活に戻りたいだけ、だから若者はワクチン接種を求めているのだ、と私は思いたい。

※以下のコラムは1994年に地元文芸誌 「ら・めえる」に掲載したものだ。

二つのタイプの子どもたち
素直な子どもには二つのタイプがあると思う。一つは大人、つまり親や教師に対して素直に従う子どもである(以下タイプAとする)。もう一つは自分の気持ちや感情を素直に表現する子どもである(以下タイプBとする)。日頃私たちがよく「素直でいいお子さんですね」と言うような子どもは、ほとんどがタイプAのことである。タイプBは逆に、自分の我を通してばかりで扱いにくい子として、なかなか「素直でいいお子さん・・・」の仲間入りはさせてもらえない。
だが、タイプAは将来、「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」といった生き方を選択する大人に成長する可能性があり、一方のタイプBは、ユニークで独創的な発想で社会をリードしていく大人に成長する可能性を秘めている、と言えないだろうか。
しかし、これまでの日本の社会はタイプAが好まれてきたことも、また現実としてある。なぜなら、明治以後の日本は、標準語を定めることで国民のすべてが意思の疎通を図り、ある一定水準の教育を身につけ、欧米の知識や情報を学び、受け入れ、一致団結し、近代国家を、そして今日の豊かな社会をつくり上げる必要があったからである。そのため、素直に共通の言葉を受け入れ、それを用い、さらに知識や情報をそれこそ素直に受け取る国民が求められていたのである。
確かに、それは成功した、といっていいだろう。そしてもしその試みが成功していなければ、日本でも、旧ユーゴスラビアのように民族紛争とまではいかないにしても、深刻な地域間の対立が起こっていたかもしれない。しかしその結果として、方言はすたれ、伝統的なしきたりの多くが姿を消していった。
では、こんな安全で豊かな日本の国の子どもたちに、なぜ今になって、個性と独創性が求められるようになってきたのだろうか。政府は「学校週5日制」を導入し、豊かな個性と独創性を育むと言って、土曜日を休みにするという。本当に子どもたちの独創性と豊かな個性を育てる目的であるのなら、せめて一般社会と同様に「週休2日制」という言い方をしてほしい。
なぜならば学校で5日間学ぶということは、タイプAを育む時間にほかならないからである。少し昔の日本、それも今よりもっと貧しかった頃は、放課後や夏休み・冬休みには、町内の路地裏や空き地では、各土地の個性豊かな方言が飛び交い、古くからの遊びが繰り返され、そしてそんな中でタイプBが培われていたことを忘れてはいけないと思う。

*ストライキ、ボイコットも起こさずワクチン接種の煩雑な事務処理を行う大人はさしずめタイプA。以前のような普通の生活の戻ろうとワクチン接種を求める若者はタイプBだとしたら・・・。
*このコラムを書いた時期の若者は、今大人の中核。そして、まだ、生を受けてなかった諸君は今若者。
*ポストコロナはどうなるのかな?いや、どうしたらいいのかな!


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