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依存症治療のコツ

*どこが治療のコツなのか?とよくわからない方は、それでもいいから読んでみてください。

●国立久里浜療養所の行軍の思い出。

1976年、今も続いているアルコール依存症研修会の第1回目にどういうわけか私は参加していた。当時、アルコール依存症の治療援助に関心、興味があったわけでもないし、志なるものなどカケラもなかった。とにかく、三浦半島の先っぽの久里浜の海岸を私は中年の男性と一緒に歩いていた。その私とは研修会プログラムの「行軍」に参加している29歳の私だ。「この行軍は堀内(なだいなだ)先生が戦時中在学しておられた陸軍幼年学校の体験から始められたんです。コースが幾つもあるんですよ。だから、病棟移動がある病棟スタッフはそんなコースを一々覚えていません。だから、私たち退院患者が道案内で出かけてくるんです。そうすることで入院中の生活を思い出して、初心に戻るっていうのか、おかげで断酒が続けられているんです」と中年の男性、穏やかな語り口に何だか都会の雰囲気を感じた。きっと東京都心に住んでいてこうして月一回の行軍のためにわざわざ久里浜までと・・・勝手に思い巡らす私を今もよく憶えている。それまで出会ったアル中(アルコール依存症)者とはとにかく荒んだ人ばかり、こんなに気さくに話しかけてくる人はいなかった。やはり天下の久里浜には選ばれた患者ばかりだ~と。それから色んな依存症者に会ってきた。色んな人に・・・。あの久里浜海岸を一緒に歩いた語り部がその後の私に影響を与えてくれたのは間違いない。

●もう一つの思い出、「高良君」とのこと。

「おっ!高良君だ!」と。最近長崎で開催された依存症とサイコドラマ等々の研究会、その一つの報告で文献紹介の中に著書・高良聖の名が目にとまった。そうだそうだ、彼はサイコドラマの第一人者になったんだ。彼との出会いは40年以上前になる。確か、上智大学の心理学科を出て、国内留学かなんかで数年間、長崎に住まい、長崎大学精神科教室に籍をおいていた。私は、例の久里浜研修に触発され?西脇病院で当直の夜、アルコール依存症者の夜の集いを初めて間もない時期。誰も関心をもってなどくれない。先輩の精神科医からは「3ヶ月持てばいいところだよ」などと揶揄されてもいた。ところが、退院患者が通ってきてくれた(今だと居場所の提供だ)。私は嬉しかったし、誰かに知ってほしかった。そこで、精神科医局で当時一番語りかけやすかった「高良君」に声がけしてみた。「面白そうですね、参加させてください」と。それから、毎週一回の集いの後、「高良君」と必ず酒を飲みに出かけた。もちろん、病院の当直は他の医師にお願いし、当直の曜日を変わってもらった。よく飲んだ。酒の肴は、その夜の当事者の体験談の品定めである。「ヨッサンはまた飲むぞ」、「いやしばらくは大丈夫だよ」とか、「ところで、あの隅に座っていたのは誰だ?」、「話してもらったらよかったのに!」等々、他愛のない話だった。でも楽しかった。そして、あの「高良君」が大学教授になった。それもサイコドラマの第一人者だって!信じられないよ。だがもう会えない。「高良君」は、5年前に亡くなってしまった。とても寂しい!

高良聖(たからきよし)心理学者 明治大学文学部心理社会学科教授 
2017年1月31日没 享年64歳

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