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ウィークネスフォビア(弱者嫌悪)って何?

ウィークネスフォビア(弱者嫌悪)とは、男性学研究者の内田雅克氏よる造語、つまり和製英語だ。

「“弱”に対する嫌悪と、“弱”と判定されてはならないという強迫観念」

大日本帝国の「少年」と「男性性」-少年少女雑誌に見る「ウィークネスフォビア」内田雅克著 明石書店 2010

と定義している。

なるほど、私も過去、依存症、うつ病(双極性感情障害)で「否認」と「プライド」を抱える人たちの回復には、「自分の弱さを弱さとして認める勇気」が大切と指摘。そこで二人の著名人の「自伝」、「手記」の一部を紹介している。(『依存するということ』 西脇健三郎著 幻冬舎新書 2019)

★エリック・クラプトンは、ギタリストとして絶頂期にあった1980年代、アルコール=依存症回復施設に入所しており、その入所時の心境を次のように語っている。〈ギターと音楽的な経歴を取り上げれば、私は何ものでもなかった。アイデンティティ喪失の恐怖は想像を絶するものだった。(中略)“クラプトンは神だ”(中略)。自分がアルコール依存症の患者であり、他のみんなと同じ病に苦しんでいることに気がついて、私は愕然とした〉と。

エリック・クラプトン『エリック・クラプトン自伝』.中江昌彦訳、イースト・プレス2008

★〈・・・僕が戦っているのは、薬物依存症と鬱病です。これまで落ち込んだ気持ちを、薬物で高揚させていたわけですから、使うのをやめれば鬱病を発症する。ほとんどの薬物中毒患者がそうなるそうです。(中略)朝目がさめても、起き上がることさえできません。しばらくそのままの状態で、何もやる気が起きず、(中略)これから先、どうやって生きていこうかということも考えられない・・・・・・(中略)。頭に浮かぶのはただ「死ぬこと」・・・・・・〉。

清原和博『独占手記』より.『文褻春秋』2018年9月特別号

クラプトンは、世界のギターの神様として君臨。清原もまた、日本プロ野球界での人気は絶大だった。ただ、彼らは絶頂期にはウィークネスフォビア(弱者嫌悪)だったに違いない。
しかし、二人の「自伝」、「手記」から「自分の弱さを弱さとして認める勇気」を伺い知ることができる。
そして、エリック・クラプトンは現役のギタリストとして世界の音楽界に今尚、影響を与え続けている。また、清原和博の今はプロ野球解説者、少年野球のコーチとして、その魅力、才能を再び披露している。

◎「らしさの問題」・・・、このウィークネスフォビア(弱者嫌悪)は、男女関係なくその可能性を考えるべきではないか、と。

・男性の場合

「男たるもの(女性を)くわせなきゃいけないとか。そんなものに縛られていた」~

「男らしさ」ストレスに(長崎新聞2023年11月28日付)

・女性の場合

「良き妻、良き母でいなければならないと(略)。夫に褒められたかった」~ 

わたしを取り戻す アルコール依存症・女性の集い(長崎新聞2020年1月29日付) 

◎最後に「治療者を自認する者」、つまり私も含めた精神科医、精神科医療従事者のウィークネスフォビア(弱者嫌悪)について・・・

*「治療を受けるとされる側」
依存症、うつ病(双極性感情障害)に罹患する多くの者は高機能である。では、高機能とは『精神科領域におけるGlobal Assessment of Functioning(通称GAF)の心理的、社会的、職業的機能を考慮した精神健康度の尺度(100から0までで評価)』で見てみると、81以上とは「症状は全くないか、ほんの少しだけ・・・社交的にはそつがない」と、そして91以上では「広範囲の行動に~最高に機能・・・多数の長所があるために他の人々から求められている、症状は何もない」としている。確かに申し分のない。“良くも、悪くも”高機能な人物と言っておこう。
そして、そんな高機能な人物だからこそ「依存症」、「うつ病」を発症、だが、その「病」を受け入れたくないと言われる所以、いわゆる「否認の病」なのである。よって、彼らとの関わり、とても厄介だと心得るべし!

*「治療者を自認する側」
精神科医と精神科医療従事者は、これまで概ねGAF50以下の重大な症状(社会的、職業的または学校の機能においても何か重大な障害)を有する者が対象だった。そんな「弱者とされる」病に対しては、「思いやり」、「絆」、あるいは「共感」、「おもてなし」、「患者様」といった労わりのワードが求められてきた。(「絆」とは本来、馬などの家畜を、道端の立木に縛っておく綱。束縛の意味も・・・)(「共感」するのもいいですが、「共感疲労」もありますよ!)
そして、それがこれまで「治療者を自認する側」として、あるべき振る舞い、姿でもあった。今もそうなのかなぁ⁉
そんな精神科医療現場に「“弱”に対する嫌悪と、“弱”と判定されてはならないという強迫観念」を持つ高機能精神疾患が「治療を受けるとされる側」として訪れてきたらどうするか、だ。
そんな「治療を受けるとされる側」としての高機能精神疾患は、今や増加の一途である(資料1)。

【資料1】


では、「治療者を自認する者」が「熱心さ」、「懸命さ」、「献身的」を駆使すれば、「治療を受けるとされる側」が「治療を受ける側」になるとでも・・・、そんな安直に治療関係が結べるとお思いかなぁ?「否認の病」なんだから、それは否だ。では、強い「否認」を精神症状と捉え、強制処遇(入院など)が可能か、かつ効果的かだが、その前にそれが合法か否かをまず検証いただきたい。
そんな中、近年「否認の病」対策として、舶来モノでパッケージ化(SMARPP、CRAFT等々)された技法が注目され、全国で取り入れられている。しかし、その成果は寂しい限り!
私には、それはそんな技法を振りかざし、「治療者を自認する者」が「“弱”に対する嫌悪と、“弱”と判定されてはならないという強迫観念」をむき出しに「治療を受けるとされる側」に無謀に立ち向かっているとしか見えない。

AA(※)の12のステップの第1ステップは「私たちはアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていることを認めた」とある。
そう、「治療を受けるとされる側」が「治療を受ける側」への心変わりに大事なキーワードは、この「無力」なんだよね。
「“弱”と判定されてはならないという強迫観念」をむき出しにしている「治療者を自認する者」諸君、諸君もこの「無力」を受け入れてみては如何だろうか?そして、「無力」を武器にするといい。長い道のりを伴走するのだから・・・

(※)AA(Alcoholics Anonymous) アルコール依存症者本人が回復のために参加する自助グループ

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