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日本の風習  お歳暮

お歳暮はお世話になった人に「今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いします。」と気持ちを込めて渡す贈り物のことです。

最近は「お互い送ったり贈られたりは大変なのでやめましょう」と提案して、やめる人も増えたそうです。

昭和時代、お中元は夏の厳しい暑さに対して暑中お見舞いの気持ちと半年間お世話になりましたという意味合いです。

その時期には母親はデパートの特設会場でメモ書きした送り先の住所片手に何を送るか「こっちの方が役に立つかなあとか今はこどもさんができたからこちらかな?」と忙しいと言いながらも何か楽しそうでした。。

大体、送る相手も決まっていて、品物も子供が多いと洗剤や食料品、ハム、田舎の人には神戸のお菓子が喜ばれると何枚もあて名書きをしていました。

我が家にも毎年たくさんの、お中元や、お歳暮の品が送られてきました。
昔の玄関は広かったので、そこに積み上げられていて、壮観でした。

大体品物を見ればどなたから送られてきたのかわかる母親を、尊敬?の念で見ていました。
手際よく食料品とそうでないものを仕分けて、水屋や倉庫に運びます。
きっとそれと同じくらいの数を我が家からも送ったのでしょう。

お中元で一番うれしかったのは、当時発売されたカルピスの濃縮された瓶の詰め合わせでした。あの水玉模様の箱をいくつか見ると嬉しくて…。飲み過ぎると虫歯になると言われても自分で作るときは原液は多め!でした。

またお歳暮にはミカン箱がいくつも。りんごのもありました。お正月用にと日本酒の一升瓶、ビールはケースで。ウイスキーやブランデーは舶来物が多かった時代です。味付け海苔のセットや鰹節。飛び上がったのはユーハイムのバウムクーヘンやモロゾフのチョコレートの詰め合わせ。それは宝石箱みたいでした。

今ではお歳暮のコーナーよりお節料理の予約をするコーナーが幅を利かせているそうです。

品物を送るとはお礼の気持ちを表す手段。もちろん年賀状でも表せますが、昔のおとなたちはそんなことにも一生懸命でした。

手間がかかると言ってもそこは風習を大事にする責任感みたいなものがあって、自分の代で絶やすことはできないという家同志のつながりを大切にしたようです。

考え方がドライになって、それもまた複雑な現代を生きるには必要なことですが、それぞれに送り先の人を思い浮かべて選んで贈るってそんなに悪くないことのように思います。

昨日は幾つか選んで贈りました。やっぱり一番喜ばれるのは神戸のお菓子。

フロインドリーブの「ミミ&クッキー」神戸フランツの「壺プリン」モンロワールの「リーフメモリー」そしてアンリシャルパンティエの「フィナンシェ」

東京や福岡、名古屋の友達はいつも楽しみにしてくれています。
きっと今やその地でも買うことが出来るのでしょうが、神戸からというところに値打ちがあるらしいです。

「ありがとう!」はさすがにLINEとなりました。

今日もいい日にしましょう!


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