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ニケと歩けば  cinquante-trois

風向風速計の風見鶏。どうして鶏なのでしょう!

由来は「最後の晩餐」にまでさかのぼります。

キリストが捕らえられて尋問されてる様子を、弟子のペテロが遠巻きに見ていました。

周りの人が怪しげな様子に「あなたはキリストの関係者ですか?」と三度ほど聞きました。ところが弟子のリーダーでもあったペテロは「いいえ、私は彼のことを知りません」と返していました。が、三度目の否定をした時大きな声で鶏が鳴きました。

あまりにも大きな鳴き声に驚いて我に返りました。師であるキリストに「私はあなたと常に一緒です。ともに死ぬ覚悟があります。」とまで答えたのを思い出し、深く反省して、弟子であることに誇りをもって、迫害や苦難を乗り越えキリスト教の布教に努めたそうです。初代ローマ法王とされる人物になったということです。

なぜ師であるキリストを裏切った人物が法王にまでなることができたのでしょう。反省してその後の活動がそれに上回るものであったからに違いありません。人はいつでも生まれ変わることができるということでしょうか。

「ペテロを目覚めさせた鶏!」キリスト教の発展に貢献したということで鶏は邪念を払う存在となりました。

反対に主体性のない人を「風見鶏」と言います。自分の意見がなくその時々の状況に合わせて優位な方に味方する。うまく立ち回っているようでも結局はどちらつかずとなって孤立します。

「意味のない群れに入るより意志ある孤独を好む」好きな言葉の一つです。

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