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花は散っても今がいい

日曜日の昼下がり。今日は暖かい日差しに子供や大人の笑い声がはじけています。

桜は下の方から若葉がのぞき上には追いやられた花がまだもう少しと風に揺れています。

あんなに咲くのを待ち望んでいたのにあれよあれよという間に季節の1ページをめくろうと暖かな風が吹いています。

子供たちは桜の花びらに目もくれず、それを見守る数人のママたちがベンチに座って桜を見上げます。

子供たちが、立ち止まって桜を愛でるには彼らのエネルギーはアツすぎます。
一際、鳥の鳴き声が大きくなってあちこちからさえずりが聞こえます。彼らは桜の蜜をもうしばらく堪能したそうです。

明治から今を見ている神戸公館

 偉そうなことを言ってますが季節の移り変わりを丹念に感じるようになったのは最近です。小さな季節を見つけることが出来るようになったのは時間が出来てゆっくり歩くようになったおかげです。
 もっと早くから知っていれば!とは思いません。これはこれで良かったと思います。
無理をしても、大きな川の流れに逆らうことはできません。今なら両岸の景色も観ることが出来るようになりました。
流されるままはあきらめではなく、力を抜いて生きることです。
思いもよらぬ主人の他界で大きな川に投げ出され、滝壺にも…。
もがいている間に水面に顔が出て、あがいているうちに少し流れがゆったりとなり、桜を楽しめるまでになりました。
桜は散ってもまた来年、同じ場所、同じ時期。約束を守って咲きます。あきらめは必要ない言葉だと知りました。

散る桜を見ることはまた来年同じように見るための始まりの一年ということです。
かと言って同じ一年は一つとしてありません。同じように咲いているようでも去年の桜ではありません。そんなことを考えると、シニア時代に入ったニケの一年が少しでもゆっくりと!と思いますが、そんなことはお構いなしに春の草に鼻を突っ込んで今を堪能しているようです。それでいい!それがいい!と思う今日この頃です。今日もいい日にしましょう。







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