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出会いは必然
なぜ私はこの仕事をしているのだろうか?そんなに好きでもないのに…。
それには意味があります。その職場に学ぶことがあるからやって来たということ。
なぜ私は、あまり好きでもない人と一緒に行動しているのだろう?
それはその人に伝えることがあるから。またはその人から学ぶことがあるからです。出会うべくして出会っているということです。その人が今必要な人だからと思えば、気持ちを変えることが出来ます。
自分の意のままに生きているように見えて本当はすべてとっくの昔から決まっていたように感じることがあります。
苦手であってもその人と出会ったのは先の人に引き合わせるために現れたのかもしれない。だから私は今此処にいると思えばそれもまた楽し!ですね。
偶然は実は仕組まれた必然。
何か意志的なものが実は裏で動いているように思えることが多々あります。
自分で切り開いた道のように思っている人生も本当は見えない道が既に存在していたようです。目には見えないだけで頭の中にはすでにこの道は始まったように思います。そこを歩くのだという覚悟も知らぬ間にあったのでしょう。
それを知らせてしまうと生きること自体 恐怖になって、前に進めない。それならばと偶然を装って、運命を受け入れるように導かれているのかもしれません。
両親のもとに生まれたのも主人と出会って一つの家族になったのもみんな必然。
突然の別れがきて、天と地がひっくり返ったように思えてもそれは私が運命という抗えないものの中でもがいていただけかもしれません。
その谷底から這い上がろうとやみくもに登ってもするすると元の位置に逆戻りしている。落ち着いてゆっくり周りを見渡せば細いながらも上に続く道があるのが見つかります。どんな迷路にも救いの出口はあります。
人生は旅だという人がいます。それぞれに見える景色は違っても目的地は一つ。
抗っても運命の針は正確に時を刻んで、命尽きる日はそれぞれ決まっています。旅の終わりに何を感じるか、今からの楽しみです。
その日時さえ生まれた時には決められていて突然の人もいれば、そうでない人も。それはなぜか平等の不平等。運命ですから…。
朝を迎えられたらそれを感謝し、夜、休むことのできる幸せに満足する。
それを素直に思えるようになったのはやはりいろんな人に出会ったからのような気がします。無駄な出会いは一つとしてないということです。
落ち込んでいるときに路で見つけた小さな花に癒されたならそれも必然の出会いだったのでしょう。
私が誰かの役に立ったならそれはそれでその人にとっての必然の出会い。持ちつ持たれつ一人では生きていけないということです。
遠く長崎からやって来たニケはもちろん偶然ではなく、私を癒すために現れた大切な宝物です。
今日はどんな出会いがあるかを楽しみにして、いい日にしましょう!
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