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ジェットコースター人生 その53-1

これまで52回自分の半生を書きました。その中で親子というよりは戦友?同志!の子供たちは私が選択した道に大きく影響しています。

息子はとうとう主人が逝った厄年に近づいています。

小学生で父親と別れることは、どんなに悲しいことだったでしょう。夫婦はしょせん他人。同じ道を歩むとしても、大人になってからのつき合いになるわけですから、私が抱いた別れの感情とはまた違っていたことでしょう。

中学、高校と一番ナイーブな時期をどのように過ごしたのかはわかりません。

その当時、慣れない仕事の毎日で子育てどころではありませんでした。

私は彼に東京の高校を奨めました。親せきがいるわけでもなく、たった一人で住まわせることに私の両親は心配し、同学年の母親は「かわいそう、

あなたも寂しくなるから傍に置いておいたら?」と反対意見ばかりでした。

息子には「あなたは長男だから、お父さんの代わりにしっかりしてあげてよ。」といろんな人が激励?してくれます。

また「何か思いつめた顔で歩いていたけれど大丈夫?」と私に報告してくれる人もいます。

「このままでは息子の気持ちがつぶれてしまうかもしれない。」

そこで決めました。「プレッシャーのないところにいかせよう。」

中学3年生、東京の高校を二か所二人で見に行きました。

二人で新幹線に乗るのは初めてです。ちょっとした旅行気分であっという間につきました。

一つ目。制服を着た学生はみんなお坊ちゃま風、高校生ながらもおしゃれです。校舎もきれいで環境もよさそうです。すでに○○ボーイです。

もう一つの方は正反対!私服でほとんどの学生が自由な感じ。校舎も男子校ならではでした。

入学することになったのは後者。

商売で大変な時期にこんな決断をしたのは乱暴だったかもしれませんが、

そこで自分の道を見つけてほしいと思う気持ちだけでした。

民間の寮に入ることになりその寮長夫妻に挨拶して、とんぼ返りで戻ろうとすると東京駅まで送るというのです。初めて降り立った土地なのに「帰れなくなったらどうするの」と心配する私に結構平気な顔で言います。「大丈夫」

「体に気を付けてね!」と新幹線に乗る間際、振り返っってみた顔はちょっと何とも言えない寂し気な笑顔でした。

動き出して「さあ私も頑張らないと!」と思うと同時に「これでよかったのか、家から放り出したことは間違いではないのか」と自問自答の3時間でした。

あの日の顔はいつまでも忘れることなく私の中にあります。

もう息子はそんなことすっかり忘れていることでしょう。






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