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挨拶は人間関係の始まり

一日の始まりは「おはようございます」この一言で今日がいい日になるような予感さえします。

からだの調子が悪かったり悩み事があると挨拶もそこそこで暗い朝を迎えることになります。気持ちが乗らないとなります。

散歩をしていると知らない人もすれ違う時挨拶をします。
これから布引の滝に行く人もいて、暗闇の中、日の出前の短い間ですが、
身体の温まり具合と同じように気持ちも挨拶をするごとに温かくなってきます。

最近はちゃんと挨拶をするということがなんだか古臭いだとか面倒くさいと知らんぷりの若い人がいます。

よく見ているとわざとほかのことをして挨拶をスルーしている人もいて
この短いフレーズさえも遠くに追いやられていくのかと思うと少々寂しい気もします。シャイなんでしょうね。たぶん。自ら元気に挨拶できると仕事も…。というのは昭和時代の思い込みでしょうか?

家族同士でもみんな朝の挨拶に始まり、「いただきます」「ごちそう様」会話の中の「ありがとう」そして休む前の「おやすみなさい」

それが普通のことだと思っていたらそうでもないようで…。

「ありがとう」の言えない子供もたくさんいます。親が「ありがとうと言いなさい!」とたしなめてももじもじしている様子は可愛くもありますが、大きくなってそれが言えない若者は感謝の気もちをどう表現しているのか知りたくなります。案外たしなめている親も挨拶が出来てなかったりして…。

何もバカ丁寧なあいさつは不要ですが小さなエチケット。自然に言えることが偉いとなるとは困ったものです。

そんなことを言うと今の人には昭和時代のおじさん、おばさんはうるさいなあとなるのかもしれませんが、そう思われてもやっぱりあいさつは交わしたいんです。

訓練生のころ、実際の飛行機に乗り込んで最終的な実施訓練をするのですが、ジャンボジェットにはたくさんのクルーが乗り込んでいて、それぞれ搭乗までの短い間、忙しく動き回っていました。

挨拶するタイミングを逃して、アナウンスの練習をしていると一人制服の違う女性、パーサーがやってきてこっぴどく叱られました。挨拶をしなかったからです。

あいさつしなかった理由など聞く耳持たず!と言った厳しい表情でしたが、どこかまあいいや!という安易な気持ちを見透かされたようで、顔から火が出るくらい恥ずかしかったのを思い出しました。

今では注意されてありなんと思えるようになりましたが、今いろんなことを教えたり注意する先輩や年長者が少なくなっているのも原因の一つかもしれません。

歳を重ねても「嫌われたくない」「物わかりのいい老人」と思われたいのか…。ここは心を鬼にして伝えるべきだと思います。
分かっていてもその一言がなかなか出ないのは分かりますが、やっぱり人間関係を良好にする一つのツールとしてあいさつは大切だということです。

今日もいい日にしましょう!「いってらっしゃい!」


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