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GRヤリス 2年半と3万キロと後悔

前述──後悔に対する持論

 人は誰しも、買ったことを後悔するような買い物をする事がある。

 1年前の事だ。私はふと、ハイコーキの電動レンチを探していた。
別にマキタに不満がある訳ではない。ただ、私が持っているバッテリの
規格がハイコーキのマルチボルトシステムに対応しているから、という
それだけの理由で私はハイコーキを選択することを強いられていた。

 ハイコーキを買ったこと自体に後悔がある訳ではない。
ハイコーキの電動工具は締結トルクも強く、耐久性も悪くはない。
アマゾンの公式ストアで買えて入手性も良く、普段使いに最適だ。
なにより、性能比での値段を比べた時に、マキタより安かった。
そんな訳で、私はハイコーキの電動インパクトを購入して愛用していた。

 このレンチは非常に強力なトルクを備えており、DIY精神溢れる客が
インターネットで得た知識で取り付けを行い、愚かにも足で工具を
踏みつけて締めたたせいでトルク管理も何もなくガチガチに固まった
哀れな中国製アルミナットを安物の社外アルミから救出するのに
何の苦労もしない程の性能を持っていて、私はこれを甚く気にいっていた。

 しかし、不運な事にこのレンチは保証切れの直後に壊れてしまった。
仕事道具でもある為、私は買い替えか修理を迫られる事となった訳だ。

 ハイコーキの数少ない欠点なのだが、補修パーツの値段が少し高い。
その為修理をして使ってまた壊して…というサイクルを繰り返した場合、
5年後に手元に残る金額を考えると、新品に買い替えるのと大差ない筈だ。
幸い、バッテリーはまだ使えるし、本体だけ買い替えようと私は考えた。

 週末(私にとっては月曜日という意味だ。唯一の定休日だから)、私は
20km程離れたこのあたりで一番大きいホームセンターへと足を運んだ。
軽トラとハイエース、そしてどんなに新しくても2017年製だろうと予想
できる軽自動車の群れの中、比較的凹みやキズが少なそうな新しめの
乗用車の隣を選んで愛車を停める。明らかに農家とわかるトラックの隣は
好ましくない。タマネギ等を積む際に、箱の角をぶつけかねないからだ。

 マシな場所を選びに選んで車を停めると、電動工具のコーナーまでは
駐車場の一番端から20kmは歩く事になる。恐らくここの土地の面積は
ヘクタールで表すのが適切だろう。インターチェンジの近く、人が住む
需要のない放棄された広大な農地跡の活用法として、ホームセンターは
老人ホームと火葬場の次位には正しい選択肢なのだと思われる。

 歩き疲れてため息をつく頃、漸く電動工具のコーナーが見えた。
私はそこで、丁度探していたタイプのレンチの展示品を見つけたのだ。
棚卸処分特価、現品限り、という魅惑の言葉をタグに乗せて、金属棚に
飾り気なく置き放してあったそのレンチの値段に、私は心を奪われた。

 なんと、定価より1万5千円…他所の店で同じものを買うより5千円以上
値段が安かったのだ。(メーカー小売希望価格が一切守られないのは
この国のダメな所ではあるが…消費者目線で言えば、ただ有難い。)
そこで私は早急に店員呼び出しボタンを押し、彼が15㎞先の店員控室
から歩いて来るのを数時間待った後に、この電動工具にクレカを切った。

 結論からいうと、この買い物は失敗だった。
と、いうのも、展示品故に保証期間が半年しか残っておらず、
しかもその半年が過ぎた丁度7ヵ月目に、モーターから煙を吹いて
以降さっぱりと動かなくなった。大いに得をしたはずの私の
手元には、何の役にもたたない壊れたレンチが2本も残った。
1万5千円をケチったが為に、両手に壊れたレンチを握りしめて
慟哭に震える哀れな異常成人男性が誕生してしまったのである。

 これは、時が経てば笑いのタネになるような事なのだが、
事が起こったその瞬間に考える事なんて、たった一つしかない。
「買わなければよかった」。「なんで私はこれを選んだのか」。
(そうでもない場合もあるが)選択というのはいつも後悔の引き金になる。
その選択肢を選んだ己を恨みたくなり───虚しさに項垂れてため息をつく。

GRヤリスという車は、そんな究極の後悔を私に齎した、罪深い一台なのだ。


後悔の理由(使い勝手編)

 結論からいう。安易な気持ちでこの車を買うと、後悔する事になる。
「一目置かれるスポーツカー」として買う人間は当然の事ながら、
「最高のドライブマシン」としてこれを求める人間も皆後悔する事だろう。

 先に言っておくが、この車に実用性という概念は存在しない。
勿論、もっと不便な車は幾らでもある──これはエアコン未搭載の、
RCグレードのGRヤリスの事を指す──が、正直言って普段使いに
向いているとは口が裂けても言えない、バカバカしい性能だ。

 まず、この車に乗る上で必須なのが予防安全パッケージだ。
30万円程するオプションになるのだが、これがないと話にならない。
衝突防止ブレーキやBSMの類は何の役にも立たないが、開発者が
「おまけ」として付けたその他の機能こそ、この車に真に必要な物だ。


 まず、最重要なのがヘッドアップディスプレイ(以下、HUD)だ。
これは運転席側のフロントガラスに速度や回転数を表示してくれる
非常にオシャレで全人類の中の少年心を擽る素敵なアイテムなのだが、
これが無いとまず間違いなくCB1300を駆る白馬の王子様の世話になる。

 この車は、制限速度を守って楽しくドライブ!のような戯言に
付き合って、高齢者マークを貼り付けた日産デイズの後ろについて
時速32kmで走り続ける事に、あまりにも向いていないのだ。

 何故ならこの車はラリーで勝つために生まれ、ラリーで勝つ為に
作られている生粋の「スポーツカー」であり、開発者が想定している
速度は、制限速度の4倍を優に超えている。その為、スピードメーターを
睨みながらカッコつけて3速にシフトアップするような余裕は一切ない。
また、60km/hで走ろうが120km/hで走ろうが感覚が大して変わらない為、
後方の白バイや覆面を探しながら速度を確認できるHUDは、必須の装備だ。

 続いてバックモニターとコーナーセンサー。これも、必須だ。
この車のCピラーは、樹齢1000年の屋久杉の直径と同等程の太さがある。
おまけに巨大なウィングをレギュレーションを守りながら取り付ける為
ルーフは車両の中心から後方に掛けてなだらかに下がっているので、
リヤウィンドウは渋谷を歩く女子高生のハンドバッグよりずっと小さい。
その為、サイドミラーを除く後方視界は無いに等しく、駐車の時にこの
2つがないと、縁石のない駐車場でFRP製の薄いバンパーを真っ二つにし、
アルミで出来たバックドアをくの字にへし曲げて世界を呪う事になる。

 そのバックドアを開け放ち、積載量の確認をする事も怠ってはならない。
後述の役に立たない後部座席を立てたままだと、極狭のラゲッジに載るのは
除草剤が2Lにゴルフボール数個、そして靴下が2枚といった所だろう。
後ろに人を「積載」する事を諦め、シートを倒せばゴルフバッグが4つ程は
入るが、運転席と助手席には1人づつしか座れない為、あまり意味はない。

 また、この車は一応4人乗りという事になっているが、4人乗りではない。
後部座席は健康的で文化的な最低限度の乗り心地を保証するものではなく、
バスの補助席がのぞみのグリーン車に思えてくる驚愕の狭さだ。
おまけに、この車は2ドアなので、後部座席への乗り込みは拷問に近い。
インド人なら3人は後ろに乗れる筈だがそれ以上は物理的に無理だろう。
それでもGR86やFT86よりは幾分かマシな席なので、一応人を積む事は
可能と言える。両親を乗せてDVで訴えを起こされない保証はないが。

 さらに言うなら、人とモノが載らないだけではなく、取り回しも悪い。
全幅は1805mmもあり、おまけに旋回半径は最低でも5.3mを要する。
4mに満たない小型車でありながら、アモコ・カディスより舵が重い。
オーナーにはグーグルマップに翻弄され、田舎の裏道に突っ込んで
しまった時、自分の車がアルファードだと思い込んで図々しく運転する
面の皮の厚さが必要となる。心優しい私には、ちょっと辛い所だ。

 また、車自身も自分の事をアルファードだと認識してしまっている
トランスモデル車両な上、ハイオクしか受け付けない偏食家なので、
リッター10kmしか走らないこの車にハイオクを注ぎ続ける事になる。
無理して買った23歳の若造の財布を破壊するのには、十分な燃費だ。

 全くもって、この車は公道や町中を普通の車として走る事に向いてない。
では、何に向いているのか?…それは、「普通に走らない事」である。

後悔の理由(思い入れ編)

 この車の最大の魅力。それは「運転する喜び」の大きさに他ならない。
ラリーで勝つ為に作られた、と前述したが、それだけの為の車ではない。
何故、ホモロゲーションモデルでありながら台数に限定がないのか。
前社長の言い訳はこうだ。「本気で勝ちたいから専用モデルが要る」。
だから、専用のボディで規定数の2万5千台以上作る必要がある、と。

 しかしこれは、規定を言い訳にしたオタクの暴走に他ならない。
そうでなければ、新規開発の1.6L3気筒直噴ターボなど産まれてこない。
まして小排気量で272馬力、370Nmの大出力など出す必要がないのだ。
ただ粛々と屋根がカーボンでアルミボディのホモロゲモデルを、もう少し
コストの掛からない方法で、2万5千台限定で売る事だって出来たはずだ。

 だがトヨタはそうはしなかった。楽しい車を作りたかったからだ。
専用の6速MTに専用の4駆システムが奢られた車体の運動性は正に抜群。
シフトギアを2速に叩き込み、アクセルを踏みながらコーナーを抜ける。
たったそれだけで、昨日の上司の小言も免許の点数も全部吹っ飛んで行く。

 2500回転を越えた瞬間豹変する3気筒エンジンの奇妙な咆哮は耳を劈き、
環境活動家の鼓膜と横隔膜を破壊しながら強烈なトルクを一気に吐き出す。
7000回転まで踏み込む頃には強烈なGに自分自身の肺も潰れているだろう。
それでもなお、止まる事ができないまま酔っ払いの猿のようなだらしない
笑みを浮かべて、革巻きのシフトノブを次のギアへ叩き込んでしまう。

 車好き(自称、や評論家気取りを除く)にとって、この車は正に魔性だ。
現代的なスポーティカーを装いながら、その本性は限りなく狂暴。
絞り出すような高回転型のエンジンに、大径のシングルタービン。
ヒヤリとさせられる程のパワーと、それを綺麗に抑え込むボディの剛性。
限界まで振り回すのは公道では不可能と感じさせるほどその懐は深く、
故に、安心してスピードを出し、そして免許を失う事が出来るのだ。

 人を選ばないと言えばウソになるが、その見た目も蠱惑的だ。
車名を共有するヤリスの面影がない程に拡大されたワイドフェンダー。
その中に呑み込まれている16インチのローターとビッグキャリパー。
冷却効率という文字が嫌が応にも頭をよぎる、巨大なフロントグリル。
そして誇らしげなカーボンルーフは、その表面のシートを捲っても本物だ。
寸詰まりなボディにスポーツカーの魅力が押し込められたそのデザインは、
まるでマニアックな同人に出てくるSDキャラのセクシーイラストのようだ。

 この車は、スポー"ティー"と言うには、あまりにも本気過ぎる。
大人気ない企業が作った、ぼくのかんがえたさいきょうのくるま、だ。
これだけの装備と仕様を詰め込み、半ばハンドメイドのような生産体制を
取りながら、若者が無理すれば買える金額に留めたのは、偉大の一言だ。
ある者達が家族を乗せた直4のミニバンでうどんを食べに行くように、
私は直3のターボ車で200km先までソフトクリームを食べに行けるのだ。

 実際、この車の為に、私は20代の前半を全て投げ打った。
その価値があったと今でも思っているし、これからもそう思い続ける。
…そう思わせてしまうのが、この車がとても罪深い理由なのだ。

私の後悔

 この車を買って私がした後悔はただ一つ。
今後の人生において、この車以上に楽しい車に出会う事はないだろう。
…そんな確証を、30に満たぬこの歳で得てしまった事である。

 GRヤリスは、コンピュータ仕掛けの量産型スポーツカーに過ぎない。
しかし、作った人間と、乗る人間の悦びを載せた時、そこに魂が息吹く。
走る為、という純粋な目的を達成するために研ぎ澄まされたその一台は、
生活の為の道具と言い切るには余りにも官能的で、歓びに満ちていた。

 私は、「ちょっと普通じゃない車」を買ったつもりだった。
見た目が好きだし、頑張って乗っちゃおう、と軽い気持ちで購入した。
その事を、手放す事を決めた今もなお、後悔し続けている。

 今後の私の人生において、GRヤリスを超える車は現れない。
そんな強い確信が私の中に存在している。きっとそれは揺るがない。
何故なら、今後の私が選ぶ車にはどこかしらに妥協があるのだから。
絶対にこれがいい、と決める程に心底惚れ込んだのはこの車だけだから。
そしてきっと、その期待に応えられるのも、この車だけだったから。

 期待はしている。この車を超える車との出会いを。
でも、こんなに素直で暴力的で、魅力に満ちた車は二度と買えないだろう。
そう思える程大好きな車だ。私にとって、GRヤリスは何より特別な一台だ。

 手放す理由は幾つかある。
でもそれは、手放したくない理由と比較すると、ずっと少ない。
もしお金に余裕が持てたなら──私はきっと、またGRヤリスを買うだろう。

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