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オーストラリアの小学校で北京語を6年間教えてみました。

野本響子さんの記事を読んで「(何とか)してみた」っていう体験談を書くことをすすめられていたので、私の中にある「(何とか)してみた」シリーズを書いてみようと思う。

まず第一回目の「してみた」シリーズは「北京語を教えてみました」にしました。

日本の方で北京語を教えてる方って実際どれぐらいいるんだろうと、よくおもってます。私はHSKレベル4をやっとパスしたぐらいだし、実際中華圏に住んだこともないので、発音や表現には全く自信がないっていうのが、現在の自己評価です。実際子供たちに教えてみて、毎日北京語の難しさが身に染みています。

北京語を教えることの壁から話した方がいいのか、楽しい部分からはなしたほうがいいのか。

じゃあ、まずは楽しい面から。

1.英語がまったく話せない、学校にいる保護者のおばさんやおばあちゃんみたいな人に安心感を与えることができる。ほどんどの保護者さんはわたしがネイティブじゃないことを知ってるので、話すと、地元の人と中国語で交流している感を生むようです。いろんな人がいて、北京語がたくさんの人達と触れる機会を作ってくれます。

2.漢字の魅力を子供たちに伝えることができる。中学や高校から大学受験のための漢字を教えるのと小学校から漢字を導入する方法全く違う。例えば、部首や歴史の視点から漢字の楽しさを教えたり、古代文化につなげて、漢字意味が変わっていったかなどを教えるのは楽しい部分。

3.オーストラリアの北京語教員不足に貢献している。

そして壁は、

1.自分(爆)。完璧を求めがちな性格の私には、第三国語を教えることじだい、挑戦させられることがたくさんある。そこで、一番高い壁は自分の自分に対する批評の声や自意識過剰になるところ。素にもどれば、間違えても「間違えてますよ」って言われるぐらいで、たいしたことではないのはわかっているが、インナーチャイルドの恥みたいなのがたくさん出てくる場合が多いです。たとえば、発音や声調の間違えや、イントネーションをネイティブに聞かれる時には過剰に意識しがちになる。

でもこの壁を抱えてながくなるが、気づいたことは、自分を自分で批評している部分は、同じことを他人がやってても、批評している。だからもっと批評の声のボリュームを低くすれば、他の人へのジャッジメントを減らすことができ、北京語も自然にもっと上手になると思う。

YouTubeに上がっている子供向けの北京語のストーリーなどに大変お世話になってます。子供たちも含め、私も一緒に大変勉強になってます。


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