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持続可能なデジタル・ミュージアムとは(第5回):解説のエコシステム

展覧会に音声ガイドを導入しておられる館は多いでしょう。音声ガイドの歴史が大変長く、欧米では1950年代までさかのぼることは、この分野を代表する会社の一つで、東博でもよくお願いしているアートアンドパートさんが自社のウェブサイトの中で紹介されています。実際に今どんな仕事をされているのかは、やはり多くの展覧会を担当していただいてきたアコースティガイド・ジャパンさんが最近noteを立ち上げていて、様子をかいまみることができます。眼による鑑賞を止めずに、リアルタイムで観覧者に情報を伝えられる、という点で、すぐれたしくみです。

一つの展覧会に使う音声ガイドの制作は、私もいくつか経験しましたが、なかなか大変な仕事です。ふつう、展示しているすべての作品にガイドは付けられないので、まずどれにガイドをつけるかの選択から始まり、読み上げる本文についてはだいたい図録の項目執筆者と制作会社との間でやりとりをしながら、固めてゆきます。耳で聞いて理解してもらわなければなりませんから、言葉づかいや文章の長さも、図録とは異なった配慮が必要です。読み仮名やアクセントもかっちりと付けなければ、音声になりません。読み上げての校正は必ず対面で行いますし、録音の時間も確保すると、けっこう厳しいスケジュールでの対応を迫られます。

一連の仕事のどのプロセスもとても繊細で、専門性と多くの手間が求められます。コストの高い業務ですが、専門の企業が成り立ってきたのは、展覧会場でのデバイスの有料貸し出しがセットになっている、というビジネスモデルだからでしょう。特に集中的な来観者が見込める特別展に活用されるのは、当然のことです。逆にたとえば平常展で一つの作品のガイド制作にかかったコストを回収しようとすれば、そのガイドを長期にわたって使いまわせるという条件をクリアしなければなりません。展示品が文字どおり「常設」であることが多い、欧米のミュージアムではこれが可能ですが、財政的に豊かとは言えず、かつ展示替えが多用される日本(韓国、中国なども共通するか)の多くの平常展示では二の足をふむことになります。音声ガイドの個別の技術的な要素はデジタルで置き換えることができるかもしれませんが、ミュージアム運営の中でのエコシステムとしては成り立ちづらいのです。

東博と株式会社電通国際情報サービスクウジット株式会社とが、パートナーとして共同研究を進めていたスマートフォン利用の展示鑑賞ガイド「トーハクなび」のサービスを、館内でいちばん大きい展示空間である本館で展開しようと検討を始めた際に、関係する部署の間では「どのようにすれば仕事量の増加を抑えて長期の運用ができるか」という課題に対応する必要がありました。国内では比較的スタッフに恵まれた東博ですが、20室以上ある本館の展示はいくつもの部署が関わって、毎週のように展示替えを行いながら、維持しています。ここに新しいサービスを一つ投入すれば、当然業務量は増え、各部署・各職員への負担が加わります。

実際に行われた対応は多岐にわたり、私も立場としては担当部署から対応を求められた側なので、全体を把握しているわけではありません。主に「データの使い回し」という視点から、多少見ておきます。データを使い捨てにすると、ムダが生じるというだけでなく、同じようなデータの再作成を強いられた際の関係者の疲弊が大きいからです。

「トーハクなび」にはさまざまな技術要素が組み合わさった複数の機能がありますが、展示室内では、展示品の前で説明の音声を聞くという、既存の音声ガイドと同じような役割を果たします。展示の担当者は、1つの展示区画に対して1つの作品を選び、画像と読み上げ用の解説文を用意し、担当部署である博物館教育課がとりまとめた上で、音声データを作ります。

ここで日本語と英語については合成音声の採用が、大きな決断の一つでした。text-to-speechの技術が発展してきたため、比較的少ない手数で汎用性のある読み上げ音声データを自前で作って保存することができるようになったのです。ひんぱんな展示替えがあるといっても、定番の展示品は1年に1回とか2年に1回には、展示室に姿を見せますので、最初に一度きちんと解説文と音声データを作っておけば、次回からだいたい使い回せます。実際、2、3年たつころから、「トーハクなび」制作の次の予定を立てようと、展示予定リストと照合すると、「あ、これは前回作ったから今回は再利用でいいですね」というケースが徐々に増えました。画像データ管理の改善を図った時もそうだったのですが、データの再利用が可能で、今がんばっておけば将来の手数が減る、という見込みが期待できると、みんなけっこうデータ作りに前向きになるものです。

もう一つだいじなのは、こうやってできたデータは館内で使うだけでなく、ネットを経由すれば館外からも利用が可能になったことです。実は、国立博物館所蔵品の検索システム「ColBase」で引ける作品の中には、「トーハクなび」で使っている音声データをぶらさげているものがあります。これは、作成した音声データを元締めの館蔵品データベースに紐付けてあるからです。たとえば、国宝「一遍聖絵 巻第七」の作品ページをごらんください。画面左下の「ダウンロード」に日本語、中国語、韓国語、英語の解説音声データがあります。2019年度末(2020年3月)までは、中韓は音声合成の対応が間に合わず、館内では人声の音声ガイドという二本立てになっていました。音声データ形式が日英はwav、中韓がmp3と別になっているのは、そのためかと思います。合成音声の再現性の高さと、同時にやはり感じられる多少のぎこちなさも確かめていただけます。

なお、「トーハクなび」は2020年4月からのリニューアルがアナウンスされており、対応するアプリはiOS版、Androido版ともストアで新版がダウンロードできますが、残念ながら現在の状況では、館内でお試しいただくことができません。

特別展の音声データはその特性上、消費材になってしまうことがある程度やむをえないのですが、コレクションに関する情報はできる限りストックして資産として利用できるようにしたいところです。そのためには技術的な対応だけでなく、学芸関係の業務フローまで含めた見直しが必要になってくるのです。

「トーハクなび」の全体像とその活用成果については、担当課である博物館教育課のスタッフによる各種のレポートをご一覧ください。

*ヘッダ画像は筆者撮影、東京国立博物館 特集陳列「資料館における情報の歴史」(2013年1月8日〜3月3日)より、1990年代前半の画像検索システム。

(つづく)

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