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動き始めは行ったり来たり。

こんにちは、にじ種えりです。
パステルアート教室をやっていますが、私がパステルアートをやり続けている理由を書いていこうとしたところ、息子たちの話が続いています。

どうしても家族の話は私の中の一部でもあるので、省くことができません。私が成長するきっかけにもなったし、立ち止まって自分と向き合うきっかけになったのも息子たちの不登校がきっかけだからです。

長男が高校2年生、次男が中学2年生になった頃。
その頃の長男は全く学校へ行かなくなっていました。何度も先生と面談して話し合ったけれども話は全く進まないまま、本人にはもう行く気力もない様子でした。1学期は様子を見ていたけれど、学費ばかりがかかって全く行かないのでは「もったいない」。現実的に厳しくなってきていました。

転学を考え始めた私は、色々と調べて私立通信制から都立通信制への転学をしてはどうか?と本人に持ちかけてみました。本人的には今の学校を変われるならどこでもいいと思っている様子。

ちょうど夏休みに後期の転学チャンスがあるので、都立の通信制高校に決めて転学することに。長男は前向きに勉強を復習し、テストを受けて無事に転学することになりました。勉強に関しては嫌いではないんですよね。やればできる男(笑)

その頃次男にも少しずつ変化が。行かないと言っていた体育祭ですが、見学ならいいというので見学だけの参加をしました。そこで同じように学校へ行けなくなっていたお友達と一緒になり、話をするようになったのです。

お友達というのは偉大なものですね。
不登校になって学校へは行きたくなくても、お友達は欲しいのです。ひとりぼっちが大好きなわけではないようです。欲しているんですよね。

同じようなお友達が増えて、別室登校することになりました。不登校仲間というのは、本当に心強くて同じような想いを共有できる唯一の仲間。クラスには入れなくても別室だったらと週に3回くらい1時間だけ学校へ向かうようになりました。

秋には職場体験があって、次男が選んだのは幼稚園。3日間の職場体験は朝からまる一日で、学校へ行けない次男には厳しいかな?と思ったのですが、なぜか幼稚園では水を得た魚のように生き生きとし、楽しそうに3日間過ごしていました。

最後の日には、子供たち一人一人に折り紙のプレゼントを作って渡すほど。
子供が好きな次男にはピッタリと合っていたようです。

中学2年生の1年間は少しずつ外へ向かい始めた次男、クラスにも少し入ってみる?という話もありました。実際に課外授業があるので、そこへ向かって準備をしていたのです。本人もそれには出席するつもりでした…コロナで中止になるまでは。

通信制高校を転学した長男も、初めは張り切っていました。週に1回のスクーリングには毎週出席し、普通の授業が久しぶりだと嬉しそうに話してくれていました。レポートも期限に遅れないように提出し、順調そうに見えていました。

年が明けて2020年、最後の試験があり、その試験に合格すれば単位を取れる状態でした。それなのに、最初の試験の日に体調を崩して早退。そこで長男の糸は切れてしまいました。

また前の時と同じような感じになり、学校へ行かなくなってしまったのです。そして「学校をもうやめる」と言い出し「絵を描く勉強するから中卒でいい」とまで言い出してしまいました。

なんとかかんとか説得したけれど、単位はとれないまま。しょうがなく次の年の科目登録だけは無理やり連れていき、なんとか繋ぐことにしました。

動き始めても、行ったり来たり。そんな日は続いていました。そんな時にコロナがやってきます。その続きはまた次回に。


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