見出し画像

サナギみたいな1年間

こんにちは、にじ種えりです。
私がどうしてパステル教室を開いて、今も続けているのかという軌跡を書いているつもりですが、今はほぼ息子たちの不登校話になっております。

今から3年ほど遡っていますが、その時期はまるでサナギのような感じで蝶々になるためにとても大切な時期だったような気がします。

長男が高校生になって次男が中学生になった頃。
変化に対して息子たちもそして私も期待を持っていました。何かが変わるんではないか?と。変われるんじゃないかなって。

長男は通信制高校の5日間の登校コースに入学し、ほぼ毎日学校へ行っていました。さらにプログラミングのコースもやりたいと言い出して、プラスその勉強も始めました。さらにさらに、秋にはホームステイをするとまで言い出したのです。

1年間引きこもっていた長男、体調もすぐに良くなったというわけではありません。スタートダッシュすぎる〜〜!(汗)本人的にはこれをきっかけに頑張ろう!て思っていたんだと思います。

1学期はダッシュしたまま過ぎて、夏休み。休んだことで糸が切れたんでしょうか、急に体調が悪くなり始めました。また腹痛を訴えたり体がだるくなったり。やっぱりな〜〜だって頑張りすぎだもの。

2学期からだんだん学校へ行かなくなり、気力もなくなっていきました。なんとかかんとか予定していたカナダへのホームステイには行ったものの(無理矢理でした〜〜涙)カナダで体調不良になってとても心配な日々でした。

学校へは行けなかったけれど1年生の単位はなんとかとっていましたし、スクーリングにだけは参加していました。それがギリギリでした。本人は糸が切れたような状態なので、もう何を言っても豆腐のようにぐにゃりと吸収してしまう感じ。

何もできないまま、学校との話し合いも平行線のまま、日々は過ぎ去っていきました。

その頃の次男、最初の1週間だけ頑張った中学校生活もやはり行けなくなり、また元のような引きこもり生活を送っていました。

次男に関しては、児童精神科へ通って相談をしていました。長男は一度行っただけで「特に問題ない」と言われて終わりでした。ただ、最初のうちは次男も一緒に連れて行って先生と話をしていたのですが、徐々に行きたくないと言うようになり、ほぼ私だけが近況を話しているような感じでした。

次男は音にも敏感だったり、周りの状況に左右されやすかったりするため、その対処法を教えてもらったり。あとは学習障害の可能性も指摘されたので検査してみたり。結果はかなりグレーゾーンでIQにも問題がなかったので、あとは薬を処方することしかできないと言われました。

他の病院(学習障害の研究をしているようなところ)を紹介されたので、次男を連れて行った時のこと。

かなりの時間をかけて問診票を書き、かなりの時間待たされて、診察も一から次男の様子を話して…。でも、結局病院にできることはないから、教育機関に相談して欲しいと言われました。え、そうなんだ。

その時の次男の一言

「もう、いい?」

その言葉と表情が今でも忘れられません。
そっか、私が必死になってただけなんだ。

原因を見つけてスッキリしたかったのは私だ。
そう気が付いて、それからは病院を連れ回すことをやめました。
原因を追求することも。

長男も次男も、何か問題があるわけではない。
発達障害グレーゾーンではあるけれど、それが何?
生きづらさはあるだろうけれど、個性だと言われたらそうだし。

そういうメガネをかけて見なければ、愛すべき3人の息子たちだ。
シンプルにそれでいいんじゃないかな?

そんなことを感じていた日々でした。
そこから少しずつ少しずつ、時間をかけてゆっくりと殻を脱いでいきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?