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映画レビュー「マッドマックス:フュリオサ」


ULTRA-4DXで鑑賞。本当に揺れが凄まじかった。何回かしか4DXで観たことないけどトップクラスの揺れだと思う!!

さて、前作の怒りのデスロードは、超がつくほどの神映画だったのでその続編となる本作に期待をしていのですが…


各キャラクターの人間模様が薄め


フュリオサの過去に焦点をあてるため、際立たせるため意図的にそうしているのだろうか?新旧の登場人物、どちらも全体的にサラッとしてる。唯一、イモータン•ジョーの部下であるジャックとの関係のくだりは少し丁寧に描かれていたかなと感じたが…それでもほんの少し。イモータン•ジョーなんて殆ど出てこない!どーゆーこと?!イモータン•ジョー役の俳優が亡くなってしまっているから?特に悲しかったのは、ウォーボーイズの描写。ほぼゼロ。前作はニュークスという、それこそフュリオサ並みに主人公にもなりうる視点で描かれた感情移入してしまうキャラクターだった。なんというか、マッドマックスって、敵にしろ味方にしろ、死んでほしくない濃い珍キャラたちがストーリーが進むにつれバトルの中でバンバン死んでいくのが面白かったのに、今回はなんか扱いが雑なのである。それなのに、怒りのデスロードで大ブーム(?)になったV8や「俺を見ろ!」などなどがこれみよがしにほら知ってんだろぉ!お馴染みのこれだしてやったぜぇ!みたいな「内輪ノリ」で出てきてなんかゾワっとした。

そして、肝心のディメンタスが一番薄い。

映画フュリオサのインスタをフォローしてるんだけど、ディメンタス役のクリス・ヘムズワース(イケメン)と、フュリオサ役のアニャ・テイラー=ジョイ(カワイイ)が並んで宣伝してるから、あれ?そーゆーかんじ?と思った。観る前までは、敵なのか味方なのかわからなくて、そうやって宣伝するくらいだから勝手に味方だと思ってた。笑 だけど実際に観てみると完全に宿敵ではないか!まだ映画を一度しか観ていないから理解できていないのかもしれないけど、フュリオサは憎しみを超えた憎しみを抱いている復讐したい相手ではないの?!と。だとしたらものすごく薄いし、もの足りない。

資源の描写が薄っぺらい


前作では、水がものすごく貴重であることがわかる描写が随所にあった。映像を見ているだけで喉が渇くしイモータン•ジョーがピタッて滝を止めるシーンはえげつないし、逃げた妻たちが砂漠で水浴びをするシーンなんかはただただ美しい。そんなこんなが、フュリオサでは微妙に端折ってある!!どーして?割と重要だと思ってたのでショックです。イモータン•ジョーがバーをズギャーンして水ドドドド、またガンって戻してピタッと止めるシーン、へんな内輪ネタぶっ込んでくるんならそーゆーの普通にねじ込んで欲しかった。

その他、禁断の果実をもぎ取ろうとするシーンからこの映画は始まるのだが、「緑の地」を象徴する種子や実った果実などが要所要所に登場するものの、全体的にそれらの植物に関しては資源描写が直接的ではなくて、なんだか「詩(ポエム)」ぽい。

燃料や部品、武器においては貴重なのはわかっているのだけど、こんな感じで貴重なんですよって、取ってつけたようなシーンがちょこちょこ出てくるだけでインパクトがあまりない。

燃料といえばガスタンク。それをクソデカトラックで運ぶのが彼らのルーティンワーク(?)とはいえ、既視感もあるし、クソデカトラックが登場した時はあーそれね、、で?!みたいになってしまった。カーアクションは確かに観たい。が、怒りのデスロードよりビミョーな感じするのはなぜ?!あと、燃料で争ってるというより、権力で争ってるっていうか、だとすればもう少しディメンタスのこと詳しく描いてほしいな。酷いやつだけど憎めない部分があるってことなら、やっぱりもう少し詳しく描いてほしい。犬死にするディメンタスを、最後はフュリオサとの一騎討ちで描いてるものの(それ自体はとてもいい)、どんなに殴られても全然顔ぐちゃぐちゃにならないしどうしたいキャラクターだったのか、結局ディメンタスってどーいう人で何がしたかったんだろう。そのラストも「詩」ぽくてぼんやりしていた。

フュリオサの左腕


いつなくなってしまうのかドキドキしてたら、ここ?!ってところでなくなった。左腕がメカに変わるところって本作ではハイライトでは無いのか?!!!????!びっくりである。私的には、左腕は自分で切り落としたか、自分のこと以外の事故などでなくなったと思っていた。たしかに、鎖に繋がれている時に自分でちぎったけれど、その少し手前のカーアクションの際に負傷してるんだよね。そこでなくなる流れもなくはなかったけど、吊し上げられるまで引っ張ったのは何故なのか。そして、メカに変わる(制作する?)ところは、これまたあっさりと我々が知る怒りのデスロードの腕になって終わりなんだよね。メカニック的な意味でのマイナーチェンジもあって良かったような。フュリオサ版のフュリオサ、デスロード版のフュリオサ、みたいな。簡単に馴染む義手でもないだろうに…。生身の左腕に彫った故郷を示す星の地図は良かった。故郷の場所を忘れないように、いつか帰れるように、誰かに見られないようにしていたわけだが、よくよく考えると左腕ちぎった後フツーに置いて行ったんだよな。いいのかなあれは。とはいえその「星の地図がなくなる」という描写により、もう帰れないという暗示にはなっていたと思う。

ババアの活躍がない


怒りのデスロードに欠かせなかった重要キャラクター、老婆。子供を産む役割でしか存在できないイモータンのところの若い女と、高い戦闘力をもつ年取った女。そして、フュリオサ。このバランスが良かった。今回もババアフラグはいくつかあったが、あまり効果的に機能していなかった。イモータンのところにいるはずのヒステリーばあさんはどこいった…。気づけなかっただけ?ウジ虫がうじゃうじゃわいてた洞穴にいたババアはかなり謎だったから、なんか面白いこと起きるのかなと思ったけど特に起きなかった。確かにデスロードの過去を描く作品だから、その時のババアがまだババアになってないからということなのかもしれないけど、ババアはいつの時代も常にいるはずである。

まとめ 全体的に「面白み」に欠ける


フュリオサのストーリーで「笑い」を求めていたのかといったら…そういうわけではないんだけど、お馴染みの狂ったキャラクターたちがそっくりそのまま出てきてくれる割に大して面白くない。バトルを盛り上げるギター持った赤いアイツにしても、何度もいうけどホント取ってつけた感がすごい。イモータンの音楽舞台は、軍団の闘志をさらに燃やすために応援するわけで、別にそいつら自体に高い戦闘力があるわけではないんだよね。そこが面白かったんだよ。命懸けで燃料や水を我先にで取り合いするのに、こいつ要るか?!っていう存在がそこかしこにいて、我々もまだ受け入れ体制が整ってない段階で急に謎の赤いやつが出てきてブィーンてギターかき鳴らしてみたり、満を持して親分格の謎キャラを登場させたり、長い槍みたいなのの先っぽにいるウォーボーイズがビヨンビヨン前後左右にしなってバトルになってそーでなってなかったり、来るやつ来るやつ生死をかけたバトルをテキトーに楽しんでいたようにすら見えてとにかくすべてがクレイジーなんだよ。だけど、今回はそのユーモアさや、どこにエネルギー注いでんのっていうバカみたいな勢いが全然なくて、ただ強い奴の言いなりになって動いてるだけ。お前たちのモチベーションはどこで保たれてるんだ!!っていう。前作ではそれがイモータン•ジョーだったから、イモータンのインパクトが欠けるとたちまちつまらなくなる。私は、そのバカみたいなところで保たれていると思っていたから、観ていて「期待外れ」になってしまった。珍キャラたちが織りなす絶妙な面白みの積み重ねとあっけない死にざまが、あんまり使いたくないけど「カタルシス」というやつなんじゃないか。それがない。

本当にジョージ•ミラーが隅々まで監督して作ったのかな?!と思っちゃうレベル。もし怒りのデスロードが24色の色鉛筆とするなら、フュリオサは12色の色鉛筆みたいなかんじ。

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