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「獏」第十八話

第五章

呪縛

 順調に回収先を回り切り、処分場へパッカー車で回収したゴミを捨てに行くときのことだ。珍しく、俺の携帯にB.F.から着信が入った。プップップッと、割り込みの音が俺の耳に響く。しばらく鳴り続けていたがやがて途切れた。
「どうした、D.J.?」
 イケモトが、俺の様子がおかしいのに気が付き声を掛けてくる。
「あぁ、B.F.から着信だったんだ。こんな時間に何の用だ?」
 俺はそう答えると、皆に一度電話を切ることを伝え、B.F.に電話をした。
「あぁ、B.F.か? 俺だけど何か用か?」
「D.J.大変だ! ハングマンが消えちまったよ!」
 いきなりこいつは何を言い出すんだ―俺は咄嗟にこれがハングマンとB.F.の悪い冗談だと理解した。
「おい、一体何の冗談だ? 用がないなら切るぞ?」
 不愉快そうに怒鳴り付け、電話を切ろうとするが、B.F.は声を荒げて「待ってくれよ! 電話を切らないでくれ!」と言った。
「本当なんだ! 信じてくれ、本当に消えちまったんだ!」
 B.F.の口調に、緊迫感と焦りを感じる。
 俺が事の次第を訊ねると、B.F.は話し始めた。

 今からおよそ二時間ほど前、そろそろ高速バスの発着場、俺たちが競技場と呼ぶ回収先が近付いて来たときのことだった。
 ジャスティスを解雇し、二人でコースを走ってからというもの、ハングマンは一貫して競技場では車から降りずに手伝おうとはしなかったらしい。
 来週からハンサムに回収先を振ったものの、流石に一回も手伝おうとはしないハングマンのその態度に不満を覚え、最後くらいは手伝ったらどうか? とB.F.は思い切ってハングマンに訊いたのだ。
 そんなB.F.の態度や言い方が気に入らなかったのか、ハングマンは怒りをあらわにし、「お前がそう言うなら、今日は俺がゴミを取りに行ってやる」と露骨な態度でふて腐れ始めたらしいのだ。
 当然、ハングマンを敵に回したくないB.F.は慌てて、やっぱり今日も自分にゴミを取りに行かせてくれと懇願したが、器の小さいハングマンの機嫌はなかなか回復しないままだ。
 結局いつものように、競技場ではB.F.がゴミを取りに行くことになったのだが、三〇~四〇分ほど作業をし、すべてのゴミを積み終えたB.F.が車に戻ってみると、ハングマンの姿がどこにも見当たらなかったと言うのだ。
 始めは、近くにコーヒーでも買いに出掛けたのだろうと思い、しばらく車の中で待っていたB.F.だったが、一時間経っても戻ってくる気配のないハングマンに不安を感じ、車を降りて辺りを探したが結局見つけることが出来なかったと言う。
「電話したのかよ」
「もちろんだっ、でも電源が入ってないみたいなんだよ」
 子供みたいに不安げな声でおどおどと話すB.F.に、俺はヘドが出そうだった。
「怒って先に帰ったんじゃねぇのか? 取りあえず、一人で残りの仕事片付けて車庫に戻ればわかるだろ?」
 俺はそう言い捨てると電話を切って、イケモトたちに合流した。
「B.F.なんだって?」
 イケモトが笑いながら訊ねてきた。
「くだらねぇことだったよ。女みたいにメソメソした声出して、ハングマンがいなくなっちゃった! とか言うんだ。本当疲れるぜ」
 大袈裟にB.F.の物真似をしながら言うと、皆大爆笑だった。
 さらに俺はB.F.から聞いたハングマンとのやり取りを皆に話すと、アトラスが呆れたように言い捨てた。
「揃いも揃って、情けない奴らだな」
「結局、ただの痴話喧嘩ってこと?」
 ハンサムがポツリと言うと、また皆が笑い出した。
「まぁ、車庫に戻ればわかるんじゃないか? ハングマンの黒のセダンがなければ痴話喧嘩決定だし、もしあれば謎の失踪決定だな」
 そう俺が言うと、今度はイケモトが「俺はどちらかと言えば失踪希望だな」と呟き、また皆の笑いを誘った。

     *

 処分場に到着した俺は、首尾よく回収したゴミをすべて捨てると車庫への帰り道をたどる。
 B.F.やハングマンのことなどすっかり忘れ、皆との会話に夢中になり、俺はいつの間にか車庫へとたどり着いていた。
 車の中で報告書をまとめた俺は車を降りると事務所へと歩き出す。
「お疲れさん、D.J.どうだ? ハングマンの自家用車はありそうか?」
 ふいにアトラスにそんなことを言われるまで、俺はすっかりハングマンのことなんて忘れていた。
「ああ、どうだろう?」
 社員用の駐車場に目をやると、ハングマンの黒のセダンは置かれたままだった。
「おぉ! まだ奴の車は停まったままだ。こりゃあ期待出来るかもな?」
 俺がそう言うと、ハンサムは「どっかで飯でも食ってるんじゃないかぁ?」なんて夢のないことを言い出す。
「おーいハンサム、お前も少しは祈れよ。ハングマンには消えてほしいだろ?」
 イケモトが、冷静なというか、空気を読まないハンサムの分析に突っ込みを入れると、ハンサムはふて腐れた。
「だってハングマンが消えようが消えまいが、来週から競技場は俺が担当なんだよぉ……」
「まぁまぁ、ハンサム、そう嘆くなよ。俺たちも応援に行けるときは手伝ってやるからさ」
 アトラスがハンサムを宥める。
「ほんと!?」
「ああ、俺も駆け付けれるときは行くよ」
「D.J.まで!? やっぱお前ら最高! あぁ、俺幸せ! 競技場付けられちゃったのは不幸のどん底だけど、俺、皆がいて幸せ!」
 その言葉を待ってましたとばかりに上機嫌になったハンサムがいた。
「まったく、お前って奴は……どうせ女口説くときも、今みたいな戦法を使ってんだろ? 僕と付き合ってくれなきゃ死んでやるー! とか言って」
 俺が上機嫌になったハンサムに言うと皆爆笑だったよ。
 ハンサムが否定しないところを見ると、こりゃ図星だな。本当にこいつはわかりやすい。
 でも憎めない奴だから、女が断り切れずにほいほい着いていっちゃうのもわからなくはないよ。うらやましいことで。

     *

  翌日の日曜日は俺たちの会社は唯一の休み。
 だが、俺たちの勤務時間は夜中だから、結局のところ日曜日の夜に出発するのが月曜日からの仕事になる。まるで休んだ感覚はしないぜ。
 それに俺たちゴミ屋が休みだからと言っても、飲食店やコンビニなんかは休んだりはしない。つまり月曜日のゴミの量ってのは、土曜日曜の分、丸二日分になるってことだ。
 土曜の回収は、早朝だから、土曜の日中分のゴミは全部残っている。
 ショッピングモールなんかの土日量を月曜の早朝に合わせて回収することになる訳だ。まったくもって月曜は憂鬱だ。
 毎日毎日、処分場に集められるゴミってのは何千、何万トンにもなる。
 俺たち人間が生きていくためには、どうしてこうも大量のゴミを垂れ流し続けなければ、生きていけないものなのかね?
 目を覚まし、布団から這い出ると、外からはテレビ放送が終わった後みたいな雑音が聞こえる。
 夜中ってのは、なぜか天気が大荒れになることが多い。こっちは滝に打たれるほどの激しい大雨に見舞われても、通勤、通学時間にはそんな大荒れの天気が、まるで夢だったかのように落ち着いてしまう。
 今夜もそんな大荒れの天気だった。
 車庫に到着し駐車場に自家用車を停める、休みを一日挟んだのと、この大雨のおかげで、俺はすっかりハングマンの自家用車が駐車場に停まっていたかどうかの確認をするのを忘れていた。
 所詮ハングマンとはその程度の存在だ。出勤していようがいまいが、現場にはなんの影響もない。いてもらわなきゃ困るなんて思ってるのは、おそらくうちの会社ではB.F.くらいのものだろう。
 自販機でホットコーヒーを買い、ポケットの中へ押し込むと、冷え切った空気を吸い込まないように息を止めながら、俺はパッカー車まで走り、乗り込むとエンジンを掛けた。
 いつものようにすぐにイケモトから着信がある。電話に出ると、イケモトとハンサムの声がした。
 ハンサム? 早いな。そういえば、ハンサムは今日から競技場が自分のコースに付いたんだ。だから出発時間をいつもよりも早めたんだろう。
「おはよう、イケモト、ハンサム。しかしもの凄い雨だな」
 俺が呟くと、二人ともすでにびしょ濡れのようで、「お前も早く出発してこの苦しみを味わえ」なんて笑っていた。
「ハイハイ。参戦しますよ」
 止む気配のない雨に、諦めて渋々出発した俺は、さっそく一発目の回収先に到着すると、ゴミ庫に向けてパッカーのケツをつけた。
 電話の向こうでは、イケモトとハンサムがクスクスと笑ってやがる。
「あー! 濡れたくないなー畜生!」
 まるで清水の舞台から飛び降りる覚悟で車のドアを開け、車から飛び降りると、パッカー車のケツまで行き、スライドカバーを開けた。
 その瞬間、俺の背筋は凍り、全身の毛が逆立ち鳥肌が立った。
「ヒィッ!!」
 人間、無防備なときほど情けない声を出すもんだ。そんな情けない俺の悲鳴はしっかりとイケモトとハンサムにも聞こえていた。
 俺の悲鳴を聞いて二人が大爆笑する。
 実はうちの会社では代々伝わる伝統のドッキリが存在する。
『ビックビ生首』
 最低のネーミングセンスだが、最高に効き目のあるドッキリだ。
 うちの会社の回収先は実にいろいろとある――コンビニに飲食店、大手スーパーからデパート、学校や美容院にラブホテル。
 その中でも美容院や美容の専門学校から、ヘアカット練習用の首だけのマネキンが大量に出ることがあるんだ。
 もちろん、そんなものは可燃じゃなく不燃になるから俺たちは回収しない。だが誰が始めたのか? そのマネキンを持って帰ってきて、誰かの回収車の助手席に置いておく。
 ちゃっかり持ち帰って、脅かしたい奴のパッカー車の助手席に仕込んでおくんだ。何も知らない犠牲者は夜中にいつものように出勤し、何の警戒心もなく車のエンジンを掛け、仕事に出発する。
 俺たちが乗っているパッカー車には車内灯が三つ付いているが、普段運転席側のドアを開けても車内全体を照らすライトは点灯しない。運転席側のみが小さく照らされるライトがあるにはあるが、助手席側は暗いままだ。そして夜中ってことも手伝って、ルームライトを自分でつけるか、明るい街中を走らない限りは、車内に見慣れないものがあっても、案外気づかないまま作業している。
 そして、何かのタイミングでそのトラップ『ビックビ生首』に気づいたとき、さっきの俺みたいに情けない悲鳴を上げ、それこそ本気で腰を抜かす。
 過去には運悪く走行中に『ビックビ生首』の存在に気づいた奴が、ビックリし過ぎて電柱に追突事故まで起こした。
 そんなこともあり、我が社では『ビックビ生首』の車内の設置だけは禁じ手になったんだ。だがそんなトラップそのものを禁じ手にしないのが、流石変わり者集団。
 結局、試行錯誤の末、『ビックビ生首』は運転中ではなく、作業中に気づくようにと、パッカーのバケットの中への設置が主流になった。
 このドッキリは、完全に相手の警戒心が解かれたときにこそ、真の破壊力を生み出す。
 確か前回このトラップを仕掛けられたのは半年ほど前のことだった。
「驚いたか!? 驚いたろ? これでリベンジ達成だ!」
 イケモトがまるで悪ガキが笑うように嬉しそうに俺に言った。そう言われてみれば、二ヶ月ほど前に俺はイケモトにこのトラップを仕掛けたのを忘れていたよ。
バケットの中を冷静に見渡せば、二〇個ほどのマネキンたちが、俺のことを見つめていて薄気味悪い。
 この心臓に悪いイベントは脈々と先輩から後輩に受け継がれ、華麗なるバージョンアップを遂げていた。ペンキを塗って血みどろにしたり、スプレーで髪を逆立てて上から吊るるしたり。しかし御大層に二〇個も溜めてからやるなんて、どこに隠していたんだか。
「やられたよ、まったく。今日仕掛けたのか?」
「違うよ、昨日わざわざ会社に来て、仕掛けたんだ」
 イケモトが笑いながら話した。
「お前っ……なんて暇人だよ、他にやることねぇのか?」
 さっき叫び声をあげたせいで、近所のコンビニに泊まっていた、車に乗った男がじろじろと俺の方を見ていた。俺は照れ隠し気味に笑いながら少し声を潜めてイケモトに言った。 こんなくだらない悪戯のためにわざわざ休みの日にまで会社にまで来てトラップ仕掛けるなんて、よっぽど暇だったんだろう。
 きっと、ハンサムもすでにトラップの餌食になって、これから出発するだろうアトラスも情けない悲鳴を上げることになるんだろう――俺は密かにアトラスの反応を楽しみにした。
 そう言えば、昨日会社に来ていたのであれば、ハングマンの自家用車はあったんだろうか? あまりの大雨に見過ごしていた俺は、イケモトにハングマンの車を見たか訊ねてみた。
「あぁ、昨日俺が会社に来たときはなかったよ。土曜日の朝、車庫に戻ったときはまだ車はあったから、それ以降に取りに来て、乗って帰ったんじゃないかな?」
 残念だ。これでハングマン失踪説はなくなった訳だ。
「ってことは今日はよりを戻したB.F.と、この雨の中、ちちくり合いながら仕事してるってことだな」
 俺が言うと二人とも笑っていた。
「でも、今日は車停まってたかどうかは確認してないなぁ。なんせ凄い大雨でそれどころじゃなかったし」
 ハンサムが呟くと、イケモトも同じ理由で「俺も見忘れた」と言っていた。
「おぉ! アトラスから電話だ!」
 嬉しそうにイケモトが言うと、俺たちの元にアトラスを招き入れた。
「おーい! お前らやってくれたな! 死ぬかと思ったぜ。よりにもよってこんな雨の日に! 髪が張り付いて気色悪いったらなかったぜ!」
 大笑いしながらすでにトラップを発動させたアトラスが、いつもの元気な声を聞かせてくれる。
「なんだよ! もう発動させちゃったのか? ずいぶん早いじゃないか」
 リアルタイムでその瞬間を楽しむことが出来なかったイケモトとハンサムが不満そうに呟いた。
「こんな大雨だからな。今日は早く出発したんだよ」
 休みの日にまで出てきてトラップを仕掛けたのに、これじゃ台なしだ。流石の暇人イケモトも天気予報を見るのは忘れていたようだと、俺は一人笑っていた。
 「そういえば、ハングマンの車がなかったが、何か知ってるか?」
 不意にアトラスが言い出す。
「マジか?」皆が声を揃えて言った。
「え? B.F.は?」
 ハンサムが聞くとアトラスが、
「B.F.は出勤してるみたいだったが。あいつの軽自動車もあったし、916の作業車はもう出てたから」と答える。
 じゃあB.F.一人でってことか?
「ひでぇー、あいつら、俺に競技場を振ったから二人でやる必要がなくなったんじゃないのか?」
 月曜日に休むなんてのは俺たちにとっては禁じ手だ。それを堂々とやらかしたハングマンに腹を立てながらハンサムが言う。
「それか、B.F.と別れたのかもな」
 イケモトが笑いながら言うと、そんな場面を想像した俺は気持ち悪くて吐き気に襲われそうになった。
「任せろハンサム、俺が社長になったら、ハングマンは、いの一番にクビにしてやるからな!」
 アトラスが冗談を言うと、俺たちは「頼むぜ! アトラス社長!」と馬鹿みたいに笑っていた。。
 しばらくすると、誰かの荒々しい鼻息が聞こえてくる。
「……ふぅ……う……ん…んふーっ……!」
「おいおい、どこかのブルドックが鼻息荒くしてやがるぞ? コーヒーポイントかあ? 誰だあ?」
 その鼻息があんまり荒々しく聞こえたので、可笑しくなり俺が呟く。
「わ……笑わせないでくれよ!」
 荒々しい鼻息の正体はハンサムだ。
「お前、何をそんなに興奮してるんだ? ずぶ濡れのお姉ちゃんでも見つけたか?」
 アトラスが突っ込むと、イケモトも俺も大笑いだ。
「今日から回収の例のラーメン屋だよ! 仕込みで豚骨なのか鶏なのかを使ってるみたいで目茶苦茶重たいんだよ!」
 ラーメン屋ってのはスープにこだわりを持っている。
 そのラーメン屋が旨いかどうかってのは、週に何回ダシを取ったゴミが出てくるかで、俺たちゴミ屋にはわかるんだが、オープン初日は別だ。
 集客がわからない店側は、商品を切らさないように仕込むから、目茶苦茶な量のゴミが出る。
「うぇ! パッカーで捲いたら中身が出てきたよ……一体何匹の豚や鶏がここのラーメンのスープに変えられたんだろう……ナンマンダブ、ナンマンダブ」
「あんまりマジマジと見ない方がいいよ。ラーメンが食えなくなる」
 イケモトが呟くと「確かに……」とハンサムは車の中に戻ったようだ。
 ラーメン屋でダシを取ったゴミってのはやたらと骨が多い。
 細かくぶつ切りにされた骨が、ゴミ袋一杯に出るんだが、ハンサムの言うように、あのゴミ袋一杯の骨を集めると一体何匹くらいの豚や鶏になるのか俺にはさっぱりわからなかった。
「そう言えば俺、自分の回収先で昔、猫を捲いたことがあったよ」
 突然イケモトが呟いた。
「猫?」
「ああ」
 俺は実際にはそんな場面に出くわしたことはないが、自分自身に身に覚えがないだけで、正直なところはわからない。
 ゴミ捨て場にはとんでもないものが捨てられている。自分が気づいていないだけで、知らずに何を回収しているかなんて、わかったもんじゃない。
 イケモトがパッカーで捲いてしまったという猫も、イケモト本人が猫だと認識して積み込んだものじゃなかった。
「高蔵の交差点の先のキャステルだったんだがな。死んだ猫が紙袋に入れられて、出されてたんだよ」
 イケモトが言うキャステルは、彼の回収先にある大きなチェーンのパチンコ屋だ。
 パチンコ屋の駐車場内で轢かれでもした猫だったのだろう。その日回収に行ったイケモトは、ゴミ捨て場にある可燃のゴミ袋の山とは別に、茶色い紙袋が置かれているのを見つけた。
 まるでランチのサンドイッチでも入れてあるみたいな茶色の紙袋で、口はきれいに折りたたまれていたらしい。紙袋の表面には、ご丁寧にも緑の付箋でメモが貼付けてあり、そのメモにはこう記されていた。

『猫、お願いします』

 常識で考えれば、そんなもの俺たちは回収しない。それは保健所の仕事だからな。
 当然イケモトも、その日は回収せずに、その紙袋を置いてきたんだ。
 しかし次の日、キャステルに行ってみると、今度は可燃のゴミ袋の山の一番上に、その紙袋は置かれていた。ショートケーキの上に添えられた苺のようだったとイケモトは言った。
 頭に来たイケモトは、店員に文句の一つでも言ってやろうかと思ったのだが、俺たちの仕事時間なんて、草木も眠る丑三つ時、店員が店にいるはずもない。
 そこでイケモトは紙袋に貼付けてあるメモに、わざわざ『保健所に連絡して下さい』と記し、その日もその茶色い紙袋は置いてきたんだ。
 翌日、またその回収先に到着すると、メモを読んだのか、紙袋は見当たらなかったらしい。ようやくわかったかと、イケモトがその日の可燃の山をパッカーで連続捲きしていると、ゴミを放り込んだパッカーのバケットの中で、見覚えのある紙袋が出てきた。
 あの猫の入れられた茶色い紙袋だった。なかなかイケモトが持って行かないから、店側が可燃ゴミの袋の中にゴミと一緒に混ぜ込んだのさ。
 俺たちゴミ屋は、回収するゴミが多ければ多いほど、パッカーの爪を連続捲きにし、どんどんとゴミを車の中へと積み込んでいく。
 パチンコ屋から出るゴミも大量だ。まさかゴミ袋の中に混ぜられてるとも思わずに、イケモトも調子良くゴミをバケットに積み込んでいったのだろう。パッカーの中で回転する爪に何度も何度も捲かれた紙袋はズタズタになり、中身が見えていたらしかった。
「思わず俺は捲くのを停めようとしてスイッチに手が伸びたよ。目は釘づけになったみたいにバケットの中から離れなかった。その猫はもう何日も前に死んでるんだ。今さら止めたところで助けられない。俺は情けなくて何もできなかった。そのまま完全に捲き込まれるまでただ見ていた。でもな、擦り切れた肉片が、散り散りになった茶色の紙袋に混ざっていつまでも残っていたよ。今でも茶色の紙切れを見る度に、ドキッとするんだ」
「酷い話だよな……」
 アトラスが寂しそうに呟く。
「死んだだけじゃなく、ゴミと一緒に捲かれてズタズタになっちまうなんてな」
 俺たちも多少は気にはしているが、いちいちすべてのゴミ袋を開け、中身を確認してからゴミを積み込むなんてことはしてられない。本来ならそうしなくちゃならないんだろうが、すべて一人でやってる俺たちには現状そんなことをしてる暇なんてないんだ。
 だから当然、ゴミを出す側のモラルに頼り切ってしまっている部分もある。
 しかし、その多くが、見つからなければいいだろうとか、客が勝手に出したゴミなのだから自分たちには関係ないだとか、酷いところになると、それを見極めるのがお前たちの仕事だろうと逆ギレするところさえある。
「……本当だな」
 俺は言葉を失った。アトラスが言うように、本当に寂しい話だ。
 もちろん、すべてに於いてそういう人たちばかりではなく、ごくごく一部の人間なんだと信じたいが、これも、現状ある事実の一つには変わりない。
 人間ってのは、暮らしが豊かになればなるほど、その心は醜くなっていくのかもしれない。俺たちの回収する、このゴミのように。
 そんなとき、今度はアトラスが奇妙な声を出した。
「おわっ! なんだよこれ?」
「どうした? アトラス?」
 いつもと様子の違うアトラスに俺は訊ねた。
「おむつだよ。それも血みたいなのが付いたおむつが幾つも出てきたんだ……げえ、なんだよ、これっ! 気持ち悪っ!」
「それってひょっとして生理のかぁ?」
 ハンサムがアトラスの言葉に反応すると、皆笑い出した。
「馬鹿言え! ここは老人ホームだぞ? そんなもんとっくに過ぎ去った連中ばかりだよ」
 笑いながらアトラスが言った。
「さっきのイケモトの話じゃないが、また動物の死体かもな? 気を付けて回収しろよ」
 俺がアトラスに言う。
「暗くてよく見えなかったからな。さっきの話の後だったし、見間違いかもしれん。気を付けて見ておくよ」

 だが、俺もそのときはまったく気にしていなかったアトラスの紙おむつだったが、しばらくして今度は俺が担当する老人ホームでも、まさにアトラスが言ったのと同じものが出てきたんだ。
 赤黒く染みた紙おむつだ。絶対におかしいと思い、俺は回収したゴミ袋を開けるが、最初に回収した紙おむつの入った袋以外は、特に何の異常もない。汚物交じりの紙おむつだ。
 血便か? 血尿か? あまり具体的には想像したくもないが、実は今まで特に気にしていなかっただけで、実際老人ホームのゴミでは珍しくないのかもしれない。
 それとも、少し前にイケモトが言っていたように、大量に失踪する老人たちの成れの果てとかって? いや、そんな馬鹿な話があるもんか。ここは老人ホームだ。いくら身元不明の収容者がいるといったって、いきなりいなくなれば事件になる。
「どうした? D.J.?」
「ああ、イケモト。さっきアトラスが言ってたのとまったく同じようなやつが出てきたんだよ……アトラス、確かにこの量っておかしいよな。まさか本当にこれって。老人ホームの老人が失踪するって、まさか職員に殺られてるってことは……」
「D.J.流石にそれはないんじゃないか? 確かに、ずいぶん前に職員が利用者の老人を突き落として殺した事件があったけど」
 イケモトが過去の事件を振り返って言う。
「それに死体はどうするんだよ? 血だけ抜きとって、本体はミイラにして保管しとくのか?」
 アトラスも俺の幼稚な妄想に容赦なく突っ込みを入れてくる。
「血のように見えるだけで、実はやっぱ汚物なんじゃないのか? 老人の便ってびちゃびちゃだったりするって言うぜ」
「あんまり想像させないでくれよ。さっきまじまじと見ちゃったよ」
 俺はさっきバケットの中で開いて広げた汚物にまみれたおむつの山を、他のゴミで隠すようにして捲き込んだ。飛び散ってくれるなよと祈りながら。
 確かに……。血だけ抜いて紙おむつに吸わせたからって、肝心の本体を処分出来なきゃ何の意味もない。死体が処分出来ない以上、失踪に見せ掛けるのは無理な話だ。
「ま、こんな仕事してたら頭おかしくなって変な妄想するのは仕方ないよ。職業病みたいなもんさ。しばらくモツ煮食えないな」
 イケモトが笑ってそう言うと、俺とアトラスは揃って「うわあ、止めてくれよ」と苦い声を出した。

     *

 いつまでも止まない大雨に俺たちの体力は奪われ、心は萎えていく。俺は老人ホームを後にし、パッカー車に乗り込んだ。
「しかしさぁ、俺たちの仕事ってほんと過酷だと思わない?」
 吐き出したハンサムの言葉に皆耳を傾ける。
「どんなに天気が荒れていても、仕事はしなくちゃいけないし、ゴミは汚くて臭いし、意味不明なゴミは出るしで、さっきイケモトも言ってたけど、本当、いつか病気になっちゃいそうだよ」
「不満ばっかだな? ハンサム、やっぱりここ辞めて、ジャスティスのところで使ってもらったらどうだ?」
 アトラスが、笑いながらハンサムを茶化すと、
「配管かぁ……。ジャスティスとならそれもいいかもなぁ。でも皆とバラバラになっちゃうのはさみしいけど……なぁ、いっそのこと皆で行かない?」
 と、ハンサムが、それも悪くないといった感じでブツブツ悩み始める。
「馬鹿言え。いきなりあいつに四人分も給料払わせるのか? 不可能じゃないかもしれないが、すぐには無理だろ。――だがジャスティスは配管に美学を持ってるからな。今の仕事よりは面白いかもしれないな」
 俺も以前ジャスティスに配管の魅力を聞いたことがあった。「ガキの頃遊んだ配管カードゲームそのものだよ」そんなふうに言いながら、あいつは満足そうに笑っていた。
 リアルにある配管をチェーンソーでぶった切ったり、溶接機で繋いだり、柱をかわすために配管を逃がしたりして、ゴールまで水を持っていく。
 確かに、そんなふうに説明されたりすると、ゴミ屋なんかよりも、よっぽど有り難がれそうな仕事だよ。なんつっても、火災を消すための設備の仕事だもんな。
 かたや俺たちは、狭いゴミ庫の中で、ウジムシやゴキブリやネズミと戯れながら、ゴミ袋から漏れ出す、何だかよくわからねぇ汁を体中に浴び、街を走れば鼻をつままれる。
 本社がやってる、顧客へのゴミの処分費の回収だって大変だ。
 誰だって商品を買うために金は出しても、ゴミを捨てるために金なんか出したくないからな。毎年ケチられていく料金の値下げのおかげで、今や俺たちの給料さえ、減額になるらしいなんて噂さえ流れる始末だ。本当、やってられるかよ。
 そんなことを考えていると、イケモトが突然言い出したんだ。
 黒いアスファルトにこびりつく、汚いガムさえ流し落とすような大雨の降るこんな夜に、似つかわしいセリフだ。
「なぁ? 俺たちの仕事は、獏みたいなもんだって思わないか?」
 突然、意味不明なことを口走るイケモトにハンサムは笑いながら言う。
「獏? どうしたイケモト? 雨にやられ過ぎたのか?」
 ハンサムの言葉にアトラスが思わず吹き出した。
「まぁまぁ、諸君、我らが蘊蓄博士にその真意を聞いてみようじゃないか!」
 俺も冗談混じりにイケモトへと再び話を振った。
「ほら、獏って人の悪夢を食べてくれるって言うだろ? 実社会に住む人間にとってゴミってのは悪夢みたいなものじゃないか。俺たちはパッカー車っていう獏を乗りこなして、そんな悪夢を片付けていく、いわば正義のヒーローなんだよ」
 イケモトの、その言い方を聞けば俺たちにはわかる。
 こいつは冗談を言って俺たちを笑わせようとしてる訳でも、このゴミ屋って仕事を皮肉って言っている訳でもない。マジで言ってるんだ。
「おぉ! なんかそんなふうに考えると、今の仕事がスゲー格好良く思えてきたよ!」
 ハンサムは一発KO。イケモトのこの例え話が一瞬で気に入ったようだ。
「確かにな、まぁ……獏と違って嫌われ者のヒーローだけどな」
 ハンサムよりは少しだけ大人なんだろう、イケモトの手の平には完全に転がされてはないものの、アトラスもまんざらじゃなさそうだ。
 俺か? 俺は……まぁ、悪くはないと思うぜ。
 ここの連中なんて皆、頭の中は少年時代のわんぱく坊主のままだ。だからマジに語ってる仲間に対しては絶対茶化したりはしない。
 馬鹿野郎で単純で、コンドームよりも薄っぺらな自分のプライドを誇りのように感じて大事にはしているが、実のところ、泥臭い仲間意識だけは絶対に捨てられない連中ばかりなのさ。
「これで、ジャスティスが復活すれば俺たち、ナントカ戦隊じゃないか?」
 テンションが上がってきた俺たちにイケモトがたたみかける。
「流石にそれはダサいだろ?」
 俺もアトラスの意見に賛成だ。いい歳してナントカ戦隊は照れるだろ。
「なぁ! 俺は絶対レッドだろぉ? このメンバーの中で一番のイケメンな訳だし!」
 ハンサムはすでにイケモトの話に悪酔い気味だ。
「ふざけんな! お前にはサーモンピンクがお似合いだぜ」
 俺がハンサムの酔いを覚ますために一発かましてやると、皆が大笑いしていた。
 これで、ジャスティスが復活できればな……。
 俺はずっと頭の片隅にジャスティスのことが引っ掛かったままだった。

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