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「ファミリア」第五話

CateCooper(4)

 チク・タクと散歩から帰りアパートに着く頃、当然まだお母さんとマギーおばさんは帰って来てはいなかった。
 二人が買い物に出掛ける日は、決まってその夜にはピザを頼んでディナーを共にする。お喋りをしながら一日中歩き回って、「ただいま!」って玄関のドアを開けるときにはすっかり二人はクタクタにくたびれている。いつも、「あぁ! お腹が空いた! 早くシャワーを浴びたいわ!」なんて言いながらソファにどっかり座っては、「ハーイ、マイ・スイートハート、今日はどうする?」なんていたずらっぽくお母さんはウィンクするんだ。
 それはマギーおばさんと一緒に、ピザのメニューを選ぶわよっていういつもの合図だった。
 出掛けた日は夕食の支度をするのが面倒臭いんだっていつも言っている。もちろん簡単な料理くらいならわたしだってできるけど、でもこんな日は夕食の支度はしておかない。
 マギーおばさんと一緒に食事ができるのは嬉しいし、皆で食べる食事は格別に美味しい。お母さんもこんな日は、わたしに夕食の支度をしておいてなんてお願いしたりしない。そんなことわざわざ話し合ったりはしないけど暗黙のルールになっている。
 そんなに仲が良いなら、もういっそ四人で暮らせば良いのにっていつも思う。そうすればアパートの家賃だって浮くし、毎日格別に楽しい時間が過ごせるんだから。
 でもそうしないのは、きっとお互いに遠慮してるから。それか、マギーおばさんがあまりに物を捨てられない性分だからだ。
 マギーおばさんはまったく同じ間取りのアパートに独りで住んでいる。それなのに、彼女の部屋を訪れると遥かに狭く感じる。それは部屋が物で溢れているからだ。
 アウトドアなんてしないおばさんが、絶対に使いそうにないバーベキューセットや、雪掻き用の大きなスコップ、大雪の日に街中を滑るためのショートスキーや、街中を滑らせるための荷物用のソリ……。泥棒が入ったときに身を守る護身用の道具まで。
 こんなの絶対読まないよね? と思うようなティーンエイジャー向けのファッション誌や、臙脂色のベロア生地に立派な刺繍が施された高そうな図鑑なんかも本棚から溢れて部屋の隅に山積みにされている。
 万が一、大勢のお客さんが来ても大丈夫なようにと買ったティーセットに、マフィア映画のセットででも使えそうなほど大きなダイニングテーブル。
「私ったら、自分でも呆れるほど心配症なのよ! 使うあてもないのに、あれこれ考えてると絶対に必要だって思えてしまうの。結局使うことなんて滅多にないんだけど、お金を払って買った物だから捨てられないのよね」
所狭しと部屋を圧迫する物たちを眺めながら、おばさんは舌を出して笑うだけ。
 それに比べれば家は広々としてる。お母さんはちょっと変わった性格で物をあまり置きたがらない。だから普通の家には絶対にあるような家具の類――キッチンに置かれる大き目の食器棚とか、ベッドサイドのローテーブルみたいな定番が家にはなかったりする。
 でも買い物が好きじゃないかといったらそうでもないし、ケチな訳でもない。リビングに大切に置かれているアンティーク風のマホガニー製チェストは細工が素敵で高価な物だと言っていたし、チク・タクのご飯は高級スーパーにしか置いていないようなこだわりのオーガニックフード。
 それにむしろ気に入った物なら、どんなに使い勝手が悪くても古ぼけていても買ってしまう。これがお母さんの変わったところ。やたらとモーター音がうるさいだけの全然冷えない真四角な冷蔵庫に、ガタガタ揺れる猫脚テーブル。使うたびに変な匂いがする宇宙船みたいな丸い形の電子レンジ、落としても割れないプラスチックの紫色の食器――。まあこんな感じで挙げればキリがない。お母さん曰く、「レトロ」ってのがここ数年のマイブームなんだとか。
こんなちょっと変わった二人だけど、共通しているのは気に入って手にしたものは、どんなものでもとても大事にするってこと。たとえ壊れても簡単には捨てたりしないから、お気に入りの掃除機が詰まったときなんかは新しいのを買ってくれなくてちょっと大変だった。「五分起きに止まってしまうなら、五分雑誌を読んでからまた掃除すればいいのよ!」――こんな感じ。すごく変わっている。
 だから二人が親子のように見えることはよくある。くだらない話題で盛り上がってる姿なんて本当にそっくり。もちろん、「くだらない」っていうその評価の方が、彼女たちにとっては疑問なんだろうけど。そんなだから、おばさんが本当のおばあちゃんだったらって、ずっと当たり前のように考えてきた。
「ねぇお母さん、マギーおばさんとは血は繋がってないの? おばさんが本当のおばあちゃんだったらいいのに」
 そしたらみんなで一緒に暮らせるのにって、コインランドリーに行った帰り道でそんな質問をすると、お母さんは笑いながら答えた。
「あら? マギーは私たちの親戚よ。血は繋がってなくても心はちゃんと繋がってるんだから」
 そんな懐かしい話を思い出しながら、二人が帰ってくるまでまだ時間があると思ったわたしは、溜まった洗濯物を済ませておこうと考えた。コインランドリーは、半マイルほど歩いた距離にある。持ち手のバーとキャスター付きのランドリーバスケットに洗濯物を詰め込んでいると、一休みしていたチク・タクがバスケットに入りたそうに尻尾を振って、チャカチャカと周りを歩き回る。
「あら? チク・タクも洗濯に付き合ってくれるの?」
 にっこり微笑むと、バスケットに洗剤と洗濯物、そしてチク・タクと時間潰し用の雑誌を突っ込み、ガラガラとキャスターを転がしながら近所にあるコインランドリーを目指して歩いた。
「こうしてると、あんたのベビーカーみたいね?」
 バスケットの縁に前脚を掛けて、景色を楽しむチク・タクが本物の赤ちゃんみたいに見えて可笑しかった。

 週末のコインランドリーは大抵すごく混み合っている。ひどいと、祝日のイタリアンマーケット並みの大繁盛。
「良い? ケイト。都会のコインランドリーは戦場よ? おしとやかぶってのんびりしてたら、来年になったって洗濯なんて終わりっこないわ」
 わたしが幼い頃、お母さんは怖い顔をしてそう言った。歯磨きの仕上げには必ずフロスを使うことっていうのとまったく同じテンションで。当時は全然理解できなかったけど、徐々に家事を手伝うようになるにつれ、理解した。
 今ではわたしもすっかりお母さんと同意見よ。週末のコインランドリーとバーゲンセールは戦争だって。
 店内に入った瞬間から戦いは始まる。まずは大勢いるディフェンスの目を掻い潜ってフロアをドリブル。鋭い洞察力を働かせ、待ち時間の少ない洗濯機を複数台チェックし、さらに的確な判断力で、その中から一番待ち時間が短くて、尚且つスタンバイしてる人がいないターゲットを絞り込む。射止めたターゲット――洗濯機という名のリング上に、わたしは持ってきた雑誌と、何枚かの25セント硬貨を重ねて置いてリザーブするの。シクサーズのバスケットプレイヤーみたいに華麗にね。そしてその正面のベンチに座って、洗濯機が空くのを静かに待つのよ。
「良い? チク・タク。今わたしがやったみたいに、あくまでクールに行動するのよ? フリーの敵を血眼で探して店内をウロウロするなんて、とてもクールとは言えないわ」
 ターゲットのボディがフリーになるのを待つ間、バスケットから顔を覗かせてこちらを見つめるチク・タクに声を出さずに目で訴えると、すべて理解したような顔をして尻尾を振って応える。
 彼は本当に良い相棒よ。まぁラブパークにある噴水の色が、突然緑色やピンク色になることがあっても、この先チク・タクが一人でカートを引っ張って洗濯に来るなんてことは絶対にないんだけど。
 そうして順番が来るのを待っていると、終った洗濯物を取り出そうと身なりの良いおばさんがやって来た。そのすぐ後ろには、アジア系の若い女性がハイエナのようにくっついて、おばさんが洗濯物を出す瞬間を付け狙っている。こんなとき、仕掛けておいたコイントラップがその効力を発揮するの。
 わたしが置いたクォーターは、雑誌の上に重ねて置いてある。大抵の人は積み上がった硬貨が崩れるのを気にして、雑誌の持ち主を探そうと辺りを見渡す。もし硬貨に気づかずに雑誌を退けても、上に乗せておいた硬貨が床に落ちて散らばってしまうから、そうすると雑誌を手に取ったその人は責任感から硬貨を拾うっていう動作を、洗濯物を取り出す前にやるんだ。
 洗濯物がターゲットから取り出されない限り、横入りなんてされない。
「ごめんなさい、それ、わたしのです」
 わたしはそれを見計らって、おばさんに謝りながらバスケットを引っ張っていき、そして空いた洗濯機に洗濯物を突っ込んでいく。
「あなた、見掛けよりも大人っぽい雑誌を読むのね?」
 なんて話が始まれば、さも知り合いみたいでしょ? 横入りしようとしてたハイエナも勘違いして、文句も言わずに別の洗濯機を探しにいくわ。何か不満を見せつけるとしても、軽く舌打ちするくらいね。
 これが、わたしが編み出した速攻プログラム。未だに負けナシ。
 ドラムが回り始めると、わたしはベンチに座って雑誌をめくり、洗濯が終わるのを待つ。持ってくる雑誌はお母さんが愛読しているファッション雑誌とか、難しい言葉が羅列された詩集のようなもの。
 赤いヒールを履いて、ガムを噛みながらモード誌でも読んでれば、きっとものすごくクールだと思う。でも残念ながらガムはあんまり好きじゃない。すぐに味がしなくなって不味くなるし、なにより一度口の中に入れた物を吐き出すのにすごく抵抗があるんだ。だから代わりに選ぶのはストロベリークリームサンド。ガムじゃなくたってこれで十分にクール。
 近隣の住人がこぞって利用するこのランドリーはとても殺風景で、広さはあるけど、洗濯機や乾燥機しか置かれていない。他所の店では、ドリンクやスナック菓子なんかを売ってる所もあるし、店内にテレビやお洒落なBGMが流れてるお店だってあるのに、どういう訳か、ここにはそういったオプションが一切なかった。
 このお店のオーナーはよほど商売の才能がないか、儲ける気がないかのどちらかだ。それでも週末にはこのコインランドリー目当てに大勢のお客さんがやって来るんだから、実のところ、そんなオプションなんてどうだって良いのかもしれないけどね。
 ただ、他所よりも遥かにマシンの台数が多いこのお店は、確実に待ち時間が短くて済むし、お客さんの回転率も良いのは間違いなかった。

   †

 洗濯も終わって、チク・タクの上からバスケットに洗濯物を放り込むと、今度は空いてる乾燥機に洗濯物を突っ込んで25セント硬貨を投入口に入れてスイッチを押す。
 わたしは部屋干しでも構わないけど、お母さんは乾燥機派だ。
「部屋で干したら雑菌が繁殖するわ! 特に家のアパートは日当たりなんてあってないようなものだもの」
 本当は日光消毒が一番ってお母さんは言うけど、都会では排気ガスやダストも多いし、乾燥機の方がベターだって今は主張している。部屋で干すと乾ききらないで匂いが残るから嫌だって言ってたときもあった。
 そんなのはちょっと香りの強い柔軟剤を入れてやればすぐに解決できるのに。例の変なこだわりによってお母さんは柔軟剤を使わない。これもいろいろ理由をつけていたけどあんまり覚えていない。とにかく変なところで神経質なんだ。
 そのとき、突然カリカリという音がしたかと思うと、あっという間にその異常な音は店全体に広がって大きく響いた。お客さんたちが一斉に音の出所を探すけど、どこかわからない。似たようなマシンが沢山並んでいるから、発生源を特定するのが難しいのは当たり前だった。手のつけられないモンスターが奇声を発してるような音が唸っている――。
 店内の一人が大声を上げた。
「あれを見て! 煙が出てるわ!」
 その声に皆が振り返る。彼女が指差す先を見ると、確かに稼動中の乾燥機の背面から白い煙が上がっていた。丸い窓から見えるドラムの中は真っ黒な煙でいっぱいで、今にも爆発しそうだ。
 一人が緊急連絡用の赤いボタンを押すと、インターフォンから面倒臭そうなおじさんの声が聞こえた。
「ランドリーが大変よ! すぐに来て! もしかすると火が出るわ‼」
「なんだって⁉」
 二階に住居か事務所があったのか、すぐにオーナーらしき男性が焦った表情で表の扉から飛び込んできた。背面から白い煙の上がっているマシンを見ると、荒々しく機械の背後に太い体を捩じ込んで、無理やり電源を落とそうとする。
「ちくしょう!」
 まだ煙に気づいていなかった他の人たちも何事かと注目した。おじさんは腰に下げた鍵束を両手でイライラしながら一本を探り当て、バックヤードの扉に体当たりするように奥へ入っていった。
 その次の瞬間、バンッ! という音と共に、店内すべての駆動音が停まっていった。主電源を落としたんだろう。とにかく問題の乾燥機は爆発することなく停まって、お客さんたちは一斉に胸を撫で下ろした。
 オーナーが再び奥から出てくると、丸い扉を開けた。途端に、衣服の焦げた嫌な臭いと、真っ黒な煙が店全体に広がっていく。
「誰だ⁉ これを放置したやつは⁉」
 オーナーが顔を真っ赤にして利用者を探している。それでもお客さんの中に、オーナーが電源を落としたことに文句を言う人が現れた。
「ちょっと、途中で停めてくれるなよ。金は返してもらえるんだろうな?」
 黒づくめのライダースジャケットを着た男性が声を荒げる。
「ああ、あんた、いつも来てくれてありがとよ! しかしな! 金は返してやるから二度と来るんじゃねぇ!」
 オーナーはズボンのポケットに腕を突っ込むと、中からコインを掴んで床に投げ捨てた。水風船が弾けるようにクォーターが転がっていく。文句を言った男は、それを見ると抱えていた洗濯物を投げ捨て、唾を吐くと出ていった。ガチャガチャいわせたブーツで入口の扉を蹴り上げ、何も持たずに帰っていく。
「あぁすみませんね、皆さんお騒がせしました。どなたかこれを使ってた方を見ませんでしたか」
 言葉は丁寧に聞こえたけど、ものすごくイライラしているのがわかる。呆然と見てた人のうち、何人かが無言で首を振ると荷物を持って出ていった。
 なんとなく嫌な感じの空気が漂う。せっかくの洗濯物に焦げた臭いがついてしまうのも困るし、乾燥機から洗濯物を取り出し、バスケットに荷物を放り込んで足早に出ようとしていると、後ろから呼び留める声がした。
「お嬢ちゃん!」
 振り返ると、ものすごい形相でオーナーが睨みつけている。
「わたしじゃないです!」
 てっきり乾燥機のことを誤解されてるんだと思って、持ち上げた手でジェスチャーすると、おじさんが次に言ったのはそんなことじゃなかった。
「何言ってんだ、そいつだよ。店に犬を連れ込まないでくれ、嫌がるお客さんも大勢いるんだ」
「あぁごめんなさい、今度からは連れてきません」
 そう謝ると、わたしは店を出た。

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