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新年に思うこと

能登半島地震、日航機炎上と波乱の年明けとなった2024年。
この二つの出来事に様々なことを考えさせられるお正月となりました。


能登半島地震

友人の被災

1日夕方に起こった能登半島地震。石川に住む友人たちの安否が気遣われました。

とりあえずSNSで連絡をしてみるとしばらくで全ての人から返信がありました。一番被害の大きい珠洲市に地震の1時間半ほど前まで居たという人もいてほっと胸を撫で下ろしました。

金沢市内に住む人が大半ですが、そちらは断続的に揺れは生じているもののライフラインに問題はなく大丈夫との連絡をもらって安堵しました。

声かけの難しさ

ただ、輪島市内に住む友人からは大変そうな様子が伝えられました。
幸いご家族は皆無事で自宅に大きな被害はないこと。水道は止まっているけれど電気は来ていること。ただ地震で電化製品が落下し、ことごとく壊れてしまったとこと。
電気がいくら通っていても機器が破損していては使えない、当たり前のことに初めて気がつきました。

当日と翌日にラインをしました。
「返信は不要です」との文言を添えましたが、ほどなく返信をもらい2〜3度やりとりをしました。

でも、律儀な彼女のことだから
"返信しないとみどりさんが心配する"そう思ってしまったかもしれない。そんなことが頭をよぎりました。

色々考え3日目はラインを送りませんでした。
判明し始める被災地の様子に、片付けなどに追われてラインを読むどころではないかもしれない、それにラインを送るとしたらなんて言葉をかけたらいいのだろう?そんなことを考えたからです。

災害ではありませんが、自身がくも膜下出血で入院中に嬉しかったのは
「今日は暑くてもう大変」や「雨でズボンがびしょ濡れになったよ」なんて何気ないメッセージでした。

「具合はどう?」や「リハビリはどうしてる?」なんてこちらの病気を気遣うのではなく、そういう友人の日常を知らせてくれる言葉が私はとても嬉しかったのです。

彼女にとっては今どんな言葉が嬉しいのだろうか?
安否の確認が取れた以上あまり地震のことには触れない方がいいのか?
そもそも言葉をかけること自体が負担になってしまうのか?
それとも気にかけてもらえていると励みになるのだろうか?
どうしていくのがいいのかちょっと悩んでいます。

Twitterから学んだこと

テレビ以外の情報も気になりTwitterを眺めていると

「どこのチャンネルも地震ばかりで嫌になる」
「緊急地震速報がうるさい」
そんなツイートが目に入りました。

最初はこんな時に何故わざわざ?と思いました。
ところがそれは東日本大震災を経験した人のツイートだったりすることに気がつきました。

「アラート音であの時のことを思い出して胸が苦しくなる」
そんなツイートを見てちゃんと続きを読んで良かったと思いました。

最初の言葉だけで終わっていたら、ネガティブな発言だけを捉え誤解をしたままでいたかもしれません。
短い文章だけで伝えられる言葉の後ろにどんな想いが隠されているのか想像もしませんでした。

発信された言葉が自分の価値観と異なると感じたときこそ
「なぜこう感じたのだろう」「どうしてこんな言葉を発したのだろう」
そう考えることを忘れてはいけないのだと思いました。

日航機炎上事故

飛行機が燃えている

地震の翌日、石川県の様子が気になってテレビをつけると突然、燃えている飛行機が映し出されました。

最初は一体何が燃えているのか、何が起こっているのかわかりませんでしたが、次第に炎上しているのが飛行機であることがわかりました。
地震に続いてこんな事故が起きるのか?にわかには信じがたいことでした。

しばらくして着陸しようとした旅客機が燃えていると情報が入りました。
着陸時の事故?だとすると乗客が乗ったままでは?
一緒に見ていた夫が見ていられないとスイッチをオフにしました。

時間を置いて再びテレビのスイッチを入れると全員避難したとのニュースが流れました。
子供の頃の日航ジャンボ機墜落事故が頭にあっただけに本当に良かったとほっとしました。

身についた訓練

今回の事故でCAの方達の避難誘導が素晴らしかったと聞き、思い出したことがあります。

それは東日本大震災の時の友人の話です。
彼女はもとCAでしたが結婚退職し10年以上が経っていました。
デパートの最上階にあるレストランで食事をしていた時に大きな揺れを感じたそうです。

あちこちで悲鳴があがりパニック状態の中、
「皆さん落ち着いて下さい。まず頭を守って下さい」
思わずそう叫んでいたと言います。
そして揺れがおさまったところで、従業員を落ち着かせて避難誘導するように促したそうです。

もう無我夢中だったけれど、CA時代に行った訓練のせいか考えるより早く身体が動いたと言います。
辛い訓練だったけれど非常時にはそれが役に立つと実感した、そんな話を思い出しました。

避難誘導の訓練は本当に厳しいと聞きます。働いている間に使うことがないまま終わるCAがほとんどだと思います。
けれども非常時、考えるより先に身体が動くまでになるにはそれほどの訓練が必要なのだと思いました。

それと同時に、華やかな面ばかりがクローズアップされがちなCAの仕事の隠れた一面を知る事故となりました。

新年に思うこと

三が日の間に起きた大きな災害と事故。
色んなことを考えさせられたお正月でした。

元旦のブログにも書きましたが「人生いつ何が起きるかわからない」この気持ちは飛行機事故によってさらに強くなりました。

一昨年は偶然が重なって助かった命ですが、実は今日のことさえわからないことは変わらないのだと思いました。

正直まだ「生にたいする執着心」のようなものは自身では感じられないところがあります。
「やり残したことはないか?」と聞かれても"やりたいこと"が見えていないので「やり残したことはない」と答えてしまいそうな自分がいます。

ただ年末の入院で、多忙な医療従事者の手を経て助かった命であること。年始に、いつまた死と向き合うことになるかわからないことを実感したのには何か意味があるのかもしれないと思いました。

始まったばかりの2024年、被災地の1日も早い復旧を願いつつ、自分のこれからについても考えていきたいと思います。