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障害受容について

第8回〈en〉勉強会に参加しました。
(zoom勉強会から名称が変更となりました)

今回は当事者セラピストの方のお話でした。
当事者と医療従事者、両方の視点を持つ方のお話を同じ医療職の方々はどんな気持ちで聞いておられたのかちょっと気になりました。


全体の感想

全体のお話を聞いて、当たり前ですがセラピストといっても一患者なのだなと思いました。

入院中に感じるのはプライバシーの問題やナースコールを押すことへのためらいだったり、話を聞いてもらうことの嬉しさだったりと何ら私たちと変わりはないのです。

ただ、その当たり前の感情を、人は立場が変わると忘れてしまいがちな気がします。
だからベテランになるほど感覚が麻痺して患者の気持ちが見え難くなるのかもしれないと思いました。

障害受容について

お話が終わった後に参加者から「障害を受容出来たのはいつ頃ですか?」という問いがありました。
そして登壇者の答えは「2年くらい経った頃です」でした。

この答えに私はほっとしました。
「そうかセラピストの方であっても障害を受容するのに2年かかったのか」と思ったからです。

ここで障害が受容出来たと思ったのはどんな瞬間だったのか聞いてみれば良かったと後から思いました。

障害受容を意識したとき

私は自分の後遺症のことを「障害」だと回復期を退院するまで思っていませんでした。

急性期では目が見えなかったため、後遺症と言えば目のことばかり考えていましたが、幸い手術で見えるようになりました。そして足の麻痺も軽いものだったので、スポーツをしない私はあまり気にしていませんでした。

何より
「走ることはできないかもしれないけれど日常生活に支障はないし、ここ数年で一番元気な患者だから自信持っていいですよ」
そう回復期を送り出されたので、自分が障害者だという認識はありませんでした。

にも関わらず、退院後1ヶ月半ほどして自費リハビリについて相談した時、担当だった療法士さんの口から出たのは「障害を障害として受け止めないと」という言葉でした。

それが自分に障害があるのだと気付かされた瞬間であり、障害受容出来ていないことを指摘された瞬間でした。

受容を促されること

このあと私は、障害受容に関する本を色々読み始めました。
そこで感じたのは専門家が書いている事と当事者が書いている事の温度差でした。

障害受容の5つのプロセスは実際に受容するのに役立つものなのだろうか?専門家の本を読めば読むほど苦しくなる気がしました。

一方当事者が書いた本はどれも「そんな簡単に受容出来るものではない」というものばかりでした。
中でも当事者セラピストの小林純也さんの言葉は私の胸にぐっと来ました。

とても噛みきれぬ思いをなんとか咀嚼し、無理やり飲み込む。1回で消化しきれないから、何度も吐き出す。そんなことを繰り返し、なんとか折り合いをつけていくことで、ようやく輪郭がみえてくるもの。それが「障害受容」だと思うのです。決して他人から促され、「そうです障害受容を目指します!」なんてものではないのです。

脳卒中患者だった理学療法士が伝えたい、本当のこと

人から言われて受容出来るのなら誰も苦しみません。なのにそれをわざわざ指摘し促すことになんの意味があるのだろうか、と今だから冷静に思えるようになりました。

出来れば障害受容なんて言葉は医療従事者の胸にしまっておいて、患者の前で口にしないでほしいと思います。

仕方ないと思えた瞬間

障害受容ができないと苦しんでいた私が「それは仕方ないことなのかも」と思えたのは、ある友人の言葉でした。

友人は学生時代、スポーツ選手を夢見て練習に励んでいたのですが、試合で大怪我を負い選手生命を絶たれてしまいました。
有能な選手で将来を嘱望されていただけに想像を絶する辛さだったと思います。

そんな友人と怪我をした時の話になり
「30年以上経っても夢にみるよ。今でも悔しくて涙することあるよ」
と彼がぽつりと呟きました。

当時発病して一年も経っていなかった私は「そうか、まだまだ受容出来なくても仕方ない」やっとそう思えるようになりました。

発病後2年経って

友人の言葉で私が思えたのは「障害受容出来ていなくても仕方がない」ということです。決して障害受容が出来た訳ではありません。

発病して2年経ちましたがそれでも「受容出来ているのか?」と聞かれたらよくわかりません。

少しずつ出来ることに目を向けられるようにはなって来ました。
それでも未だ出来なくなったことを思い、涙する日があります。

使うこともない手芸道具から目を背けるくせに、片付けることも処分することもできずにいます。
そんな今の状態を「障害を受容出来た」と言えるのかはわかりません。

ただ、今は「障害受容」なんて言葉を口にする代わりに、私がやろうとすることを応援し、手助けしてくれるセラピストがついてくれています。そのおかげか障害受容について考えることが少なくなった気がします。

当事者セラピストであっても障害を受容出来たと思えるまでに2年かかっていること。このことを現場にいる医療職の方や当事者家族が知り、障害受容を促すことで当事者を追い詰めることのないようにしてもらえたらと思います。

最後に

自分が体験しないことはなかなか想像できません。だからこそ、こうした当事者が発信する勉強会の場は大切だと思います。そして参加してくれる医療職の方や支援者が1人でも増えてくれることを願っています。