見出し画像

明日は我が身

くも膜下出血になって学んだことは
明日は我が身ということ。
辞書で引くと下記のようになっています。

よくないことが、いつ自分自身にふりかかるかわからないということ

広辞苑

嫌というほど思い知り、考えさせられたこの言葉を今回のテーマにしてみようと思います。


母となって

電車内で泣き叫ぶ赤ちゃんに対して暴言を吐くなどの行為が取り沙汰される昨今ですが、自分が子供を持つ前には赤ちゃんが泣いていてもさして気に留めなかったような気がします。

それがワンオペ育児で二人の小さな子供を連れて外出することを経験して見え方が随分変わりました。

電車の中やお店で泣き叫ぶ赤ちゃんを見ると
「可哀想に」
と思う対象はお母さんです。
いたたまれない気持ちでその場にいるだろうことを思い、早く赤ちゃんが泣き止んでくれることを願います。
「いずれ泣き疲れて寝るからね」
そんな言葉をかけてあげたくなります。

私自身ヘルプマークをつける身ではありますが、妊婦さんだけでなく小さい子供を連れているお母さんにも席を譲ることがあります。
それはさぞ疲れているだろうなという自分の経験からです。

子供が小さかった当時は駅にエレベーターが設置されているところは多くありませんでした。
下の子を乗せたベビーカーを持ち、よちよち歩きの上の子を連れて上り下りする階段には難儀しました。

そんな時にベビーカーを持って登ってくれたサラリーマンの方や、自分も上がるのがやっとのおばあちゃんが上の子の手を引いて階段を登ってくれたことは今でも忘れられません。
それだけに子連れの大変そうな方を見るとつい声をかけるようになりました。

音訳ボランティアを経験して

病前には生き甲斐だった音訳ボランティア。こちらを通して視覚障害者の方々の様々な姿を拝見することができました。

一見は百聞にしかず。実際にみる視覚障害の方々は当たり前ですが私たちとなんの変わりもありませんでした。
目が不自由というだけで、パソコンを使いヨガをし生花やお料理もこなす。
階段なんて青眼者の私よりずっと早く駆け上っておられました。

もちろんお手伝いが必要なこともあります。
自分たちが行なっていた音訳という作業もその一つです。
けれども目が見えなければできないこと以外はなんでも出来るのだということをここで学びました。

目の見えない経験をして

その一方で、実は自分が何も分からず音訳ボランティアをやっていたと知ったのは1ヶ月ほどの目の見えないという体験からです。

くも膜下出血で搬送され意識を取り戻したとき私は目が見えないことを知りました。もちろん手術という方法があると聞かされてはいましたが
「見えるようになる可能性はあるけれど手術してみないとわからない」
当然ではありますが医師からはそう説明されました。

もしこのまま見えなかったら
「音訳ボランティアも趣味の刺繍もできない」
そんなことを考えていた私に日々の生活は現実を突きつけてきました。

誰かに付き添われなければトイレも食事もままならないこと。
見えないことに少し慣れてきてなんとなく動けるようになってからも(看護師さんからはひどく叱られましたが)テレビを見ることも出来ず、落としたものを拾うことも、何を落としたのかさええわからないこと。そして手探りで何かわからず食べる食事のおいしくないこと。

自分が利用者さんのことを何も理解せずボランティアをしてきたことを初めて知りました。それと同時に自分たちが作っている音訳図書や雑誌、広報などが利用者さんの楽しみとなっているであろうことも知りました。
身をもって経験したからこそ、退院したら1日も早くボランティアに復帰したいと願いました。

高次脳機能障害を負ってみて

高次脳機能障害、まだ知らない人も多いこの障害です。自分のことを理解してもらいたい気持ちと同時に、この障害自体をもっと多くの人に知ってもらいたいと思う気持ちがあり、あまり隠すことなく障害について話して来ました。

そんなある日、とあるコミュニケーション講座に参加した時のことです。
高次脳機能障害を負ったことを話し、もしも覚えていない、ちゃんと話せないなどあったら申し訳ありません、と前置きをしました。

するとファシリテーターの方に
「脳に障害があるのにこんな場所に出てきてえらいです」
と拍手をされました。

そしてワーキングメモリの低下で以前やっていたことが出来なくなって辛いのだと話すと
「高齢化の時代だから認知症のお年寄りの気持ちがわかってこれから必要とされるんじゃないですか」
と言われました。

本当に認知症のお年寄りの気持ちがわかるのならば、確かにこれから必要とされるかもしれません。
でも今の私の状態は認知症とはまた違ったものです。
認知症に例えられたことが嫌だったということではなく、理解しようとしてもらえないことに悲しくなりました。
そして拍手と共に言われた言葉は一段高いところから見下ろされている気がしてこの講座は後味の悪いものとなりました。

体験せずに共感すること

母となってわかったこと。目が見えなくなってわかったこと。高次脳機能障害を負ってわかったこと。
これらは体験して身にしみてわかったことです。

自ら体験したことには共感しやすいと思います。
そして共感できたならば寄り添いやすいと思います。
では体験しない事に寄り添うのは難しいのでしょうか。

だとしたら医療従事者はありとあらゆる病気をしなければ患者の気持ちに寄り添い難いということになってしまいます。
でもあらゆる病気をするなんて不可能なことです。

だからこそ例えば私が音訳ボランティアの経験から視覚障害者の方々のことを知ったように、また本や映像、SNSからでも、自分の知らない世界をのぞいて見ることは大切だと思います。

体験できなくても色んな世界を知ることは、寄り添いへの一歩となる気がします。

明日は我が身と思うこと

今回の病気で医療従事者を始め色んな人と接し、心無い言葉や態度に傷つくことが少なからずありました。

例えば、医療従事者であれば皆、少なくとも学校で患者に寄り添うことについて一通り学んだだろうに?そんな疑問を持たざるを得ない人もいました。

もちろんそうでなく心から寄り添い支えてくれる方もいました。ではその違いはなんだろう?考えてきたことですが答えはまだ出ていません。

ただ、一つ思うのは寄り添おうと思ってくれる気持ちは自然と態度や言葉に表れ、患者に伝わり、病と戦う上での大きな支えとなるということです。

そのためにも患者を前にした時に
「明日は我が身かもしれない」
そう思って接してもらえたらと思うのです。

そしてそれは医療医現場に医療従事者に限った話ではありません。
小さな子供を抱えた母親、車椅子に乗った人、白杖を持った人、見えなくとも脳に障害を負っていたり精神疾患を抱えている人。
世の中には色んな事情を抱えた人がいます。

私も今回のくも膜下出血では自立歩行できていますが
「明日は車椅子となるかもしれない」
そんな風に思っています。

誰もが健康な時には思いもしないことかもしれません。
かくいう私も障害を持つ身となるまでは
「明日は我が身」そんな風に考えて日常生活を送って来ませんでした。

けれどもこういう体験をしたからこそみなさんに知って頂きたいです。
おそらく脳梗塞や脳卒中を起こした人の多くが口にされることではないでしょうか。

朝出かけていつも通り帰って来られると思っていた、
次の日も今日と同じように朝を迎えられると思っていた、と。

病気だけでなく事故でもそうでしょう。
人間いつどこでどんなことが起きるかわかりません。
だからこそ「明日は我が身」と思ったら、
障害がある人もない人も同じように生きられる優しい社会に近づけるのではないかと思います。