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私の障害受容

「日常生活に支障はない」そう言われて退院した回復期。
くも膜下出血発症で止まった時間を取り戻せると思っていました。

けれども退院した私を待ち構えていたのは、高次脳機能障害により支障だらけとなった日常生活でした。

"料理がしたい、夫に好きなものをいっぱい作ってあげたい"
入院中から思っていました。

ところが料理が出来ない。
キッチンで、手順がわからず立ち尽くしたり、忘れたままの料理が電子レンジに残されているのを見て泣き崩れたりしました。

手芸道具を取り出しても何をどうして良いのかわからず呆然となりました。

材料や道具が視界に入ると悲しくなる癖に処分する諦めもつかず、いっそ火事にでもなって燃えてくれないかとさえ思いました。

通院途中に迷子になり、どうにもならず仕事中の夫に半泣きになりながら電話をかけたこともありました。

何かある度、情けなくて泣いて泣いてやり過ごして来ました。

慰められても嫌
励まされても嫌

そんなわがままな自分に一番嫌気がさしていました。

障害受容って何となく受験の失敗に似てる気がします。

志望校に落ちて、泣いて泣いて乗り越えたつもりで入学式を迎えても、通学し始めたら"ちがう!思っていた学校生活はこんなじゃない"と現実にぶつかる。

それでも頑張って通い続けたら新しい友人が出来てちょっと楽しくなった頃に、志望校に合格した昔の友人にばったり会い、その言動に傷つき涙する。

受験に失敗したのは自分だし、ここでやっていくしかない。
そう自分に言い聞かせながら自分に鞭打って。

苦しみの中にも楽しみを見つけて過ごすうち卒業式を迎え、やっと吹っ切れた乗り越えられたと思っていたのに、ふとした拍子に「あの時受かっていたら」なんて大人になってからも思う時があり‥

いつ乗り越えられるか、どうやって乗り越えるかなんて人それぞれで

乗り越えて心機一転入学式を迎える人
引きずったまま学生生活を送る人
社会人になってもなお諦め切れない人

どれが正解・不正解ではないし、引きずらない方が楽と頭ではわかっていてもそう割り切れるものではないと思うのです。

障害者として新しい生活を送ることも同じような気がします。

側から見ていたらどんなに非効率的と思っても、その人のペースでやり方で受容し乗り越えるしかないのではないでしょうか。

だから
急がせないで
押し付けないで

ただただ見守って欲しい

苦しそうな様子を見守るだけも辛いと思います。
けれども私が一番欲しかったのはそれだった気がします。

何となくだけれど自分の障害受容の輪郭が見えて来たように思います。

一番辛い時は過ぎた気がするけれど、それでもまた悲しくなったり情けなくなったりすることはありそうです。

ある時を境に変わってしまった自分をそうそう受け入れられるものではないのだということがわかってきました。

障害受容出来ない自分を受容できた。これが現時点の私の障害受容のように思います。