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とある教え子から毎年、暑中見舞いが届きます。担任したのは1年間だけでしたが、暑中見舞いを見ていると彼の人なつっこい笑顔や、優しいところが思い出され、じんわりと幸せな気持ちになるのです。

宛名を見ると、非常にていねいに書いたことがうかがえます。きっと、私に成長した自分の字を見せたいのでしょう。メッセージを読むと、中学校から入ったサッカー部も勉強もがんばりたい、と書いてありました。中学校生活を満喫してくれているのは、本当に嬉しい限りです。

ただ、ていねいに書いてあることと、字がきれいなことは違います。よく読むと、「べんきょう」という字が「べんきう」になっていますし、漢字の間違いもあります。葉書のように線が引いていないまっさらな紙だと、真っ直ぐに書くのも難しいのでしょう。字がどうしても、右に曲がってしまっています。

小学校の頃から、ノートを書くこと自体が難しかった子でしたので、なんとか書かせようと指導をしました。日記も、字が雑だと休み時間に一緒に書き直しをしました。ていねいに、一字一字ゆっくり書かせると、きれいに書けるのです。
「やっぱりできるでしょう。きれい!すごい!」
と言っていた自分を思い出します。

私は、その精一杯の字を、彼の「当たり前」にしようと思いました。しかし、この指導が大きな間違いだったことを、この暑中見舞いを見て想います。おそらく、暑中見舞いの字を見せて、「何年生が書いた物ですか?」と聞けば、多くの人が小学校低学年と答えるでしょう。中学生が書いた字には見えません。やはり、何かしらの配慮が必要な子であることは、明らかなのです。

私がしたことは、大きなストレスだったでしょうし、休み時間も奪ってしまったのです。他の子には適切な指導でも、彼にはやってはいけないことでした。申し訳ないことをしたと思います。

それでも、彼は私に暑中見舞いを、とてもていねいに書いた字で届けてくれました。あんな指導をした私でも、想ってくれている。

彼の優しさや素直さが表れた字を読んでいると、私は胸が一杯になるのでした。

                         三浦健太朗

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