「えっ?」は表情に出ても、言葉には出にくい
【美容院での幸せ】
長らく美容院に通っていた。
休日、お金を余計に払っても、流れている空気がおしゃれで楽しい。
働いている人たちも、どこかおしゃれな街から来たような髪型、服装。
窓だらけの壁から差し込む光。白い店内。
そんな空間にいる自分。それだけで幸せな気持ちになれる。
1時間とわずかな時間で、心も見た目も変わる。
おっさんも、ここでは素敵な紳士になるのである。
常連というのは楽なもので、
「前と同じで」
と言えば済んだ。
しかし、最近、予約が取れず、「ここだ!」と勇んで電話しても、夕方遅い時間になると言われる。
せっかくの休日のいい気分が、夕方では価値がない。
【理容室へ行って】
そこで、思い切って格安の理容室に行くことにした。
10年以上の習慣を変えることは、どきどきだった。
恐る恐る店内へ。
地域のおっさんたちで混んでいる。紳士など一人もいない。みな、おっさんである。
そこに入って待ち始めた自分も、おっさんである。
店員たちは流れ作業にのみ集中するかのように、淡々と表情一つ変えずに働いている。
地域のおっさんも、おっさんに同化した私にも、散髪の喜びなどみじんも見えない。
右から左へ流れるように、髪を短くするためだけに並んでいるおっさんなのである。
そんな中、私の順番に。
バリカンで一気に髪の毛をもっていかれる。
ぼとっ、ぼとっと、これまでの時間を一緒に過ごしてきた髪の毛が落ちていく。
さあ、できあがり。
あれ?なかなかいいぞ。
自分の思い通りの髪型である。
おっさんは、もうけたもうけたとばかりに、美容室の三分の一の値段でささやかな幸せを見つけた。
【ソフトモヒカンで】
格安理容室へ行き慣れた私は、自分の髪型をついに、
「ソフトモヒカンで」
と言う勇気を決めた。
この言葉が、なかなかどきどきものである。
なにしろ、元サッカーイングランド代表のデイビッド・ベッカム選手が流行させたおしゃれな髪型である。おっさんが、安々と頼んでよい髪型ではない。
注文して切ってもらうと、イメージしていたよりもかなり長い。
あの折り畳みのできる鏡で私の後頭部を照らし、
「いかがですか?」
と聞く。申し訳ないが、
「もっと短く」
というと、メガネをかけてロン毛、ちりちりのパーマをかけた小太りの理容師はあきらかに機嫌を損ねたようだった。
聞こえないくらいの声で、
「だって、ソフトモヒカンで、って言いましたよね。」
「はい…」
「ソフトモヒカンなら、これくらいですよ。」
「ハア、スミマセン。」
「もう、ソフトモヒカンって、頼まないでください。」
「ハア、では、なんと頼めばいいのですか??」
「…。」
メガネをかけたチリチリパーマのロン毛の理容師は、迷った挙句、こう言った。
「とにかく、ソフトモヒカンって、頼まない方がいいですよ。」
「ハア。ワカリマシタ。」
その後、短く刈り込んでくれた。
やはり、デービッド・ベッカム選手と同じ髪型ではいけないのだと悟った。
【ソフトモヒカンで??】
3か月たった。髪は伸び放題だった。ついに、意を決してあの理容室へ行く。今回も、あのメガネをかけたチリチリパーマのロン毛の理容師である。あんなことを言われたので、かねてよりなんと言えばいいか決めていた私は、満を持してこう言った。「長めの坊主で、てっぺんは少し長めで、立つようにしてください。」すると、ロン毛の理容師は、さらっとこう言った。「ああ、じゃあソフトモヒカンですね」衝撃が走った。え?あんた、この前、ソフトモヒカンで言わないでくださいって、言ったよね。鏡に映った私は、明らかに混乱の表情を浮かべながらも、「ハア、ソウデス。」と言いきった。メガネをかけたチリチリパーマのロン毛の理容師は、いつもと同じ作業に入った。髪の毛が短くなるまでの時間、私はずっと混乱していたのであった。
【子どもも一緒】
この理容師は、明らかに言っていることが前と違っていた。
ダブルスタンダードである。
私は戸惑いながらも、彼に従ったのである。
もしかして、1年を一緒に過ごす学級の子どもたちも、私に対して同じ感情になっていやしないか。
「先生、前と言っていること、違うじゃん!!」
中には、そうやって突っ込める子もいる。
もちろん、そういう言いやすい関係を築いていくのが私たちの仕事だと思う。
でも、全てが突っ込める子ばかりではない。
そんな中、私たちができることは、一瞬の表情の変化を見逃さないことではないか。
ちょっとした空気の変化。
汲み取って、せめて「あれ?どうかした?」と聞ける人でありたい。
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