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 その瞬間は、突然でした。出始めたら、もう涙が止まらなくなって人目をはばからず泣きました。人生で最初で最後の大号泣でした。

先生いなくなっちゃうの

 それは、離任式の日。初めて1年生の担任となり、一年間、本当に楽しく過ごしてきました。留任を希望していたはずなのに、まさかの転勤辞令。ずっと、学級の子どもたちに黙っていましたが、修了式の2日前に新聞発表があり、保護者の知るところとなり、連絡帳にメッセージが届き、さすがに一年生の子どもたちも気づきました。
「先生、いなくなちゃうの。」と言われ、
「ごめんね。学校をかわることになったんだ。」と話してはいました。

当日の朝の会の不思議な雰囲気

 そして、修了式の朝、なんとも言えない雰囲気でクラスの朝の会が始まりました。私も子どもたちも転勤する話題にふれると泣き出しそうなので、不思議な空気が流れていました。でも、今日でお別れなんだということは分かっていて、大切に過ごしていた気がします。
 体育館に全校児童が移動しての修了式。式中の横から眺める一年生の子どもたち。本当に立派になったなあと感慨深いものがありました。教室にもどり、休憩時間が終わると、いよいよ離任式です。
 私は職員室に戻り、何を話すかもう一度確かめ、5年間過ごしたこの学校での思い出を短くまとめ直しました。そのときは、自分が泣くなんて思いもしませんでした。

離任式 人目をはばからず大号泣

 校長先生からの離任者の紹介が終わり、自分のスピーチの番になりました。5年間で担任させてもらった、4年生、6年生、5年生、6年生、そして、1年生の子どもたちとの思い出を話し、これからも応援していることを淡々と伝え終えました。話し終え、安堵したその2分後にそのときはやってきました。

 よし、これで泣かずに離任式を乗り切れると思っていたときでした。校歌のイントロが流れ、子どもたちを見てみると、みんな泣きながら、校歌を歌っていました。私が一人一人に視線を向けると、泣いている一人一人の目と視線が合うのです。もう、ダメでした。
 だーだー、と涙があふれてきてしまい、校歌を一緒に歌いながら泣きました。校歌が終わっても、体育館を退場しても涙は止まりませんでした。


泣きじゃくる子どもたちと自分 =思い出=

 教室に戻り、通知表を渡す私も、もらう子どもたちも、泣きながら、しゃくり上げながらのやりとりでした。そして、次から次へと子どもたちのとの素敵な日々が甦ってきました。

「入学式の担任発表で、ひげもじゃの私を見て、固まっていた子どもたち」
「アサガオの鉢に土を入れ、願いごとをしながらタネを植えたAさん」
「一緒にプールで遊んで、パンツをさがしたら、水着の下にはいていたBさん」
「給食でおかわりがないと不機嫌になるCさんと牛乳早のみ競争したこと」
「3校時に体育をすると、5校時の勉強では必ず、昼寝をするDさん」
「4校時になると、おなかが減って力が出ないとアンパンマンのようにすねるEさん」
「学習発表会で金のガチョウのかぶり物や衣装のひらひらを作る名人のFさん」
「みんなでつくった凧を揚げると、必ず、友だちの凧と絡ませるやっかいなGさん」
「夏休みに針金細工のねぶたを作り、どや顔でお母さんに持ってこさせたHさん」

 涙する自分に思うこと

 もう愛すべき子どもたちでした。一人一人に山盛りの思い出があります。もう、15年以上前のことですが、離任式の度に思い出します。そして、後にも先にもこれほどの大号泣はありません。この涙で、教師である自分が一段と大好きになりました。そして、そのとき以降も教師を続ける大きな大きな原動力となっています。

 みんなどうしているかなあ。会いたいなあ。

大賀 重樹

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