Wonderから考える、子供への反応の仕方
去年受け持った6年生のAさん。
読書が好きで、休み時間は友達との会話を楽しみながらも、隙間時間を見つけては本を読んでいた。
図書室で借りた本は年間100冊近くに達する。
そんなAさんが日記にこんなことを書いてきた。
「私が今まで読んだ中で一番好きな本です。人との接し方を考えるきっかけになりました。」
書籍名は「Wonder」
2016年に「第62回青少年読書感想文全国コンクール・小学校高学年の部」の課題図書になった作品だ。
2017年には映画化もされ、作品を観たり読んだりしたことがある方も多いのではないだろうか。
物語のあらすじは、遺伝子疾患によって顔に重度の障害をもって生まれた少年オーガストが、小学校に通うことになり、奇異な目に晒されたりいじめに遭ったりする中でも、周りと信頼関係を築きながら成長する、というものである。
物語の中では、オーガストの鋭い観察力と真に迫る発言に、何度もはっとさせられた。
少年オーガストは、その見た目から、出会う人の様々な反応に悩まされてきた。
顔を見て戸惑う人。
あからさまに避ける人。
友達とこそこそ話をする人。
なんでもないように振る舞うけれど、目の奥は驚いている人。
慣れっこだと気丈に振る舞いながらも、その小さな体と心に大きな悲しみを背負っていた。
人は他者の反応に触れて心が動く。
他者に反応されやすい人ほど、その反応に敏感である。
これは、私が4月から出会う新しい学級の子供たちにも当てはまることではないか。
私は学級開きの日、自分の反応の仕方を意識してみることにした。
始業式。
リモートによる担任発表を終え教室に入ると、子供たちは期待と不安の入り混じった顔で私を見つめた。
この先生はどんな人なんだろう。
私になんて言葉をかけるんだろう。
私にどう反応するんだろう。
そんなことを考えているように感じられた。
「こんな1年間にしていこう」と担任の思いを伝えている中、ある男の子が机の上に寝そべり、気をつけの姿勢を始めた。B君だ。
昨年からの申し送り事項で、配慮が必要とされている子だった。
周りの子たちは、いつものこととでも言わんばかりに、黒板の方を見ていた。
私はそっと近づき、体幹をほめつつ着席を促した。
翌日、算数の授業開きを行った。
できるだけアクティブに、どの子も自分の考えを持てるように、そして発言できるような授業を心がけた。
B君は学習に取り組もうとせず、床に座っていた。
次の時間は係決め。
子供たちが希望の係にネームプレートを貼る中、B君は最後まで自分の席のあたりから離れなかった。
休み時間、B君のところへ行き、心の内を聞いてみた。
「だって算数分かるもん。答える必要ない。」
「係はなんでもいい。余ったところをやるから。」
そんな返事が返ってきた。
なるほど、B君にはやはり考えがあった。
「よし、じゃあB君が頭を悩ませるような、答えたくなるような授業にするぞ。」
「周りのバランスを見て決めようとしてくれていたんだね。ありがとう。」
そのように答えてみた。
次の日。
授業中にB君が手を挙げた。
すかさず指名すると、ぶっきらぼうではあるが、堂々と自分の考えを発表した。
次の日。
教室の掲示をしていると、B君がそばに寄ってきて、私が次に掲示したいものを順番に手渡してくれた。
次の日。
机の周りはぐちゃぐちゃだが、教科書とノートが机の上に準備されていた。
この先生は自分にどう反応するんだろう。
今までも、B君はその行動(見た目)から、多くの反応に触れてきたことだろう。
その反応の一つ一つを敏感にキャッチし、傷つき、傷つけてきたのかもしれない。
目に見えるもの(行動、見た目)に反応するのではなく、内面を見ようとする。
その姿勢がB君に伝わっていたのだとしたら、この上なくうれしい。
そんな姿勢をこれからも大切にしていきたいと思う。
Wonder、おすすめです。
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