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今週末は、車検です。
車に乗っている人ならわかるであろう2年に一度(新車時は3年)の大出費の日。

安全のために検査が必要と感じるのならいいが、昔と違い車の性能が上がっている今、本当に2年に一度が適性なのか…
時代が変化し、技術革新がおこっているのに、制度が旧態依然のままなのは、どの分野でも同じなのかもしれない。

ということで、今回は、車と教育という視点で考えてみたいと思います。

みなさん、「ブレーキペダルの遊び」と「ハンドルの遊び」って知っていますか。車に乗らない人もいると思うので、車のメーカーディーラのパンフレットや教習所の教本等に記載されていた内容を紹介します。

「ブレーキペダルの遊び」
 ブレーキペダルは一定の場所まで踏み込まないと反応しない仕組みになっています。その踏んでも反応しない部分を「遊び」と言います。「遊び」がないと軽く触れただけで急停止や減速をしてしまうため、正常な「遊び」があることが重要です。

「ハンドルの遊び」
 一般の車のハンドルは、少し操作しただけではすぐタイヤの角度が変わらないようになっています。これをハンドルの“遊び”といいます。なぜ車のハンドルには遊びがあるのでしょうか?遊びがないとちょっとハンドルを切っただけでタイヤが動いてしまい非常に運転しにくくなります。
 また、一般道を走るときは道路の凹凸でタイヤが動き、それがハンドルに伝わってハンドルが常時震えてしまいます。

二つのことから、何を考えますか。
私は、精密で高性能の機械が、うまく人間社会に順応するためにはあえて「遊び」という余白の部分が必要だったという事実に興味をもってしまいます。

そして、今の日本社会について考えてしまいます。私たちの社会は、ずっと「より正確に」「より素早く」「より丁寧に」を求めて、どんどん人と人との間にあった「遊び」という余白をそぎ落とすことに力を注いできたように感じます。

それは、教育の中であってもしかり。みなさん、お子さんのやることに瞬時に反応していませんか。学校での子ども同士の諍いに、学校の対応に、保護者の対応に、瞬時に反応してませんか。

お互いの関係性の中で、すぐに急停止や急ハンドルを切るような対応をとるちょっとその前に、冷静に落ち着いてみる「遊び」という余白の部分があるほうが、やっぱり人間社会に順応しそうじゃないですか。

正確な機械にあえて「遊び」の部分を入れた先人の知恵から、
今の日本社会を、そして、自分の立ち居振る舞いを振り返ってみるのも大事なのかもしれないですね。

車では「遊び」を上手に使って滑らかに運転する人が、運転上手と言われています。
人間社会でも、「遊び」を上手に使ってお互いさまの精神で人と関われる人がたくさん増えてほしいですね。そのためにも、まずは自分から頑張っていこうと思います。
                           まっさん

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