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筑波大学附属小の公開研に行きました

6月10日、11日と、筑波大学附属小学校の公開研に参加しました。
コロナが始まるあたりの2019年、2月以来、対面は4年ぶりの参加ということで、ワクワクした気持ちになりました。
ここに来ると、たくさんの刺激をもらいます。
謙虚な気持ちで、授業に打ち込もうという気持ちになるのです。
今回も、多くの学びがありました。

初日に見たのは、粕谷昌良先生の「未来を支える食料生産」の授業でした。
福島のお米を買って食べますか?ということについて考える授業です。
福島のお米は、福島第一原子力発電所の事故により、放射能の汚染が危惧されるようになりました。
このことを受け、平成24年産米より、県内で生産される全ての米を対象に全量全袋検査を実施するようになりました。
結果として、安全性が確認されているのです。
にもかかわらず、第一原発の事故による風評被害にあって、なかなか売れない、ということについて、子どもたちは話し合っていました。

最初、私は
「そもそも、福島のお米にブランドイメージがない」
ということが一番の問題なのではないかと思ったのです。
だからこそ、消費者は買わないのではないかと思いました。
事故からもう12年の月日が流れ、風評被害をあえて取り上げる必要はないのではないか…。
そんな思いで、授業を見ていました。

授業後、粕谷先生から語られた話を聞き、私はすべてを納得しました。
授業者の思いを知ることによって、授業の良しあしというものは大きく変わります。つまり、どんな世界に子どもたちを連れていきたいか、ということが、最も重要だということです。

粕谷先生は、ずっと「アナザーストーリー」ということを研究の中心に据えていましたが、授業結果を分析することによって、新しいテーマに挑戦されていました。
それは、社会科授業によって、教材と、自分の生活とのつながりを明確にする授業作りです。
社会科授業に前のめりな子どもを授業の中でいくら生み出しても、子どもが生活に戻った時に、学びが生かされていなければ意味がないのです。わかりやすい例でいえば、授業の中でごみの減量化について真剣に学んだ子供でも、家に帰ったら全く分別しない子どもであれば、学んだ意味が全くないのです。
社会科授業を深めようと、自分自身で授業分析を繰り返し、よりよいものにしていこうという粕谷先生の思いに触れることができました。よりよいものを作ろうという粕谷先生の姿勢に、心から感動しました。

今回の授業では、粕谷先生は福島のお米について、「頭ではわかっているのだけれど、心の中ではなんとなく食べようとは思えない」という心理に向き合っていました。今回の授業を概念的知識としてみれば「心理的イメージが生み出す、消費活動の矛盾を克服すること」とでもいいましょうか…。
つまり、一度悪いイメージができてしまったものは、真か偽かという事実よりも、なんとなくいやだから買わない、という構造を持っている消費世界があることをわからせるということだと思います。このような構造は、多くの社会的事象で起きているように思います。だからこその教材です。

子どもたちは実に真剣に考え、話し合い、深めていました。
見ているこちらが、気持ちよくなる授業でした。
私自身、「授業に向かわせる」ことについては真剣に考えてきましたが、子どもたちが生きていくうえでの大切な資質・能力を作っていく、ということについては真剣に考えてきませんでした。
ですが、どちらが本当に大切であるかについては、疑いようのないことです。反省しました。

これからも、社会科授業に、真剣に向き合っていきたいと思います。

                       三浦健太朗

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