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読めるけど書けない子・読めないのに書ける子

読む力と書く力は、自転車の両輪のようなものだという話をよく聞きます。教員をしているとその通りだなぁと思うことがよくあります。日々読書している子は、文章を書くときもスラスラ書けるし、読書しない子はやはり文章を書くのも苦手という傾向があります。

ただ時々、「本はあまり読めないけれど、文章を書くことは意外とできるなぁ」という子がいたり、逆に「本をいつも読んでるけど、文章を書くことが苦手なんだなぁ」という子がいたりします。

今日は、どうしてそういう状況になるのかなと考えて、整理してみたいと思います。(あくまで、私の経験から考えた主観的な捉え方です。一個人の見解としてお読みいただければと思います。)

読めるけど書けない子

「読める」のレベルはいろいろありますが、ここでは当該学年の教科書より難しい本(長文で、やや厚みのある本)を読める子について書いていきます。

書くことへの葛藤

私が担任した子で、みんなから読書家と認められている子がいました。その子は、授業のちょっとした感想などが書けず泣いてしまうことが多々ありました。自分の感じていることを書き記すことに何かハードルを感じていたようです。

泣いてしまうほどではないにしろ、小説などをたくさん読んでいるのに書くのはあまり好きではないという子に何度か出会いました。その子たちの状況から察するに「書いたものを評価されるのが嫌」とか「書いて表現したものに○や×をつけられるのがしんどい」とかそういうことだったんじゃないかなと思います。

たくさんの書物と向き合い、「書くという表現活動は自由だ」ということを肌で感じている子どもたちにとって、それを安易に評価されるのは耐えがたいことでしょう。そういう子には、先生の無言の圧力(こういうことを書いてほしいな)というのを敏感に察知する子が多いように思います。従順でいたくない…、先生の望むように書きたくない…そんな葛藤が強くなり、書けなくなってしまうのではないでしょうか。

私は子どもたちに、「空気を読んで心にもないことを書かないでいい。思ったままに書いていいし、先生への反論やみんなと違う意見も書いていい」と言います。また、それで評価を下げたりしないということも伝えます。

子どもが私を信頼してくれるようになると、次第に書けるようになります。書くことは自由な表現であるということを共有し、子どもが書いたものを大切にすることは、教育に携わる者の責務だと感じます。

アウトプット経験の少なさ

もう一つ別のケースとしては、こんなこともありました。本をよく手に取っていてビブリオバトルにも出場していた子です。本が好きなんだなぁ、文章も書けそうだなと思っていると、意外と書けないということが分かりました。

よくよくその子の状況を考えてみると、「書く」という経験がそもそも不足しているということが浮かび上がってきました。会話をすると、本を読んでいるのでたくさんの語彙が蓄積されていることが分かります。でもそれを書くという行為につなげるのにワンクッション必要なのです。

傾向として少し集中力に欠けるタイプの男の子に多いのですが、言葉はよく知っているのに書くという行為に向かいづらく、せっかくの語彙が活かせないということがあります。全体指導の中で放っておくと、書かずに終わってしまうことも…。

こういう子とは、じっくり向き合って、お話ししながら文章化する練習をします。慣れてくると少しずつ書けるようになってきます。考えていることを文字にするのは大変ですが、書くという行為に慣れてくるとスムーズに書けるようになっていきます。

読めないのに書ける子

次に、読めないのに書ける子について考えていきましょう。これから述べるケースの子は、「当該学年の教科書の音読が難しい」という子もいれば、絵本やマンガ、図鑑系の本しか読まないという子もいました。文章が書かれた本が読めないのに書けるって不思議ですよね。

読めないのに書ける子は、どうやって語彙を獲得しているのでしょうか。まず一つは会話です。「書ける」と言いましたが、その文章は不完全で修正が必要なレベルです。でもスラスラ文が出てきます。その子はまさに、話すように書くのです。

だから、文章中の言葉は、書き言葉ではなく話し言葉が多くなります。でも、スラスラ書けるのはその子の強みです。たくさん書けているだけでも自信になりますし、内容を少しずつ精査すれば、文章として良いものが仕上がります。心のままに書くので変に飾らない素敵な表現が出てきます。

そして、もう一つが、読み聞かせです。本を読めないのに本に出てくるような言い回しを使う子がいます。しかも、その表現が繰り返し出てきたりします。

その子のお母さんと話したとき、よく読み聞かせをしていると話していました。本人はなかなか読めるようにならないけど、読み聞かせは好きだということです。別の子も同じような状況で、お母さんが読み聞かせボランティアに参加していました。きっと家でも読んでもらっていることでしょう。

読み聞かせの良いところは、書き言葉が耳から入ってくるということです。耳からの情報には強いけれど、自分で文章を読むことには苦手さがあるお子さんもいます。本を読んでもらうことは、本を楽しむだけでなく語彙を自然に増やすことにもつながっていると感じています。

終わりに

「本は楽しいから読むんだよ。勉強ができるようになるために本を読むんじゃないから。」
これは娘がよく言うことです。(「勉強になるから本を読みなさい」という大人への怒りを込めて。)

本を読むことと文を書くことはどちらも大切ですし、両方に取り組むことでどちらも自然に伸びていきます。ただ、子どもが「やりたくない」と思っている状況で無理にやらせても効果は薄いと感じます。

私は「ライティングワークショップ(作家の時間)」という授業で、今回書いてきた子どもたちの状況に気付きました。自由度が高い「書くこと」の学習の中では、前向きに授業に参加する様子が多く見られます。

書くことも読むことも、楽しんでできるよう、子ども理解を大切にしながら関わっていきたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。