何かに外側から力を加えようとすることを完全に手放したとき "それ" は "起きてくる"
わたしたちは、この社会の中で、
"何かを起こす" ことが、
意味のあることなんだ。
という想いに駆り立てられて、
"何かを起こす" ことのために、
がんばってしまいがちだけど、
世界は "何かを起こそう" と
すれば、するほどに、
その本質から分離してしまう。
.
その事実を、前にしたとき、
ハシゴを外されたように感じて、
自分、という存在が、
まるっきり無力な存在
のように思えてきて、
もしかしたら、多くの人が、
絶望感すら感じるかもしれない。
その無力さを拭い去りたくて、
必死で、自分の力を表現して、
誇示しようとする人もいるかもしれない。
でも、本質的には、、
"起こそうとして、起こせるものなどない"
それこそが、希望なんだ。
.
わたしたちが、
その事実を、
真に、受け容れて、
何かに、外側から力を、
加えようとすることを、
完全に、手放したとき、
"それ" は、"起きてくる"
すべてを、超越して、
すべてを、可能にする力。
万物のいのちのいとなみと、
ひとつになるということが、
"起きてくる"
それは、ものすごくパワフルなこと。
.
そのことに、わたしたちは、
自分という存在を、まるごと、
明け渡すことができるだろうか。
この自分という存在にまつわる、
あらゆる恐れと不安を超えて、
すべてはともにあるということに、
ひらいていくことができるだろうか。
樹々たちはいつだって、
そのいとなみと共にあるよね。
何も言わず、
何も強制せず、
すべてを受け容れて、
あらがわないけれど、
どれだけその在り方が、
愛と叡智に満ちているか。
わたしたちはその在り方から、
学ぶことが、たくさんあるね。
あらためて、
すごいなぁ、
ありがたいなぁって。
そう、おもったよ。
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