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Ep2_鬼王のTRPGサークル改革

 私がTRPGサークルに入会して最も影響を受けたのは同級生の鬼王でした。大学の文化系サークルと言っても、当時は先輩からの親切丁寧な指導や、セッションにおいて初心者に楽しんでもらおう、真剣に遊ぼうという方針はありませんでした。その礎を一から作り上げていった思い出を綴ります。

(1)1回生セッション/七人の戦鬼
 TRPGサークルの土曜日キャンペーンが始まって少し経った6月のことです。「1回生でも集まって遊ぼう」と鬼王が声をかけ、日程調整の結果、7人が集まりました。中高一貫名門高校のSF研究会で海千山千のセッションを重ね、弁論部で雄弁技能を鍛えた鬼王。『ルーンクエスト(3版)』に詳しい経験者、弁護士志望H。『クトゥルフの呼び声』などプレイ経験あり、独特のスタンスの俵ねずみ(グリークラブと兼部)。上回生の無茶振りに土曜日『ソード・ワールドRPG』キャンペーンGMを引き受けた経験者だが、相撲部との兼部で忙しいアニキ。そして、ほぼ初心者の工学部3名(私を含む)。第1回セッションは、6月5日(火)4コマ終了後、大学近くの書店前に集合し、鬼王の下宿に移動して『クトゥルフの呼び声』基本ルールブック収録シナリオ「ロッホ・ファインの謎」を遊びました。私はジャーナリストのジョゼフをプレイしました。翌週も鬼王の『クトゥルフの呼び声』。次は経験者HがGMとなって『ルーンクエスト』を、初回だからと強めのキャラで遊びました。『ルーンクエスト』2回目以降は、武器成功率40%程度の貧弱な牧夫などをプレイ。そうやって着々と経験を重ねました。なお、1回生セッションに参加しなかった3名は次年度はサークルに残留しませんでした。この1回生セッションが無ければ、私たちもサークルに定着したかどうかわかりません。
 平日セッションは17時開始、21時終了くらいのペースで遊びました。7人の1回生のうち下宿3名自宅4名で、自宅生は徒歩移動や終電などがあるため遅い時間まで遊ぶことは無理でした。この頃は気付いていませんでしたが、移動時間に雑談やRPG談義をすることで、自宅生同士は親密度を高めていたようです。後に下宿生との間にギャップを生む要因だったのかもしれません。
 7月上旬、講義期間が終了すると「初心者もGMをやってみよう」と言われ、GM経験の無かった4人が初GMに取り組みました。「ギブ&テイク」や、1回生全員をゲーマーとして鍛える構想を鬼王が考えていたと推測します。7月9日から14日の間に、鬼王4本、相撲部で忙しいアニキ以外の5人が各1本と初GMを含めて9本遊びました。私の初GMは『ソード・ワールドRPG』3レベルでのダンジョンシナリオでした。また、上回生が遊んでいた『超人ロック』を鬼王も購入しており、TRPGの合間にカードゲームなどと遊びました。1990年頃は『モンスターメーカー』が起こしたカードゲームブーム真っ只中で『トップをねらえ!』『ダイナマイトナース』『悪代官』など様々なカードゲームが発売されていました。私のお気に入りは、魔術師たちがプライズを奪い合う『モンスターメーカー4 四つの神秘』でした。『超人ロック』を早速改造して、正体隠匿を助けるために開始時にランダムで能力値+1されるカードと、戦闘時に「倒した相手の惑星カード(アイテム)を奪う」ルールが追加されました。戦闘重視で弱肉強食の殺意が増しました。余談ですが、3年目には基本ルールに無い原作キャラを大量に新規データとして追加しました。

(2)1回生セッション合宿編
 夏期休暇には、じっくりシナリオを作る時間がある。ということで、鬼王の提案により、実家へ遊びに行く合宿が企画されました。お盆開けの開始時期までにシナリオ1本準備しておくという宿題を出されて、8月17日に集まりました。強化合宿は、鬼王の高校時代の友人(他大学へ進学)を交えて、10人程度で2卓ペースで行いました。8月22日まで5泊6日の日程の間に、セッション10本。その他に『超人ロック』や『モンスターメーカー』等のカードゲーム多数。列挙してみると『ソード・ワールドRPG』『クトゥルフの呼び声』『ワースブレイド』『ルール・ザ・ワールド』『ファンタズムアドベンチャー』『フォーリナー』『ドラゴンウォリアーズ』と多彩でした。21世紀以降も遊び続けられているシステムが2つだけなのも、時代を感じます。
このとき、忘れられない私の失敗があります。GM2回目でありながら、果敢にも初システム『ドラゴンウォリアーズ』に挑戦しました。プレイヤー経験も無ければ、他にシステムを知っている仲間もいません。いわば、全員がシステム初心者。プレイヤー4人が4種類あるクラスをそれぞれ選択して、シナリオを始めました。クライマックス戦闘でNPC魔法使いが、最も危険そうだという理由から魔法使いPC(プレイヤーは鬼王)を攻撃し、魔法の威力が強すぎたためPCを殺してしまいました。これ以降、なるべくPCを殺さないように戦闘バランスに気を付けようと反省しました。この合宿は鬼王の家族のご厚意によるものであり、大勢の滞在を許容し、ご当地家庭料理を味あわせてくださった家族の皆さまには今でも感謝しています。もう一度、1992年夏にも合宿させていただきました。

(3)1回生セッション後期/混沌の帝国
 後期、というか9月の試験期間中も1回生セッションを続けていました。褒められる話ではありませんが、「普段から勉強していればいい」とか「日曜日に試験は無いから、前日の土曜日は遊べる」という理屈があったような気がします。後期になると、火曜例会ではGMを交代してさまざまなシナリオを遊びました。土曜日夜に公式活動が無かったので、1回生キャンペーンが組まれました。鬼王がオリジナル世界「混沌の帝国」を舞台にして『ソード・ワールドRPG』キャンペーン。最終回は7時間にも及ぶ大セッションになりました。一方で火曜日にはスローペースでHの『ルーンクエスト』キャンペーンも始められました。1月に入って試験期間に入ると、新たなキャンペーンをしようと「混沌の帝国」第二期キャンペーンを始めました。私は、ダークエルフの正体を隠したハーフエルフ・シャーマンで“炎の狩人”と称する熱いキャラを遊びました。正体露見イベントや敵陣営からの勧誘など、心震える場面でのロールプレイを楽しめました。1月,2月で全9話と密度の濃いキャンペーンでした。後日談として、2回生の9月にPCたちが再集合して高レベルセッションを行ったこともあり、とても印象に残っています。闇落ちに抗う葛藤を楽しむことが多い私のシナリオ傾向は、このときの影響が強いのかもしれません。当時は土曜日夜が非公式だったこともあり、土曜日と火曜日、それから祝日等を含めて1回生セッションを80回くらい行いました。約1/3は鬼王がGMをしました。初心者の時期に受けた影響は計り知れません。私のTRPG経験において、師匠であり超えるべき強敵(とも)と言える存在でした。

(4)次年度の運営会議
 1991年度から正式に鬼王が会長に就任して新2回生が運営を担うことになり、3月に運営会議を行いました。まず議論になったのは「縦割り方式」か「横割り方式」か。簡単に説明すると「縦割り方式」とは上下回生が混じって活動すること。多様なメンバーで遊べますが、上回生に負担がかかります。一方、「横割り方式」とは主に同回生のみで集まって活動すること。仲良いメンバーで密度濃く遊べますし、下級生の面倒を見る必要もありません。いわば、当時の2回生(1つ上の回生)が「横割り方式」でした。いったん多数決を取ると、横割り方式3票、縦割り方式2票、棄権1票。鬼王が会長権限で「縦割り方式」に決定しました。思い返しても、私の学校サークル活動経験から見れば、この議論は不思議です。テニス同好会等の仲良しクラブならイザ知らず、体育会系は無論のこと文化系サークル活動においては先輩後輩の交流・技術継承があるものではないでしょうか。そういう正論を抜きにしても、2回生を見ていたり、1回生に流行しつつあったルーンクエスト派閥に馴染みきれなかったのが、縦割り方式に賛成した理由でした。数年後「私の唯一の功績」と鬼王が後輩に語っていたそうです。言い換えれば、他に功績無しということでもありますが。個人的に深く広く遊びたいことが「縦割り方式」に賛成した理由です。余談になりますが、2020年、2021年の学生サークル活動事情を考えると、文化の断絶などが心配されます。オンラインセッションに活路を見出したTRPGサークルは運が良い方でしょう。

(5)春の新歓は2回生が主戦力
 他のサークルのようにビラ撒きを行えるほどの人員がなく、派手な新入生勧誘活動をしませんでした。集合時間が早いという事情により、下宿生2人が朝から大学事務所前に並んで、説明会の場所を押さえました。新歓説明会には、十数人の新人が訪れました。活動内容やTRPGを知ってもらうために、4月には新歓セッションを行いました。土曜日の公式活動では、1部2部制と呼んで、昼間と夜の2回のセッションを行うようになりました。シナリオ作成、GM担当も新2回生が主戦力でした。シナリオ作成の労力を軽減するために『ソード・ワールドRPG』で1人が作ったシナリオをテストプレイ後に、他のGMも使用するという「共通シナリオ」と呼ぶ試みを行いました。凝ったシナリオとか、別の卓に参加しても共通のシナリオ経験を得るとかいう目的ではなく、単純にシナリオ本数が目的でした。M君が恐竜シナリオを、私がゴブリンシナリオを作成し、テストプレイ修正した後で、手書きノートのコピーを配布しました。新歓期には共通シナリオの他に『ブルーフォレスト物語』2本、計3回のGMを担当しました。『ブルーフォレスト物語』ルールブック収録シナリオは、エンディングに登場する姫騎士の颯爽たる行動が印象に残り、当時お気に入りのシナリオでした。

(6)1991年度前期キャンペーン
 キャンペーン準備で問題が起きました。入会時初心者だった私は後期(10月-12月)GM担当になりました。前期GMは、O先輩『ロードス島戦記RPG』、3回生K先輩『ベーシック・現代もの』、H、鬼王、というラインナップでした。もう1人、OBのN先輩にもオファーしましたが、当初は快い返事を頂けませんでした。昨年のキャンペーンに参加したこともあり、2回生の中で比較的に先輩と交流のあった自分が調整役となって交渉にあたりました。新入生の人数と現役の運営能力からOBの支援が必要との正論を説き、最終的には条件付きでキャンペーンGMを引き受けていただきました。条件とは、3回生の溜まり場であった下宿でセッションをすること。
 補足説明します。当時は大学の講義用教室で例会を行っていました。ですが、教室は固定式の長机であり、対面して行うTRPGには不向きです。プレイヤーは講義を受けるかの如く、前を向いて横並びに座り、GMはプレイヤーに相対します。その方式には3種類あって、教師用の椅子を使うか、立ってマスタリングするか、机の上に座るか。もう一つ問題がありました。机が傾斜しており振ったサイコロが止まらずに転がり続けて落下します。意識的にルールブックで落下防止しないと、すぐ落ちました。多数の教室を使えるわけでもなく、通常1室で2卓、時には3卓共用ということもありました。かくの如く、教室使用は不評でした。
 話は戻って、部屋問題が真に理由だったのかはともかく、運営部が条件を飲むことでN先輩の『AD&D』キャンペーンは無事に立卓し、新人3名、私、3回生2名くらいのメンバーで全8話やっていただきました。新人の残留率が1/3と寂しい結果になりましたが、この卓に限った話ではありません。5月に入会した新入生が1年後に半減するのはよくあることのようです。私はケイオティック・ニュートラル属性エルフのメイジ/シーフで参加していました。ところが、トリックスター的ロールプレイがN先輩の機嫌を損ねました。ゴブリンを背後から刺したとき、マジックアイテムの所有権を巡る騒動、2回ほどセッション後に小言をくらって、後半はおとなしく参加していました。上の世代は、セッション中もPC名ではなくプレイヤー名で呼ぶなど、PCとプレイヤーの区別をしない遊び方が主流だったのです。同期生の間ではプレイヤーとPCは別という感覚が浸透していて、悪党風ロールプレイも許容されていただけに、世代間ギャップを感じました。

(7)2回生セッション/『ルーンクエスト』付き合い
 この1年間限定で工学部2回生が1人参加し、運営に協力しセッションを盛り上げてくれました。サークル運営の一方で、火曜日から木曜日に変更し継続して2回生のみで集まって遊んでいました。鬼王が「混沌の帝国」第三期としてシステムを『AD&D』に替えてキャンペーンを行いました。他GMの単発セッションと交互に隔週開催という、鬼王にしては穏やかなペースでした。土曜日の公式活動や会長と兼務なので、これでも超人的な大車輪の活躍。本人の性格やパワフルさも原因ですが、負担と責任をかけすぎました。私のPCは雷撃を得意とする高レベルの魔法使い(トランスミューター)で魔法の極意を堪能しました。パーティーの1人、ネクロマンサーは終盤でPCを裏切りました。後期は『ソード・ワールドRPG』にシステムが戻って「混沌の帝国」第四期キャンペーンを行いました。今度はドワーフの職人として参加しました。この「混沌の帝国」シリーズは、PCが一枚岩でなく、内紛が起こるのが恒例となっていました。裏切り、異端、なんと甘美な言葉でしょうか。PvPを推奨するプレイ環境というのは珍しいと思います。こういう稀有な体験が、いろいろ考えさせられる契機になりました。
 単発セッションでは、自宅生の『ルーンクエスト』熱の高まりを受けて、強キャラをプレイしたいという話になりました。『ソードワールド2.0』に例えるなら15レベルプレイ。正体を隠した混沌司祭3名、オーランス嵐の王、トロウル闇の王、ストームブル司祭、太陽神イェルムのロードという布陣であり、人間側陣営も完全に協調できません。私は世界観に詳しくなかったのですが、通常なら使えない太陽神信仰と、その能力の強さからイェルムを選択しました。『超人ロック』に例えるならば、ロードレオン的立ち位置。結果的には、段階的に正体を表した混沌PCを各個撃破していく展開になりました。いわゆるPvP(対立型)シナリオとして思い出深いです。しかし、私は『ルーンクエスト』をたくさん遊んだし、楽しみましたが、思い入れは薄かったです。宗教キャラが合わなかったのかもしれません。白兵戦の命中判定後にd20でランダム命中箇所決定に馴染めない点もありました。同期の自宅生たちが熱心にルーンクエスト談義をするのを見て冷めていたのかもしれない。と言いながらも、1991年2月からは『ルーンクエスト』「グリフィン・アイランド」キャンペーンが始まり、月1回ペースで1年がかりで遊びました。

(8)後期キャンペーンと企画セッション
 2回生の義務ということもあり、後期キャンペーンは『ブルーフォレスト物語』でGMしました。このゲーム特有の「悟り」パラメータがPC成長でどうなるか興味があったというのもシステム選択理由の一つです。公式地図で空白地帯の多い、都市国家群を舞台にしました。3回生3人、1回生2人が参加。試験直前の1月まで全11話と長く続きました。最終回は世界滅亡の危機に立ち向かせましたが、1回生に「ルールブックのシナリオフックを使うのは有りですか?」と指摘されました。アイデア集を活用するのは有りだと返事したように思います。
 土曜日2部には、新1回生も定着してきたところで、2回生と一部の1回生で『ヨグ=ソトースの影』キャンペーンが始まりました。3回生とは公式1部だけの交流でしたが、1回生と2回生との交流は活発化しました。3回生は、溜まり場の下宿で『超人ロック』(アライメントルール)を遊んでいたと思います。
 学園祭期間は昨年と同様に合宿所を借りました。昨年と大きく異なるのは、鬼王と他2人共同による『クトゥルフの呼び声』統一シナリオが実施されたこと。1,2,3回生の合計20人くらいが参加した大規模セッションになりました。架空の洛北大学オカルト研究会の探索者となり、学園祭の教室企画の課題として分担して3つの調査を進めて行きました。調査の結果、巨大な陰謀が明らかになり、クライマックスは前夜祭のグラウンドで邪神退散の儀式を行いました。多数の犠牲者を出しながらも、数の力で儀式を成功させました。入念な準備と調整、統一パートでの大イベントに驚嘆しました。なかでも「旧き印」と言って、河原で拾った石に印を描き込んだ物が印象的。なお、鬼王が企画の中心にいたのは間違いないが、他2人を選んだ理由は不明。兼部やキャンペーン等で忙しかったから私には声が掛からなかったのかもしれないし、実力不足と見られていたのかもしれません。

私がTRPGサークル運営に関わったのは2回生の一年間だけでした。他の同級生も学業を重視する者、司法試験勉強に励む者、相撲部で活躍する者など、それぞれ方向性が異なりました。ほとんどのメンバーは適度にサークル活動に関わっていました。ただ1人、鬼王だけは会長を引退しても、黒幕となって後輩たちの運営に影響力を及ぼしていました。たしか「先鋭的エリート集団による濃密なプレイ」を目標にしていたと思います。実力不足の同期に見切りをつけ、下級生を鍛える方針にシフトしたと言えます。数年後、後輩の下宿を溜まり場にして『超人ロック』で交流する姿は、あろうことかN先輩を連想させます。約8年間続いた鬼の時代は2000年の離反騒動により終焉を向かえますが、それについて多くを語りません。私は、鬼王とは別のスタンスでTRPGサークルに関わり続けました。