20XX年のゴッチャ その77


 

新隔離施設


 
「いつまで経っても陰性にならない患者が四人います。例え陰圧したICUでも、このまま治療を続けるのは危険かもしれません」
 
「どういうことだ?」
 
 その頃、現地時間の夜遅く、中南海の劉正副主席の執務室に、防疫・公衆衛生問題を統括する国家衛生健康委員会担当国務委員・趙龍雲の姿があった。
 
 副主席の問いに趙国務委員が応えた。
 
「いつまで経っても陰性にならないという事は、そうした患者の体内で、ADE株がどんどん複製を続けているということです。 
これがどういう結果を招く恐れがあるかと申し上げますと、変異株が次々に生まれるということです。それが、例えば治療薬に対する耐性を持ったり、感染力が高まったり、その両方の特性をもった変異株の出現に繋がると拙いのです」
 
「では、どうすれば良いのだ?」
 劉正副主席は矢継ぎ早に尋ねた。これ以上の災難は自分達にも降りかかる。
 
「もっと厳重な、BSL4並みの安全管理をした施設を人里離れた場所に作り、個別管理すべきかと思います。そうすれば、万が一、厄介な変異株が出現しても感染拡大を食い止められます」
 
 BSL4施設とはバイオセイフティー・レベル4の略で、ウイルスや細菌を取り扱う研究施設の中で最も厳格に安全管理された施設の事だ。先進国を中心に全世界で、公になっているのは六十か所程しかなく、それらの施設から病原体の漏出事故は起きたことが無いとされている。
 
「すぐに作れるのか?」
 
「孤立した場所に何段階もの陰圧設備を施した、フィルター付きの厳重な隔離施設を作るのは、技術的にはそんなに難しい事ではありません。相手はウイルスですので、施設が砲撃に耐える必要はありません。建物自体は風雨や大雪に耐えられれば十分です。格別大きな施設である必要もありません。
 と申しましても、簡易的な施設でも数週間は掛かりますが、差し当たって、当該患者を、人里離れた暫定施設に個別収容して更に厳重に隔離するだけなら、数日で可能です。そして、並行して簡易施設を作るということです。患者を移動させる際の注意は必要ですが、早速、取り掛かろうと思います。宜しいでしょうか?」
 
「ワクチンの接種は?」
「癌患者と免疫不全の患者が一人ずつ接種済みです」
「四人はまだ長く生きそうなのか?」
「二人は末期の癌患者ですので、どのみち、そう長くはないと思われます。残り二人は免疫不全の患者ですが、比較的若いので、かなり生きても不思議ではありません」
 
「死んだ場合は?」
「直ちに焼却するしかありません。危険です」
「免疫不全の二人も治療を止めるとどうなる?」
「長くはもたないかもしれませんが、中途半端に治療薬の投与を止めると耐性ウイルスの出現の可能性が高まります。状況次第の対応になるかと思いますが、耐性ウイルスはもっと危険かと思われます」
 
 趙国務委員は副主席が「免疫不全の二人も…」と言ったのを明確に認識した。
 
 新たな隔離施設は当該癌患者のホスピスにもなり得るということに副主席も気付いていたのだ。彼らはどのみち長くない。
 
「分かった、君の提案通りに直ちに作業に着手してくれ給え。主席には私から報告する」
 劉正副主席はそう言った。
「治療も続けて欲しい。ただし、絶対に感染が拡がらないように。それが最優事項だ」
「承知しました」
趙国務委員が応え部屋を後にした。
 
「四人とも早めにあの世に行って貰う方が安心ではないのか…だが、待てよ…使えるかもしれないな…むしろ長引いた方が都合良いか…」
 
 口にはしなかったが、劉副主席はそう考えていた。折を見て習主席にある提案をするつもりだった。
 
 この暫く後、大友達が手配した単車はパスカル教授が運転するポルシェの後を追い、パリ十六区の自宅アパートと思われる場所の割り出しに成功していた。
 
***
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎
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