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私たちが新規就農にいたるまで

私たちの農園、弐七農園は新規就農で立ち上げた農園です。と言っても、これを書いている妻sachikoはあとから就農しただけで、よしやるぞ!と決めて修行して立ち上げたのは園長ZENです。

新規就農すると、そのきっかけとかノウハウとか、それはもう折に触れて訊かれるので、就農8年にもなるとおおよそ夫になりすまして妻の立場からでも語れるようになります。

就農して数年が過ぎると、当初の想いだけでは続けていけないことに気づくし、だからと言って根性論で押し切るのも違うし、とにかく業務に追われて……というのがリアルでもあるのですが、それでも折に触れて見つめ直すのが当初の想い。少々振り返ってみます。

どうして就農しようと思ったか?

私たち夫婦は、文系の大学に通ってちょっとマイナーな言語を専攻していました。農業とは全く縁のない学生時代。園長ZENはその頃から「地域開発」に興味を持ち始めていました。そういうゼミにも入っていたし、実際に海外へインターンに行ってみたり。新卒での就職先はJAグループ。出身である長野県で、地域に貢献できるように……そんなことを考えていたようです。

JAグループで広報として働いていた頃、県内のあちこちの農家を訪問する機会がありました。おいしい農作物に触れ、それはそれは幸せだったとか。そしてそれ以上に、そこで働く人々のキラッキラした感じにやられたようです。

「地域開発に興味があります!」と言っていた学生時代から薄々は気づいていた事実。実際に地域開発に興味があって、いくらサポート業務を行っても、主役はいつもその地域の中の人。自分ごととして実際に何かをやっているわけではない。やりたいジャンルにはいるけれども、おそらくベクトルが反対だ……。もっと内側に入っていかないと。

仕事を通じて出会った複数のアツい農家たちの存在。何となく胸の底にある思い。そして出身地安曇野への愛着。りんごの美味しさ、感動。それら複数の要素があいまって、就農はどうかな?と自然に思ったようです。

明確に〇〇のために就農しました!と言えればカッコいいのだろうけれど、自分の中では必然だけれど、何となくたどり着いたのが農業だった、と言えなくもない。地域の中に入り込んで……というだけであれば、農業以外にも例えば店舗経営とか地元に根差すサービス業とか諸々あるわけで。縁って不思議なものです。


就農を決意してから

実は結構慎重派なので、決意してから1年ほどは土日を中心に農作業に参加させてもらって様子を見つつ、出会ったりんご農家の1人にお願いして研修に入る形で就農しました。いずれ独立したい旨を伝えつつ、師匠側は経営規模を拡大して受け入れてくれ、そこで3年研修をしました。もっと長く研修というか働かせてもらうつもりでしたが、畑の管理のタイミングなどもあり結果的に3年という期間になり、その後独立。ちなみに、就農のタイミングで結婚、独立のタイミングで子供が生まれるという、こればかりは勢いも大事だなぁと後々振り返って思います。


就農にもいろいろある

そんなこんなでZENが就農してから8年、農園として独立してからは5年経つ私たちですが、この書き手である妻sachikoが就農したと自覚しているのは昨年のことです。これだけでも一口に「就農」と言っても色々だなぁと思います。

私sachikoの場合は結婚と同時に安曇野へ移住、農業に抵抗はなかったけれど(結構面白そうとは思っていて、それも込みで結婚したわけですし)いきなり自分も就農する勇気はなかったので移住後数年は会社勤めをしていました。2人目の子の育休が明けて、じゃあそろそろ……という感じです。それまでになんとなく葉摘や摘果作業をやってみたり、ちょっとしたPOP作りやラベルの案を考えたりということはしていて、育休のときにはもうちょっとしっかり作業をしてみて、徐々に慣らしていきました。

就農の動機としてはとてもライトな感じです。夫がやっていて、大変だけどまぁ楽しそうだしそれで暮らしていけるならいいか、といういわば「なんとなく就農」。夫婦二人して決意して立ち上げて……というのとは熱量も違って引け目を感じないわけでもないですが、こういうのもアリだと思ってます。

ただ、ここにきて一つ思うことは、自分たちも周りも考え方や状況が少しずつ変わっていくし、想いが先にあるにしても現実とのギャップもあるので、「THE・就農」の前にとにかくジタバタしてみる、いろんな農家に会ってみる、実際に作業をやってみる、就農したい地域に身を置いてみる、という当たり前のことがとても大事だなぁいうこと。

例えば農作業は好きだけど経営はちょっと……という場合もあるかもしれない。(農業=経営になるあたりは魅力でもあるけれど、業界として問題と言えば問題ですね。)独立志望で農業法人に入ってはみたものの、いろんな事情で法人から抜けられないというケースもあるかもしれない。実は農業ではなくて農的暮らしで十分だったということもあるかもしれない。就農といっても、農業自体にいろんな形があるので、どれが自分に合っているのか考える期間はあっていいと思います。そして農業の場合は地域との関係も根深いので、その地域に馴染めるかどうかもかなり吟味するべきですし。ちなみに今でも私は、自分と農業との距離を模索中です。自然とともに動いていく農業を自営業という形でやっていく場合、子育てや家事とひと続きで仕事をしていかなければいけないのが(残念ながら?)現実なので、どの程度をどうやって担っていくのがベターなのか。難しいですね……。


孤独になってはいけない

実際に就農してみてものすごくラッキーだったことは、同じ地域に若い農家仲間がたくさんいたことでした。しかも同級生やごく年齢が近い仲間たち。どちらかというと小賢しい優等生タイプの青春時代を過ごしたZENからすると、昔なら気遅れして友だちになれなかったようなやんちゃなメンツも沢山いて最初はビビったそうです。ただ、いい歳になってくるとそんなのはもうどうでもよくなります。そして母体は違えど同じような仕事をやって同じような目標を持っている。自然と仲良くなりました。

農家は実に横のつながりが強いというか、いろんな団体があっていろんなところで連携を取らないといけないので、同年代の仲間というのはそれだけで何だか心強いもの。仲間がいるとそれだけでできることも増えます。共同でマルシェに出展してみたり。よその地域にまとめて出荷したり。そういうのをお祭り気分でやってのけられます。

年齢に関わらず、地域としてそこが何かの特産地であったり、同じ作物を作っている人がたくさんいるようだったら、それはライバルであるかもしれないけれど、それ以上にメリットが多い気がします。周囲も果樹園だらけなので、困ったら周りを見回して諸先輩方に相談へ。防除や収穫のタイミングどうしようとか、畑の仕立ての相談とか、ちょっとこの農機具貸してよなどなど。自分の技術の向上もはかれるし、関係性が築ければいろんなチャンスも舞い込みます。いい畑があるけどやらない?とか。

地域性や運もあると思いますが、新しいことを始めようとしたとき、特にそれが農業の場合は孤独になってはいけないなぁとこれは強く思います。現実問題として、「地域として出荷していく、産地を盛り上げていく」というのは必須ですし。

就農、そして続けていくために

就農してから7年、毎年同じように季節は巡るのに1つとして同じ状況はなく、毎年気候は違うし温暖化の影響はひしひしと感じるし、そして経営の状態だって変わっていく。心掛けているのは、現状に固執しないこと。

経営形態も、法人化するかもしれないし統合することもあるかもしれない。離農はしたくないなぁ。だから固執せずに何らかの形でやっていかなくては。

変わりながら続けていくために、時に初心に戻り「地域開発」に魅力を感じた心を思い出し、地域の仲間を大事に、自らが孤独にならないようにそんな当たり前のことをただひたすらガムシャラに……。まとめようとするとロクなことが言えないものですね。

程度の差こそあれ、何もなかった!全て順調だった!という年はまだなく、いつも、あ"ーとか、う"ーとか変なうめき声を上げながら荷造りしていたり、育児でバタつく収穫前夜「だったらサラリーマンやってた方がよかったね!!」なんて心にもない捨て台詞が飛び交ったこともありますが、それでも総じて就農してよかったと思っています。どうしてか?それはわからないけれど、明日も畑に出れば木々が待っていて、やるべきことがしっかりあって、季節は待ってくれないし、そうするともう身体が動いてしまうんですね。シンプルにそれだけ。とても楽しいです。




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