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悪質アンチの正体が、自分の知り合いだったと気づいて、考えたコト。

こんばんは!美容系クリエイターのありちゃんと申します。毎月の支出の半分をコスメに充てるくらいコスメが大好きです。



↑よくこんな企画をYouTubeやTikTokであげています!

今日は、タイトルにもある通り、悪質アンチの正体が、まさかの私の知ってる人だったって話をしたいと思います。

すごく簡単にまとめると・・

1年くらい前に、ちょっと温度感高めの誹謗中傷をしてくる特定の人がいました。わざわざアンチ用の匿名アカウントを作って、ひたすら嫌なコメントやDMを送りつけてくる感じ。ブロックしてもご丁寧に何度も同じIDでアカウントを新規で作られて、数ヶ月間このやり取りが続きました・・。

ここまで粘着質な誹謗中傷、一体どんな人がやっているんだろう?なんて思っていたら、そのアンチの正体は、まさかの私の知っている人だった、というもはやドラマか?みたいな出来事が私の人生に起きたのです(ちなみに今は、私に正体がバレたと勘づいてくれたのか、そういった行動は一切なくなりました!よかった〜!)。

今日はそんな経験を通して、私が思ったことや考えたことをシェアしていきたいと思います。

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アンチはネット世界の住人だと思い込んでいた

そもそも大前提の話からしたいのですが、私は自分の職業柄、心のどこかでは誹謗中傷をされる事を受け入れる覚悟が必要だ、と思っている部分もあります。

私はSNSを使って情報発信を行うことで、それに対する対価でご飯を食べさせてもらっています。まだまだ成長途中ではあるものの、最近だと1ヶ月間で、数十万人の方にリーチできるくらい、たくさんの方に自分の発信が少しずつ届くようになってきました。

「誹謗中傷は有名税だから仕方がない」なんて言葉も、よく耳にします。個人的には、それは発信する側のみが言っていい言葉であって、それ以外の人が言う資格はないだろ、と思いながらも、こういう仕事を選んだ以上は、覚悟の1つとして持つべきであると私個人は思っていて(でも別に強制したいみたいな感情もない)、決して気持ちよくはないけど、誹謗中傷がきたとしても、それを受け入れるように日々意識して過ごしていました。

でも今振り返ってみると、「アンチという存在は、あくまでもネットの世界の住人である」という認識でいたから、当時は受け入れられていたんだなあ、と思うんです。

今私たちの生活にSNSや、ネットの世界は必要不可欠な居場所にはなってるけど、私たちが実際に生きてる世界って、ネットの世界ではなくて、あくまで現実世界じゃないですか。だから、誹謗中傷されるともちろん悲しかったけど、「私が生きてるのはネットの世界じゃなくて現実世界だから・・!実際に自分が生きている世界を大事にしよう!」と思って、今までは過ごしてきたんですよね。

・・・なのに、まさかのまさか。悪質アンチの正体は、私の現実世界にしっかり存在する方だったんです・・・(なんでそれが分かったのか、などについては相手のプライバシーにも影響する事かなと思うので、ここでは伏せさせていただきます)

現実世界で繋がっているからこその感情

その事件が起きてから、ぶっちゃけ私の中の価値観が一変しました。

その方は、冒頭でも述べたように結構粘着質なアンチだったんです。「よくそんなに人を叩くエネルギーあるなあ?」なんて心のどこかで思っていたものの、そこまでエネルギー量がでるのって、SNS上でしか私のことを知らない人よりも、私のことをよりリアルに知ってる人の方が確かにエネルギー量出るのかもなって納得しちゃった部分もあって、そこから人を信じることが少し怖くなりました。

と、正直ちゃんとしっかりネガティブな影響も受けたんですけど、でも逆に、その事件が起きたからこそ、改めて人間の感情について、考え直してみるきっかけにもなりました。

今までは、あくまでも私は常に被害者側であって、加害者側になるって考えが全くなかったんですけど、改めて冷静に考えて思ったのは、もしかしたらアンチ精神は、誰の心の中にでもあるのかもしれない、ということ。(だからといって、アンチという行動自体を肯定するつもりは1ミリもないです。アンチは人の命を奪う事に繋がる行為だと思います。)

あくまでも私は、の話ですが、私の中で僻みや妬み、ネガティブな感情が湧く瞬間って、根元には「羨ましい」って感情がありました。納得感のある人が羨ましい事をしていたら、それが憧れって感情になって、納得感がない人が羨ましい事をしていたら、それは妬みとか、僻みとか、そういう感情になるなと思ったんですよね。(そのアンチの方がどう思っていたかは知らないけど)

隣の芝生が見えすぎてしまうSNS時代

さらに、今ってSNSが身近になりすぎているせいで、世の中には自分と違う幸せをもっている人間がたくさん存在しているって事に気づきやすくなっちゃった事も大きいですよね。

それこそ私たちの親世代の時代って、SNSなんかなかったし、みんなが求める幸せの形って、多分ほとんど同じだったと思うんです。20代で結婚して、家を買って、車を買って、子供に恵まれて、出世して、旅行にたくさんいって、、、みたいな。そういう事こそが幸せであって、みんながその姿に向かって頑張っていたような時代なのかなって思ってるんですけど、

一方いまって、幸せの形なんて人それぞれ本当に違うじゃないですか。
今は結婚することが絶対的に幸せであるって価値観でもないと思うし、
車が全員ほしいわけでもないし、子どもが全員ほしいわけでもない。
別に出世しないでプライベートの時間を優先する働き方だって今すごい増えてるじゃないですか。

みんな求める幸せの定義がそれぞれ違うのに、SNSで色んな人の幸せの形を簡単に見れちゃうから、自分の求める幸せって、これでいいんだっけ?ってすごい迷いやすくなったというか、隣の芝生が青く見えやすすぎる時代だと思うんですよね。

そりゃ理想は、
好きな仕事して、好きな働き方して、好きな人たちと好きな生活おくって、趣味もできて、適度に遊べて、、みたいな。全部ができたらそりゃ素敵だなって思うんですけど、人生って圧倒的に短いから、人それぞれ優先順位ってものがあって、優先順位が低いものは絶対みんな何か捨てざるを得ない人生だったと思うんですよね。みんな、何かを失いながら生きてるんです。

で、その捨てたものが人それぞれ違うから、自分が捨てたものを持ってる人のことは、やっぱり私もどこかで羨ましく思ってしまう部分もある、という背景なのかなぁ、なんて思いました。

人それぞれが持ってるエネルギー量って決まってて、そのエネルギーをどこにぶつけているか次第なだけ。仕事に充ててる人は仕事で充実するし、趣味に充ててる人は趣味が充実するし、家庭に充ててる人は家庭が充実する。

みんな自分のエネルギーを充てる優先度が違うだけの結果のはずなんだけど、やっぱり今って幸せの正解がない不安定な時代だから、自分にないものを持っている人をみると、あれ、自分ってこれでいいんだっけ?ってなりやすいのかなって思いました。


こんな時代だからこそ、大事にしたい3つの価値観


けど、私はこんな時代だからこそ、大事にしたいなって思ってる価値観がいくつかあります。

やっぱり1つ目は、自分の幸せの定義とか形を自分自身でしっかり握ること!

いろんな幸せの形があるなかで、何に自分は1番エネルギーをかけたいのか、これだけは自分の人生において絶対に捨てちゃダメだ!って思えるものはなんなのかを自分自身がわかってないと全員が羨ましくなっちゃうような時代だと思うから。
自分の求める理想的な人生とはこういうものである!っていう、自分で自分の幸せを決めて、信じ続ける覚悟がすごい大事だなって思う。

2つ目は、たとえ周りが幸せであろうが、不幸であろうが、別に自分の幸福には関係しない事が大半だということ。

自分に余裕がないと、たまに周りの幸せを心から喜びにくい時もあるじゃないですか。意外と周りの幸せが焦りに変わるというか、そういう感情って誰しもがあると思うんだけど、でも本当は、周りの人が幸せであろうが、不幸であろうが、別に自分の人生に何も変化ないんだよね。

誰かと比較して、「あ、私はこの人よりはいいかも」とか、そういう安心感とかは感じるのかもしれないけど、求めているゴールが絶対人それぞれちょっとずつ違うから、違うゴール目指している人同時で比較したところで、結局自分の人生には何も変化は起きないなって思ったんですよね。

まあ人は比較しちゃう生き物だなとも思うんですけど、、(笑)でも、本当はあまり意味がないものだなと思う!

そして最後、3つ目は、人はその人の持っているものや実績には簡単に羨むけど、その人がそれを得るまで過ごしてきた過程は決して羨まない、ということ。

社会人2年目?3年目くらいの頃、仕事で成果を出している先輩たちが羨ましくて仕方がない時があったんですけど、冷静に立ち止まって考えると、私が羨んでいたのはその先輩たちが持っている実績だけであって、その実績を得るための日々の努力は、一度も羨んだ事がないって気づいたんですよね。

イチローになりたい人はゴマンといるかもしれないけど、イチローの練習メニューを何十年もしたい人はきっとほぼいない。TWICEになりたい人もゴマンといるかもしれないけど、デビューできる確率が数%の世界で、人生棒にふる覚悟で挑戦する人もきっとほぼいないんです。

誰かのことを羨ましく思うって感情は、うまくコントロールすると自分を成長させてくれる最強のモチベーションの源泉にもなるから、私はこれからも積極的に誰かを羨む人生でありたいとは思いつつ、誰かのことを羨んでいいのは、ちゃんと過程も含めて覚悟をもてる人だけだな、と思いました。(これは自戒も含めて!)

今回の体験をきっかけに、こんな事を思いました!
あとは、全人類から好かれるのは無理かもしれないけど、叩きたいと思わせてしまうような要素が自分にあるのも事実だと思うので、自分らしさは自分で守りつつ、ダメな要素は1つ1つ、治していきたいです。

まだまだ人生これからすぎるので、ゆるりと頑張っていきます!

Writer:ありちゃん

supported by:ほしゆき

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