地元TSUTAYAの閉店によせて

これは私が高校2年生の頃の話なので、
2006年から2007年にかけての話です。

高校2年生の冬の時期と言うと、大半がそろそろ志望校を固めて本格的に受験勉強を始めようという時期かと思います。私はそのとき、進路に迷っていました。
当時、私は同級生が立ち上げた放送同好会に誘われ、人数合わせで参加しました。そして、とりあえずお試しで出場した県の放送コンテストでなんと入賞してしまったんです。その入賞をきっかけに、放送に関わる様々な体験をさせてもらいました。そのうちの一つが、地元FMラジオ局での番組制作・DJ体験でした。これが本当に楽しくて、いつかはラジオDJになりたいなとうっすらと思うようになりました。
しかし、何となく恥ずかしい気持ちがあり、周りのだれにも言えずにいました。自分にはなれるわけがないとも思っていました。「放送業界」はすごく遠い世界だと思っていました。それでも初めて私が見た「夢」だったので、チャレンジしようかどうしようかかなり悩んでいました。

そんなとき、たまたま立ち寄ったTSUTAYAで、これまた偶然に中学の同級生のA君に会いました。お互い別々の高校でしたが、中学は3年間同じクラスでした。同級生の中でもわりと仲が良い方だったと思います。

A君の実家はお寺でした。たしか中学1年生の頃、実家に遊びに行ったことがあります。お寺にお邪魔して、ご両親にも会ったことを覚えています。また、当時は携帯電話が手元になかった頃で、家電で電話をしたこともあったのですが、気づいたら2時間くらい経っていて、電話代の請求は大丈夫なのだろうかと数日ヒヤヒヤして過ごしたこともありました。私から見たA君は、気さくで穏やか、そして優しい人という印象でした。キレたところを見たことはないかな。
中学3年生の時、音楽の授業の一環でA君がBUMPの何かの曲(バイバイサンキューだった気がする)のギターを弾いていました。バンドとはあんまり縁がなさそうなイメージで意外だったので、記憶に残っています。
A君はそのまま同級生とバンドを組んで、高校になってもバンド活動をしていました。ライブがある時に何回か声をかけてもらい、ライブハウスや学校の文化祭に足を運んだこともありました。何のカバーをしていたかは全く思い出せませんが、かなりアップテンポの曲だったので、それも意外でした。

久々に会ったA君とはTSUTAYAの店内をぶらぶらしながら互いに近況を報告し、他愛ない話をしました。
A君にオススメのCDを聞いたところ、教えてもらったのがthe band apartの「K.AND HIS BIKE」でした。当時私は、有名なJ-POPしか聞いたことがなかったので、とりあえず借りることにしました。
さらに私は、A君に目下の悩みである進路について相談しました。といっても、「放送業界」に行きたいとはっきり言う勇気がなかったので、「夢を追うべきかどうか迷っている」という言い方をしたのを覚えています。

その私に対し、A君は
「好きなことをした方がいいよ。
俺はその日が来るまで、好きなことをやるつもり」と返しました。

この言葉は私にとって衝撃的でした。とたんに私はものすごく申し訳ない気持ちになりました。確かにA君は昔から、将来はお寺を継ぐというような話をしていて、そのための修行に行ったようなことも中学時代に聞いていました。もう未来を決めている(決まっている)彼の『その日』という言葉にはものすごく重みがありました。それに比べて私は…継ぐものなんてないのに、夢を見ようかどうか迷っている状態で、なんかそれってA君にめちゃくちゃ失礼なんじゃ?という気持ちになりました。私はその時、咄嗟に返す言葉が無く、「そっかー」と言うような、適当な相槌を打ちました。

帰り際、A君は
「TSUTAYAにはちょくちょく来ているからまた会えるといいね」
と言いました。
私は翌週から、ほぼ毎週TSUTAYAに通いました。木曜日の放課後に。

後日、私は両親に自分の夢について話しました。放送業界に行きたいこと、アナウンサーやラジオDJを目指したいこと。今まできちんと伝えたことがなかったので、最初は驚かれましたし、母は反対もしましたが、父が背中を押してくれて、志望校を変えることにしました。

借りたCD「K.AND HIS BIKE」を聞いたときは驚きました。まず英語詞。
さらにオシャレなサウンドやギターの音。今まで聞いたことがないジャンルで、大人の音楽と言う感じでした。同級生のA君がこれを聞いていると思うと、世界が違うというか、めちゃくちゃかっこいいなと思いました。
「Eric.W」は名曲ですし、今聞いてもものすごくかっこいいので、聞いたことのない方はぜひ聞いてみてください。

1週間後、返却のためにTSUTAYAに行き、同じ棚の別のアーティストのCDを借りてみることにしました。当時は自由に視聴もできなかったので、ジャケットと店員さんのPOPが頼りです。CDを借りて、翌週返却し、また新たに違うCDを借りる、というのを繰り返しました。

これが毎週通うことになった理由です。

ELLEGARDENを聞いたのもその時。周りに音楽に詳しい友達がいなかったので、独自開拓で色々借りましたが、私の世界を広げてくれたのはディズニーのトリビュートアルバムである「DIVE INTO DISNEY」「MOSH PIT ON DISNEY」でした。POPに惹かれて借りましたが、おかげでたくさんの素敵なバンドを知ることが出来ました。BEAT CRUSADERSやDOPING PANDAが特に好きで、CDも買うようになりました。


家にいる時(主に勉強中)はMDに焼いてMDコンポで、出先ではiPod shuffleで音楽を聴いていました。父が持っているギターを借りて少し弾いてみたりもしたし、ライブ情報を調べたりするようになりました。部屋の壁には手に入れたバンドのポスターを貼るなどして、月日が経つにつれて私はすっかり邦ロックが好きになりました。

そうしてほぼ1年、CDレンタルを続け毎週TSUTAYAに通ったのですが…
A君と会うことはありませんでした。

高校3年の冬、たしかセンター前だったと思います。
私は意を決して、A君をTSUTAYAに呼び出すことにしました。
もし会えたら、とにかくお礼を言おう、と決めていました。あの時A君に会っていなかったら、私が夢に向かうことはなかったかもしれない。私に勇気をくれたあの一言のお礼が言いたい、それだけでした。

約束通りA君はTSUTAYAに来てくれました。
どんな話をしたのか、はっきりとは覚えていないのですが(緊張していたのかもしれない)、私があの後色々CDを聞いて邦ロックが好きになった、ということを話したような気がします。
他愛ない話をしたまま、お礼をいうタイミングを逸して店外へ。
帰り際、勇気を振り絞って、当時のお礼を伝えました。

あの時A君が言った言葉、それが私に響いたこと。そのあと進路を変えて、その方向で進んでみるということ。A君のおかげだということ。

…するとA君は「俺そんなこと言ったっけ」と一言。
私は拍子抜けしてしまいました。私には人生を変えるような言葉だったのに、本人は特に意識して発した言葉ではなかったのでした。
しかしA君は
「俺の言葉が何かプラスになったならよかったよ」と言って笑いました。
そして、私たちはTSUTAYAを離れたのでした。

その後、A君には3回ほど会いました。
そのたびに私はお礼を伝えているのですが、本人はなんのこっちゃ分からないかもしれないですね(笑)。大学を卒業してのち、A君は「その日」を迎え、立派に務めているようです。

私自身はその後紆余曲折あり、挫折したことも何回かありましたが、今でもありがたいことに希望の業界で仕事が出来ています。
ちょくちょくライブにも通い、今でもロックバンドが好きです。

私がA君と会ったTSUTAYAは、今年2月に閉店しました。
時代の流れで、しょうがないことだとしてもやっぱり寂しいです。
ただ、この出来事は今の私のスタート地点だと思います。
良い思い出をありがとう。

TSUTAYA片貝店の閉店によせて


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