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【記者コラム】30年前の「常識」「日常」「正義」

すっかり年の瀬となったが、相変わらず新聞紙面やニュース番組を賑わしているのは自民党の裏金問題。政治資金パーティーの収入を明確にせずにキックバックを受け、裏金プールする手法だが、今になって考えればこんなやり方は1994年に政治資金規正法が改正された直後に、大なり小なり発見されていたのではないかと思う。

記者がまだ駆け出しの頃、建設業のネタ元を訪ねると「昨日、〇〇の秘書が来て50枚置いていったよ」などとコボしているのを腐るほど見た。考えてみれば1枚2万円のパー券を50枚買えば、それだけで政治資金規正法で定められた額を超えるのだが、どこの建設業者も下請けの協力会社(建具、電気工事など)に分散して引き取らせて回避していた。

そしてパーティー当日に取材に行けば、入場者は軽く1000人超え。金だけ払って足を運ばない人も相当数いただろう。主催者側(政治家)からすれば、その方がよほど都合が良く、2万円の会費に比して、会場中央のテーブルにサンドウィッチなどが申し訳程度にちょこっと盛られているというイカサマ具合(どこがパーティーなのだ)。記者もこんな光景には麻痺したもので、「政治資金パーティーとはこういうもの」と刷り込まれていたところがあった。

しかし時を隔てること30年、経済界と政治家の関係性は大いに変化した。1994年当時、GDPが世界の14%を占めていたほどの経済大国が、今は見る影もない。今や、企業が政治家と「握った」として、その恩恵にあずかれる時代ではない。もうそんな時代ではないのに、政治資金パーティーの悪しき風習だけが醜悪な姿をとどめ、「やらずぼったくり」な政治家が残った。裏金作りが疑われている政治家に二世政治家が多い理由も、なにかわかる気がする。

このように30年前、政治家の裏金づくりを訝しみながらも、われわれ報道はそれにメスを入れることなくスルーした。

「常識」や「日常」は一定の年月ですっかりリセットされるし「正義」ほどご都合主義な言葉はない。30年前の「暗黙の了解」は現代に通用しない。われわれ情報産業に携わる者に求められるのは変なバイアスで書く、書かないを判断しない決心ではないか。

記者という職業は「早いうちにAIにとってかわられる」と言われる事が多い。実際、そうなのかもしれないが、AIなら「論調」「書く、書かない」の判断基準は果たしてどこに置くのだろうか。

クリスマスイブと有馬記念の日に、そんなことを考えていた。来年は「書かない」判断を疑う年にしたい。

(編集部・伊藤直樹)

にいがた経済新聞 2023年12月24日 掲載


【にいがた経済新聞】

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