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何かを捨て続けていくことが人生だという話


この世に生まれてから命が果てるまで、僕たちは様々なものを得ることができる。ご飯、おもちゃ、知識、お金、名誉。それらはとても美しく、価値のある大切なものだ。それ故に、与えられ続けた僕たちはいざ何かを失うとなってしまうととても辛くなってしまう。それはいつも等しい。

とりわけ、自分の名誉やプライドに関するものを失ってしまうことがとても怖く感じる。
「周りの人にダサいと思われたくない」と高価なブランド物を身に纏って自分の価値を必死に上げようとする人、
「つまらないやつだと思われたくない」と馬鹿騒ぎをして陽キャの仲間入りを果たそうとする人。

これらは至極当たり前の行動である。
僕自身も以前までは同じように考え、なんとか自分の価値を上げようと必死だった。
しかし、結局どんなに頑張って身なりをよくしたり、周りと群れても本来の価値は変わっていない。それらを取り除いた時に残るものはプライドにしがみつこうとバタバタしている僕だけだ。

この事実に気づいた時、必要以上によく見せることが苦痛になり、疲れてしまった。このまま一生何も得ることができないのかとさえ考えてしまった。

無気力になってネットを彷徨っていた時、あるネット記事で「断捨離」についての特集が取り上げられていた。

『不要なものを減らすことで部屋だけでなく自分の心に余裕を作る』

「これだ」と直感で感じた。僕に無かったのは「余裕」だったのだ。

自分をよく見せようとするあまり、自分のキャパを大きく超えるプライドや欲望が心を押しつぶしていたのだ。押し入れに布団が入らなくて無理矢理押し込んでいるイメージ。

そこから先は簡単だった。必要以上に服を買うのをやめた。陽キャの仲間入りを果たそうと通っていたサークルも抜けた。サークルに使っていた時間は「真面目でつまらない奴だと思われたくない」と、遠ざかっていた大学図書館で興味のある本を読む時間に当てた。服装代も浮いたので、kindleで本を買えるようになった。「見栄」を捨てた代わりに「知識」をより多く得ることができたのだ。

彫刻は木を削って形を整えていく。たとえもったいないと感じても、思い切って削っていくことで美しく、別の価値のある作品ができる。

人生も同じだと思う。色々な要素を捨てることで別の価値あるものに変わっていく。僕が捨てたものは「見栄」だけだったが、これから先も何かを捨ててしまうと思う。だが、決して失うことを恐れることはもうないだろう。

自分のキャパを理解して、どんどんゴミ箱に捨てていこう。失うことは決してマイナスではない。失ったことで空いたスペースに、あなたを本当に豊かにする「何か」が再び心を満たすことを願う。

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