グレーな世界
わたしはよく考えることがあります。
この世は白黒ハッキリさせられないものが多くて、
生きる年数を重ねるほど、グレーをとても強く感じるようになりました。
昔は白黒ハッキリさせなきゃ気が済まないタイプでしたが、
最近は少し曖昧な感じも味があっていいのかなと思えるようになってきました。
ただ昔から変わらないのは、一度どっちにも振り切って考えてたくさん悩むところ。
そこからグレーが生まれるのは考えた結果だから。
どうなんですかね、世界に自分だけしかいなかったら。
なんとなくグレーは存在しなかったような気がします。
自分の主観だけで、物事を考える世界。
相手の気持ちとか考える必要がないから、
「好きか嫌いか」で終わりますもんね。
それはそれで、風情がないような気がします。
寄り添うことはダメなこと??
完全にお互いを理解することは不可能ですよね。
親子でも分かり合えないことあるし、双子であっても無理だと思うし、
きっと自分と同じDNAの人間がもう一人いたとしても、生きていく過程で分かり合えなくなる部分も出てくるはずです。
どんなに大好きな人であっても理解できない部分はあります。
それでも相手の考えていることや、
大切にしていること、
生き方を踏みにじるような言動はしてはいけないと思うし、したくありません。
だからといって相手に合わせてばかりでは、
自分を見失ってしまいます。
自分の信念はきちんと大切にしたいです。
その上でできるだけ相手のことを理解したい。
少し前に、寄り添うことを拒否されたような感覚に出会いました。
それに対しては特に傷ついたとかはありません。
そのときは若干悲しかったですが😅
昨日言われて気がついたのですが、
私がフードを被り出したら“そっとしてほしい合図“だそうです。
「いつもそうだよ」と言われてしまいました(笑)
振り返ってみれば、そんなような気がします。
きっとそういうタイミングに私が余計なことを言ってしまったのだと思います。
私の中の自然なこと
そのときにふと思いました。
ダメかどうかは正直分かりません。
答えは一つにはならない。
「寄り添いたい」って思う人もいれば、
「寄り添いたい」と思わない人もいると思うし、
「寄り添ってほしい」って思っている人もいれば、
「寄り添ってほしくない」って思っている人もいると思うし。
ずっと同じ気持ちでいられるわけでもないからね。
時と場合によることが多いのかな。
実際には同じ気持ちでも、言葉によって違うニュアンスに捉えられることもあると思うし。
例えば「寄り添う」という言葉が合わなくても、
「そばにいる」という言葉がしっくりくる人もいるかもしれない。
それでも、一つ気づいたことがありました。
なんで寄り添いたいんだろう??
相手の立場になって物事を考えたり、その人の変化に気づけるようになりたい。
「信頼関係を築く上で必要なことだと思うから。」
そんな風に言ってしまうと、なんだか伝えたいことがちゃんと伝わらないような気がしますが、
そう思うことは自然なことなのではないのかなと思います。
その人の厚意を踏みにじらない
これは家訓と言っても過言ではないです。
母に言われて今でも覚えています。
「その人が相手にしてくれていることは、その人がしたいと思ったからしているんだよ。」
私が生まれる前の話になりますが、
母は父が奢ってくれようとしたときに、
「いーよいーよ。」と断ったことがあるそうです。
そのときに父が、
「奢りたい人は、奢りたいから奢っているんだよ。好きでやってるんだよ。」
と言ったそうです。
この話をしたときは、中学生ぐらいのときだった気がしますが、
『自分だけ得をしているように感じることでも、
それを拒否して遠慮することは、逆に失礼に当たるんだな。』
と中学生ながらに思いました。
そのときに人の厚意に甘えることを覚えました。
(甘え過ぎてて逆に怖いけど)
世の中のほとんどのことにおいて、
「こうしたほうがいい」
という答えがありません。
どの答えも参考程度。
自分には当てはまるかもしれないし、
当てはまらないかもしれない。
答えは生きていれば変わる。
生きていくうちに、
自分の中の答えを見つけたり、
変えていければいいのかなあと思います。
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