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夏が来る。

この先、あと何度こんな気持ちがやってくるのだろう。


7月も終わりだと言うのに今年の梅雨は雨ばかりで、この長い雨がやんだ頃にはとうに夏も盛りなのかと、早くから明らむ空を見て気がついた。


昨年の夏休み。
となり町のおじさまおばさま達が集う絵画同好会で、人物モデルのアルバイトをした。
公民館の一室。イーゼルをずらっと並べた初老の男女に囲まれて、箱椅子で組んだステージの上に置いた椅子に腰掛ける。ワンピースの裾から伸びる足をわざとらしくすっと伸ばして、まるで「若いきれいな女」のような顔をして、ひたすら窓の向こうに揺れる青葉を眺めるアルバイト。
モデルのバイトももう毎夏3度目で、若い女だというだけでちやほやしてくれる親戚のような彼らは、じっとわたしを見つめて、時折首を捻ったり、微笑んだりしながら、ていねいにわたしを描いた。

15分にいちど、5分の休憩を挟む。
それを、6回繰り返して、2時間。

その、はじめに、先生の訃報が届いた。


5分の休憩のたびに通知を開いて、同級生たちと「えっ、ほんとうに?」「告別式、明後日だって」という話をして、あれよあれよと言う間に、まだお葬式に慣れない学生のわたしたちは「喪服持ってる?」「カバンがないや」「御香典はどうしたらいいんだろう」なんて話で大慌てで
涙も間に合わないまま、時間が来るたびきれいな女のフリをした。こんなところでこんなバイトをしている場合なのだろうか、と思ってすぐに、今更どこにも駆けつける場所はないのだと思い直した。
陽の光できらきらと反射する青葉を、ぼうっと見つめては、なんにも間に合わなかったなと思った。


3月の初め。
春の陽気にあてられて軽く身体でも動かそうと思って、柄にもなく近所の体育館へ行った。
室内履きの運動靴に履き替えて、ランニングマシンでちんたら走ろうかしらと思っていた矢先、廊下で知ったような顔とすれ違った。
あれ?と思って立ち止まって振り返ると、向こうも同じように立ち止まって振り返っていて、その瞬間「あれ〜〜、何してるの!」とその人は笑った。
「わあ先生、!わたしはダイエットと、運動不足解消でいまから走ろっかなって思って。先生こそどうしたんですか?」
きくと、「あっちで、ソフトバレーをやってて。近所の趣味の人たちで。若い子もいるし、遊びに来なよ」と。
わたしは1時間走るぞー絶対走るぞーとノルマを決めてて、それも達成したかったし、そもそも基本的に運動が大の苦手だから球技なんてもってのほかで、チームプレイも足手まといになるのはただの恥…って感じで、だからその時先生の誘いをちょっとめんちいなという気持ちできいた。
「うーんでもいまから走るからー…」
となんとなく濁すと、「えー、まぁ、じゃあ後からおいで」と言って別れた。

イヤホンを耳にさして、しばらくせっせと走っていると、気付いたらまたも先生が現れた。
「ねぇ、おいでってば」
音楽をきいてたせいでランニングマシンの真横に立って話しかけられるまでちっとも気がつかなくて、ぎょっとしながらも「走るっちゅうとるでしょうに」という頑なな態度を見せてみたけれど、これはたぶん引いてもらえないなーと思って
「あと20分、走るノルマだから、じゃあ、そのあと少しだけ」
ちょこっと顔だけ出してかえろ、ということにした。

行ってみたチームは10代20代の「若い子」は2人くらいしかいなくて、自分の父母くらいの歳の人たちばっかりだった。
それ故そんなに機敏な感じじゃなくて、ボールもソフトバレーだから球速がゆったりで、運動神経ぽんこつなわたしでもそれなりに楽しめた。
気の良い人たちばっかりで、なにより先生が、ルールやプレーの解説もしてくれるし、ちょっと上手にやると褒めてくれるので、ふふって思いながらわたしは気を良くして結局最後の終わりまでやり切ってしまった。
お疲れ様ーと集合するチームメンバーに「大学の、生徒」と、なんだか子だか孫でも紹介するような雰囲気で挨拶してまわってくれて、コミュ力皆無のわたしはえへへとヘラヘラしながらついてまわった。チームの知らないおじさんが、みんなに配って端数になったカントリーマアムをわたしに握らせて、「またおいで」と笑ってくれた。
「今度はさ、誰か下宿でこのへんの子でも連れてまたおいでよ」と先生が言うので
同じ授業をわりあい熱心に受けていて、わたしも仲の良い学生の名前をあげると
「えぇ、あいつはどんくさそうだからなぁ」
なんて言うので、「たぶんわたしよりずっと運動できますよ、今度連れてきます」とケタケタ笑った。

帰ってその子にこれこれこーいう偶然があって、だから一緒に行きましょうよって誘ってみたら、ふたつ返事でOKしてくれて
じゃあ4月学校始まったら、先生に日程確認して行ってみようよ、と約束した。


たまたまだったか、日が空いてわたしがぼんやりしていたせいもあってか、4月の最初の授業で先生が捕まらなくて。
もともと週に一回しかない授業だからそんなに会う機会がなくて、まぁいつでもいいかーと思っているうちのGW頃。

なんかどうも先生の体調が悪いらしくて、ここ2週間くらい授業がお休みらしい。

そんな噂を耳にした。
どーしたんですか?って、純粋な疑問と心配で授業をとってる下級生が他の先生に聞いてみたら、なんとなく濁された?かわされた?らしくて、なんだか様子がおかしいみたい?
その前の年だったか、目の治療だかなんだかでお休みだったり手術みたいなこともしたみたいな時があって、その時は先生本人が最近はこんな調子だの、こんな治療をしただの、むしろぺらぺらと話していたくらいで、それで余計になんだか変なの、という感じだった。
助手さんにきいても、「ボクらもなんにもきいてなくて」というので、そんなことあるぅ?と思っていた。

でも、そのあとすぐ「授業再開したらしいよー」という噂も出て、なんだそうかそれなら良かった、と。
まぁ若いわけでもないし体調悪いことくらいあるよな、と。
バレーのことはもうほとんど忘れてて、卒制も忙しくて、まぁそのうちそのうち…ということにしていた。


6月か、もう7月に入った頃か、そろそろ夏休みね、という頃。
ようやく卒制が少し進んで、先生の分野のアドバイスが必要になった。久しぶりに見てもらわねば、というか全然顔見てないし様子も見に行かなければ、と。

授業は再開したけど、顔色が悪いらしい。
急に痩せてしまったらしい。
元気がなくて、とても疲れている感じらしい。

その頃には、みんなの心配や噂も、どんどん不穏な空気を孕んでいて、きくたびわたしもソワソワした。どーしちゃったの、大丈夫かな、って。
それでも、たぶん本気で心配するのが怖くて、嫌で、卒制進んでないのも恥ずかしくて、見せるものもないのに先生のところへ行けなかった。

久しぶりに見た先生は、春先にバレーボールを一緒にやったとはまるで思えないくらい、一気に老け込んで、なぜ働いているのかと信じられないほどひどい顔色をしていた。
授業終わりにふらっと行ったので、もう2コマも延々と喋った後で、なんだかもう力も残ってないような声で、見せてごらんとわたしの作品を手に取った。
もともと扱いにくい、うまくいかない材料を使っていた。それでもやってみたくて、でも自分ひとりではとてもやれるわけないから先生に最後まで頼ってやーろっぴという感じではじめた卒制で
案の定ちっとも思い通りにならなくて、「なんでだめなの?どうしたらいいの?」って、その日はききに行った。
「ビビリすぎなんだよ、最初から失敗しないで上手くやろうとしすぎ。もっと大胆にやらないと」って先生は言った。
「でも綺麗だね、これでも十分欲しいなと思うよ」と褒めてくれた。
「はーやく、とっとと、次のやり直したやつ、見せてよ」と言って、いつもあーでもないこーでもないと言っていつまでたっても制作が進まないわたしに、いつものように発破をかけた。

前期中実験が間に合ったのはそれが最後で、次は後期にやり直そう、と思った。


それで、先生に見せられたわたしの作品は最後で。

先生と話をしたのも、それが、最後。


あっという間に先生は、亡くなってしまった。





「ねぇ、この原料とこの原料って同じか分かる…?」
つい先日、作業をしてたらふいに助手さんがそんなことをききにきた。管理していたのは先生で、名前がほとんど同じだけどなにが違うのか難しくて到底分からない原料が、倉庫にたっぷりあって。
「こ、これは分からない…、あぁでもこっちはこれと同じで……」なんてみんなで頭を抱えて唸った。

先生が受け持ってくれていた授業はあまりに専門的で、正直何年受けてもほんのちょろっとくらいしか理解できなかった。みんな分かるわけなかろ、というのが共通理解で、わたしたちがぽけたんとした顔で授業を聞いているたび
「まぁ、きみたちが世に出るくらいの頃はまだ生きてると思うからさ、困ったらここにききにおいでよ」
ってしょうがないなぁ、という顔で笑うので
「先生いないと無理、全部やれるようになるまでぜーんぶ助けて、ずっと」と、呆れるくらい本気で、言った。



あと何度、間に合わなかったいろんなことを
こんな気持ちで思い出すのだろう。

先生がいないとどうしようもないことを
どんな気持ちで諦めたらよいのだろう。

乗り掛かった舟でしょう、わたし、ひとりでいまの研究なんか、ちんぷんかんぷんなのに。
失敗したって、うまくいったって、見せにも行けない。失敗したよなんで!?って、うまくいったよ褒めて!って
これから先、何度も何度も、そういう日がくるのに。
これまでよりこれからの方がずっと長いと信じて疑わなかった。
卒業してもまたここにおいで、という先生に、30を過ぎても先生助けてと甘える未来を容易に想像した。

自分がおばさんになるまで、先生がいてくれる未来を想像してしまったから
きっとおばさんになるまで、何度も何度もこの気持ちになる。


何度も何度も、夏が来る。



#エッセイ #先生 #美大生 #卒制

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