教師主体から学習者主体へ

教え方の上手い職人のような先生たちがいる。このような先生のノウハウをすべての教員に伝授していくのが教育委員会や研究会の目指すべきことだと信じていた時代がある。 しかし、子どもたちがみんな違ってイイように、先生たちも特性に応じてみんな違って...

Posted by Yuichi Kudo on Tuesday, May 3, 2022

生徒が主体的に学ぶことを支援する仕組みと方法を組織的に確立するためには、ファシリテーションやコーチングの視点が必要だということを最近特に感じます。

教え方の上手い職人のような先生たちがいる。このような先生のノウハウをすべての教員に伝授していくのが教育委員会や研究会の目指すべきことだと信じていた時代がある。

しかし、子どもたちがみんな違ってイイように、先生たちも特性に応じてみんな違ってイイとすれば、それはあり得ないことだと思う。たとえ、それが実現できることだと仮定しても、一人の新人教員がそれを実現するまでにどれだけの時間を要するのだろうか。

そもそも、一斉教授型のままで学習者の主体性を高めようとすれば、教える側はわかる授業を実現しようとすることになる。
結果として、子どもたちは益々サービス過剰に慣れてしまい、次第にわかる授業を行ってくれる先生以外の授業を聞こうとしなくなっていく。
それが染み付いた子どもたちが成長して高校生、大学生ぐらいになってくると、主体性、当事者意識をすっかり失い、自ら発言することも質問することも無くなっていく。つまりは依存型の人間だ。

先生たちの教えるための職人技を広めていこうとする考え方は、そもそもスタート地点から違っているように思う。
時代は子どもたちが自ら学ぶことを支援するための仕組みと方法を組織的に確立する方向へ移らなきゃいけない。
教師主体から学習者主体へ
教師個人の技術で指導力を高める時代からチームの技術と連携で支援力を高める時代へ。

新人教員が心理的安全性の中で、やりがいをもって楽しく教育ができる時代へ

工藤勇一FBより

心理的安全性という意味では、職員室も危うい気がしていて、会議では結局オピニオンリーダー的な人や声の大きい人の発言だけが目立ち、他は黙ってしらけムード、という印象。
どうしたら教員集団の前向きな対話が増えるのか。生徒に主体的にと言っている我々が実践できていない現状に焦りを感じます。

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