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例の修学旅行の話

 ルールを破った生徒への指導が妥当で効果的かどうか。学校の説明不足なのか単なるクレームなのか。
 学校の指導に納得せず敵意剥き出しでクレームしてくる保護者が増えた肌感覚と同時に、そうなる要素を作り出す教員の多さも感じている。お互い敬意をもって子供のために何が大事か話し合うべきはずなのに、悪者を決めつけて攻撃する。信頼関係以前に相互に人として払うべき敬意が不足している。
 修学旅行と言えば昔は寝ずの番。ルール違反は並べて夜通し正座とか平気であった。いつの頃からか、集団で行く意味合いや決められた時間で決められたルートを巡ることに不快感を示す生徒が増え、時期を同じくして家族旅行で学校を休みますと連絡をくれる保護者も増えた。
 あんなに時間と労力をかけて神経すり減らして修学旅行に連れて行っても、羽目を外したくなる生徒はいるし、実際にやらかす生徒もいる。だからこそ、その指導は本気で叱るし本気で諭す。決して罰や見せしめではなく、ルールの意味や修学旅行の意味を理解させる。
 体裁や立場で叱っていることを感じさせたら生徒は反発するし聞く耳を持たない。生徒がそっぽを向いた状態ではどんな指導も通らない。立場や正論で押し通そうとするからうまくいかなくなるのだが、そのへんの匙加減や勘どころは経験を重ねて体得していくしかないと思っている。
 でも、若手の中には、自分は正しいことを言っているのにどうして生徒が聞いてくれないのか、なぜ保護者にクレームを言われるのかわからない、と悩む教師がいる。正しいことだけ言っていれば務まる仕事だと思っているのか、もっと生徒や保護者の本音にじっくり耳を傾けるとか対話を増やせばいいのに。
 修学旅行に限らず、日々の指導の中で重きを置くべきところがズレている気がする。忙しくて生徒や保護者と向き合えないというのは、優先順位が間違っている。教師の視線が宙を彷徨っているようでは授業も生徒指導もうまく行くはずがない。そのための働き方改革。
 このようなケース(ルールを破ったが学校の指導に異議を唱える)は増えている。学校は、まずは反省が先だろうと押し通そうとするが、保護者や子供は、その指導はおかしいだろうと感じる。これが11月だったらどうか、真冬だったらどうか。そもそも命の危険を感じさせたならそれは学校の指導が下手くそだし、それまでの関係構築がうまく行っていない証拠。ただ、サービス業と化している学校の業務を見るにつけ、こういう関係性になるのは自然な流れかもしれない。
 人への敬意を取り戻すためには、少なくとも学校内ではそのロールモデルを教師が体現するしかないのではないか。

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