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話のネタ(学年だよりシリーズ)

 生徒の前で話をするのに,何かネタがないかなと探していて困った時に,自分の過去の学級通信や学年だよりを漁ることがあります。今回も例のごとく漁っていたら,何回か使いまわした文章が出てきました。高2の3月です。

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「プライド」を持つために
▼高校2年生になって間もない頃,好きな子ができました。共通の友人を介して,話をするようになりました。時々他愛のない手紙をくれたので,必ず返事を書きました。そしていつの間にかお昼を2人で一緒に食べるようになりました。でも,思いを伝えられないまま1年が過ぎました。▼ちょうど季節は今頃でした。好きな人が出来たと告げられました。相手は彼女と同じクラスの野球部,3番ショートでレギュラーでした。間もなく彼らはつき合うことになりました。あっけない恋の幕切れでした。▼3年生に進級していよいよ受験が迫ってきました。気持ちの切り替えがうまくできませんでした。成績も伸びきらないまま,受験本番を迎えました。第1志望の大学に落ちました。第2志望にも落ちました。第3志望にも落ちました。第4志望にも落ちました。…少しだけ自信はあったのですが,案の定結果は出ませんでした。当時は「やればできるはずなんだけど本気を出すのは恥ずかしい」「やってできなかったらカッコ悪い…」と思っていました。まさに「臆病な自尊心」に支配されていたのです。『山月記』の李徴のように。▼もし浪人したとしても勉強しない自信だけはあったので,浪人はしませんでした。煮え切らない気持ちのまま第1志望ではない大学に入学し,たまたま成り行きで入った部活動を4年間続けました(厳密に言うと5年間?)。でも,最終的には小さい頃からの夢である教師になることができました。もし大学でふて腐れてしまっていたらどうなっただろう,部活動を途中で辞めてしまったらどうなっただろう,と考えます。高校時代は,恋愛も勉強も中途半端でした。でも大学での部活動だけは本気で頑張ったと胸を張ることができます。高校までは何をやっても中途半端だった自分が,本気になれた数少ないものが大学での部活動でした。ほぼ毎日のように先輩からのしごきがあり理不尽に殴られもしましたが,「ここで堪えることが自分を強くするんだ。」と信じて必死にこらえました。「忍耐」などという言葉は性に合いませんが,精神的にも肉体的にも限界に挑戦した学生時代でした。同期の仲間の中には,あまりの辛さとえげつなさに部活動どころか大学まで辞めてしまった者もいました。1980年代後半,バブル景気に沸く世の中が浮ついた時代です。華やかな渋谷の街を毎日学ラン,下駄で闊歩すること自体が時代錯誤もいいところですが,加えてその旧態依然とした部活動の体質も「こんな軍隊まがいのタテ社会があっていいのか?」と疑問に感じながらの毎日でした(おかげで大学には5年間通いました。ものすごく親不孝でした)。▼しかし,今思えばとても貴重で充実した大学生活でした。親元を離れての一人暮らし。苦楽を共にした仲間。4年生の時には学内外の組織で役員をする機会もありました。経験値を高めることができましたし,組織の中での役割をその都度考える訓練もできました。大学時代にあれほど本気になれた原動力は「悔しさ」だと思います。叶わなかった第1志望への悔しさ,ここで辞めたら負けだというちっぽけなプライド。好きな子にフラれ,勉強も中途半端,部活すら続けられないのか,ここで投げ出したらまた同じことを繰り返すんじゃないか,と思いました。そんな経験が,今こうして教師として働く精神的な支えになっています。▼今でこそ多少偉そうなことも言いますが,決して完璧であろうとは思いません。もちろんみなさんに完璧を強いるつもりもありません。年がら年中頑張り続けられる人ばかりではありません。だからこそ自分の弱さに目を向けながら,少しでも自分を生かす環境を探すこと,自分の力を発揮できるように工夫をしてみることが大切だと思うのです。▼まもなく3年生になるみなさんには,中途半端な高校生活だったという後悔だけはしてほしくありません。「一所懸命」になれるものを早く見つけ,「一所懸命」取り組んでください。そういう「こだわり」を持つことが大切だと思います。それも決して自己満足に終わらせるのではなく,その都度小さなハードルをクリアしながら成長していくことが自己実現につながるのだと思います。その積み重ねが「誇り」や「プライド」にもなるのです。▼一生に一度の高校生活も残すところ1年を切りましたが,これまでを振り返ってみてどうですか?中途半端な生活をしていませんか?▼何事も,やってやれないことはありません。でも,やらずにできるはずはありません。

今の生徒たちにも通じるだろうか。

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