NoBarbenheimer

タイトルのことを知ってから、どうにも心が晴れない。8月6日が近づく中このままではいたくないので、もやもやをここに書いてしまいたい。

まず私のことを書く。私は長崎県で生まれ育った人間だ。学生時代はずっと、夏休み前の時期は平和学習と銘打って、原爆投下後の長崎の写真を見て育った。8月6日の8:15には黙祷のサイレンが鳴り、8月9日には平和集会があった。

バーベンハイマーの事は昨日知った。正直、バービー映画公式が反応しなければ知らなかったと思うし、知っても「趣味が最悪な人が居るんだな」と思うくらいだったと思う。公式が無反応でいてくれれば。

絵などを見た時は「おぞましいものを見た」と思った。本気で、今まで生きてきた中で1番グロテスクな絵を見たと思った。吐き気を催した。あの雲の下には地獄があると私は教えられ続けてきたので。
そもそもあんな爆発の近くならバービー人の形してないだろ、と冷静に思ったりもした。

諸々を知って、深い悲しみと怒りを感じた。
悲しみは何に対してか?原子爆弾をネタにされること、公式が一緒になって笑ったこと、それがよりにもよって「バービー」だったこと・ワーナーだったこと……。

子どもの時はバービーと遊んでいた。ブロンドでスタイルが良くて、お洒落なドレス着せて遊んでいた。今だっておもちゃ屋さんに並んでいる。
私はもうバービーは買わないだろうし、知り合いにも薦めないだろう。店に並んでるのを見て不快に思うだろう。

ワーナーもそう。ハリポタもファンタビも好きだった。これから映画を見て、最初に出てくるワーナーのマークを見て不快になるかもしれない。心からワーナーの映画は楽しめなくなるだろう。

ここまで書いて、絶望したのかな、と思った。この気持ちを理解しろとは思わない。ただ放置してて欲しかった。触らないでほしかったのだ。

怒りは何に対してか?反応したのが「アメリカ」の会社だった、だからだと思う。

子どものから頃ずっと言われていた「平和な世界を求めて努力しなさい」と。たくさん受けた平和学習は、原爆の恐ろしさを語ってくれた方々は、アメリカへの恨み言は何も言わなかった。
でも大人になった私は、どうしても思ってしまう。「当時の日本がもし白人の国だったなら、原子爆弾を落とすことはできたのか?」と。

昔、親が言っていた「(原爆の恐ろしさや平和の尊さを伝えるのは)長崎に居るものの義務だ」と。
大人になった私は、どうしても思ってしまう「アメリカが原爆を落とさなければ、そんな義務は生まれなかっただろう」と。

こんな気持ちになりたくなかった。

また、この騒動が7月末に起きたのがより嫌だった。例年通り、静かに平和を祈る日にさせてほしかった。8月6日と、8月9日は特に。欲を言えば8月15日(終戦記念日)も。

まとまらないけれどこれで終わる。これでタイトルのこと、感じた嫌なことを、全て忘れたいと思う。
来たる8月6日には、例年通り静かに平和を祈る日になりますように。
長崎が、原子爆弾が落とされた最後の地になりますように。

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