見出し画像

機械翻訳丸投げ英語について思うこと

                            佐々木 和枝

「一生涯英語学習者」って自分の事を思ってる。中学校入学時に英語を学び始めてそれからずーーーっと、そして、これから先もずっと英語学習者。大学卒業後、一時期を除いて、ほぼ一貫して英語が必要な仕事をしていて、英語には本当に苦労して、一杯悔しい思いをしたり恥をかいたり。

20代最後にアメリカのビジネススクールに留学した2年を除いては 海外に住んだこともなくって、ずっと日本で英語を勉強してきた。だから「ネイティブスピーカーの英語感覚」は残念ながら持っていないことは充分自覚してる。英語のメールやレターを書くときも、「この言い回し不自然じゃないかな?」とか「この場に相応しい物言いになってるかな?」って不安に思ってる。

でも、この不安って「正しい不安」だと思うんですよ。中学の教科書英語からの英語デビューな私。どうしたってネイティブレベルになれっこないから、(近づきたいけど)、英文を書くときは、その時々に応じてちゃんと方策を講じてる。時間がある時は、自分の使っている言い回しを検索して、ちゃんと自分の考えているような文脈で使われてるかチェックしたりするし、公式な場に掲載されるような文章を書く時や、ここは一発きちっと格調高く決めなくちゃ!というときは、必ずネイティブのチェックを受ける。自費で翻訳会社のネイティブチェックを依頼することだってある。

これらは、自分でいうのもなんだけど、英語にまじめに取り組んでいるからこそのリスクヘッジ。いやリスクヘッジというより、読み手に対する誠意。それからその文章で自分が代表している組織に相応しい品格を保つことへの責任。


機械翻訳に丸投げでいいの?
だから最近目にする、行政機関のウェブサイトの英訳を機械翻訳にお任せしてそのまんま・・・っていうとんでもない英文を見ると、悲しくなるし、ちょっと憤慨しちゃう。読み手に対して失礼だし、それに何より自分たちの品格を下げている。以下は我が地元世田谷区のウェブサイトで見つけた機械翻訳そのまんま英語。(2020年10月5日)区立図書館におけるコロナ感染予防対策について書いてあるんだけど、読んでたらとほほ・・・と泣けてきた。

画像3


名称未設定のデザイン (5)

日本の市区町村のウェブサイトでは、多言語ページに移るとき、「とりあえず、機械で翻訳しましたからね。でもへんなとこがあっても機械翻訳だから許してね。」ということを言わんとしている次のような表示に類したものが出てくることが多い。「誤訳があっても仕方ないからね!」と開きなおっているいうことだ。 (下記画像は2020年10月5日 世田谷区ウェブサイトより) 

画像1

日本は「お・も・て・な・し」の心でオリンピックを招聘したわけでしょ。でも この「機械翻訳に丸投げ英語」には「おもてなし」の心はおろか、「正しく伝えてわかってもらう」というコミュニケーションの基本の「き」の字もなっとらん!と思うわけです。行政機関においてはその「顔」ともいえるウェブサイトに へんてこりんな英語を載せて、平たく言えば「みっともない」と思うのですよ。

間違えることは恥ずかしいことではない。間違いを正さないのは恥ずかしいこと。
英語の誤りは恥じることはないと思う。私たちはネイティブじゃないから。だけど間違った英語をそのままにして置くことは恥ずかしい。行政機関はおかしな英語を掲載しない努力をすべきだし、それはネイティブに助けてもらえばできること。そのような職務の人を雇ったり、または外部の専門家に依頼したり、難しいことではないと思うんだけどな。

正しい英語で伝えようとする努力は、それは、読み手に対する思いやりと優しさ。それから自分たちの品格を保つこと。そのことを機械翻訳に丸投げして、簡単にあきらめてしまってはいけないと思う。

画像4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?