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【アイヌ民族と政治① - アイヌとは編 - 】

今現在、保守主義界隈ではこれまでの「アイヌ民族の先住性の否定」の他に「アイヌ民族の民族性の否定」をする内容を発信して印象操作し、思考停止や情報弱者を煽る元政治家や現役政治家、ジャーナリストがいる。

過去、保守主義界隈の一部が日本人も多く住む新大久保の土地にて「朝鮮人を皆殺しにしろー!コリアンタウンを火の海にしろー!」と練り歩き叫び、世界に日本人のネガティブイメージを植え付ける事に成功した。

中国人・朝鮮人の諸問題は他国でも一定の理解は得られるだろうが、アイヌ民族というのは外国人の話しではなく、北海道という日本固有の領土内に点在していた部族の話しになるので最悪、取り返しの付かない事になると筆者は感じる為、警鐘を鳴らす意味でも記事を書こうと決めた。

なお、これらは学者でも研究者でも無い、筆者個人のアイヌ知識レベルで書いているので学者や研究者からすると間違いはあるかと思うが、そこはご容赦いただきたい。

なお、筆者の父は函館出身のアイヌであり、筆者も当然にアイヌの血を引いているが、旭川在住とする「しばき隊」からアイヌでは無い!と否定された過去があるが、内容はフェアに書いていると思う。


「アイヌ」とは?

アイヌと言うのは北海道各地(筆者は千島列島なども含め日本固有の領土と認識しているので、まとめて北海道と表現)に点在した部族の事を総称してアイヌと呼ぶので、ロシア・ソ連の人と交流があったとされる樺太、宗谷のアイヌ(オホーツク海)などと、和人との交流の多かったとされる函館、小樽、石狩近辺のアイヌ(日本海)など、北海道中央の旭川近辺のアイヌ、釧路や網走地方にもアイヌは点在していた。

アイヌは狩猟民族とも言われており、和人(和人は農耕民族とされている)との民族の違いを強調する、ひとつの材料とされるケースもある。

民族は文化(言語、習慣、宗教など)で区分されるとあるので今現在、保守主義界隈で言われてるアイヌ関連の話に当てはめて解説しよう。


アイヌ紋様や生活品々

アイヌは北海道各地に点在した部族のことを総称してアイヌと言うので、樺太アイヌの家と函館や小樽、石狩近辺などのアイヌの家の作りが違かったり、和人との交流の多い地域では古銭の装飾品があったり小刀があったりするが、少ない地域では少なかったりと様々なので「これはアイヌのものではない!」とするのは完全なミスリードである。

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つまり、本州の中でも着物の染め方が異なっていたり、漆器があるのに「これは大和民族のものではない!」とするレベルで、これは情報弱者や思考停止を意図的に煽っていると言える。例えば、以下の紋様は和人の古典紋様なのだが、和人の紋様でも様々あるのに、コレは違う!は流石に痛すぎる。

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アイヌ語と文字

「アイヌ語には文字が無い」とTwitterでチラッと見た事があったが、アイヌ語をカタカナで表現したアイヌ神謡集(大正12年)や、アイヌ語の文字とされるものもある。

アイヌ語に漢字を当てはめて読めない地名などもある。そもそも小野寺まさるの父親が代議士時代に、アイヌの識字率問題が議会にあがっていたので、アイヌの人達が日本語ではない言語だったのは間違いないだろう。「これはアイヌ語ではない!」とそこまで言う者こそ、これが正しいアイヌ語や文字だ!とするべきだろうが、何故かしない。

アイヌ語も和人と交流が多ければ、アイヌ文化に無かった日本語の物がアイヌ語の発音で呼ばれアイヌに浸透したり、その逆もある。例えば「ニシン」はアイヌ語の「ヌーシィ」から来たと言われていたり、大戦により日本兵がいた海外の島民に間違って覚えられた日本語発音みたいなものと言えばイメージしやすいだろう。

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アイヌ語の文字が無かったとしても、それは不思議なことでは無い。そもそも文字は言葉よりも遅くできるものだし、無文字文化の民族は存在している。

例えば、朝鮮民族は宗主国であった中国(清国)の儒教や漢文を学ぶのが自然だったが、伝えたくても伝えられない民が多く、それを見かねた世宗大王が朝鮮民族の言葉でも表現できるよう諺文を作ったのがハングル誕生と言われている。

ちなみに「諺文(オンモン)」は「卑俗の文字」という意味であり、世宗大王は漢字(漢語・漢文)の素養が無い者に…と、卑俗=低俗の者のために諺文を作ったのだが、真っ先に浸透したのは王族や上級階級である。


アイヌの宗教

アイヌの宗教というのは、キリスト教や仏教と比べると疑問に思う人もいるだろうが、アイヌの習慣(信仰)にも密接に繋がっていて、何に近いかというと神道に近いと言える。

例えば病気は悪いものが身体に取り憑いてるからだとか、農家が捧げ物をして豊作を祈願したりとか、漁師が漁の安全や豊漁を海に捧げ物をして祈願したり等に似ているのもある。

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それらを果たして宗教と言うのか議論の余地はあるが、筆者的には伝来の風習(ならわし)や信仰なのかな?と思っている。

このように見れば「アイヌは民族」と言えるのだが、元北海道議の小野寺まさるは、これらをシレっと否定する内容を発信して思考停止や情報弱者を煽っている。これは明らかな民族否定になので気を付けるべきだろう。

特に元北海道議の小野寺まさるは過去、自身のブログで「アイヌの方々…」と認めたり、道のアイヌ政策は否定しつつも政府のアイヌ政策を容認しているのにも関わらず、アイヌ関連でも完全なミスリードやデマ、印象操作が酷い。

ちなみに小野寺まさるは道のアイヌ政策を否定していたが、当時の北海道知事は高橋はるみであるが、政府のアイヌ政策などにおける有識者懇談会のメンバーには高橋はるみも入っているので、完全に無知を晒しているので、アイヌ関連では全く参考にならない。


アイヌの先住性

アイヌ民族の先住性についてだが、和人より先に北海道に住んでいたという点で主張している訳では無く、公益財団法人アイヌ民族文化財団のホームページを見ると、アイヌ文化が形成された時期を持って和人とアイヌ民族と分け先住性を主張している感じである。

つまり、それぞれの文化を形成するまで、和人とアイヌは同じような事をしていたという事になるので、文化形成をもって民族主張するのは分かるが、それで先住性を主張するのは個人的には疑問である。

景行天皇期(5世紀頃)では、蝦夷が現在の東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいて、邪馬台国の人々と同じく、入れ墨(鯨面、文身)をしていた資料が残っていたり、上宮聖徳法王帝説には蘇我豊浦毛人あり、この毛人が体毛が多い=アイヌ?との説があったりと研究者や学者の中でも議論が分かれている。

和人とは、古代の大和朝廷や中世の武家政権の施政下にあった人のみを大和民族(和人)とされているので、中央政権の執政下が拡大するに伴い東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいた蝦夷と呼ばれる人達も大和民族と呼ばれるようになった事などを見るに、先に住んでいたのかでの先住性は主張するのは厳しいので文化形成を持って先住性の主張となったと思っている。

大和朝廷が四国誕生という説で考えると、四国−本州(間の島々も入れて)の距離より、青森−函館の距離の方が長いので、きちんと中央政権の執政が及ばないのは容易に想像できる。となると、中央文化もなかなか浸透しないので、今現代のように便利な世の中でなければ、元の文化が色濃く残るのも当然だろう。

最後に

アイヌ民族の中にも和人と一緒に戦争を戦った人達がいて、それは資料でも残っているのだが、明らかな注目集めのアイヌネタ煽りに踊らされて民族否定までする一部の保守主義界隈には失望してしまうし、人権がー!と騒ぐ左派・自称リベラルには、アイヌの血を引く者をアイヌでは無い!コミュニティ(アイヌ)に入ってないとアイヌでは無い!と否定する者もいる。

どちらも日本民族としても大和民族としてもアイヌ民族としても、ためになっていないばかりか、余計な対立を生んでいるので有害である。

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